第83話 噂は大体が嘘で、結果だけが本当
翌日。
教室に入ると、何やら視線を感じた。そしてクラスが騒がしい。俺はいつもの通りスマートフォンを回収籠に入れて、そして自席に着いた。なにやらまだ視線を感じる。俺がなにかしただろうか。何か噂になったのだろうか。男子がかなりの数集まっているグループが今日はできていて、その中から促されるように香取が俺の方へ押し出されるようにやってきた。なんだ、なんだというのだ。
「おはよう、九郎九坂」
「ああ、おはよう。……なあ、なんなんださっきから。やたらと視線を感じるんだが」
「まあ、それがな。ちょっと噂になっていてな」
「噂? なんの。俺がか? 嫌な噂なら嫌だぞ」
「まあ、なんていうか……恋瀬川と付き合っているのかどうかっていう……」
俺はあんぐりであった。口が開いていた。しかしみっともないからなんとか手動で閉じた。っていうか、おい。昨日の今日で噂かよ。どうなってるんだこの世界は。このクラスは。それと恋瀬川の有名人っぷりはすごいな、まったく。愛人も作れないのかよ、芸能人かよ。
「誰だ、そんなことを言っているのは」
「いや、誰って言うか。昨日屋上に上がっていく人がいたって噂が立って、普段立入禁止だからなにしてたんだろって話から、なんか九郎九坂が一緒にいたって噂で。そこで恋瀬川に告白していたんじゃないかって」
さすが。さすがは噂である。事実とぜんぜん違う。ちょっと見聞きしたことを誇大解釈しやがる。都合の良いように辻褄を合わせようとしやがる。だから俺も事実とは違うことを、ぜんぜん違うことを言うことにした。
「違う違う。ぜんぜん違う。俺は屋上になんて行っていない。あそこは鍵が掛かっていて、教師から借りないと駄目だろ。俺にそんな事できないよ。なに言ってるんだか。告白なら別のところでしたさ」
「告白したのか!?」
「なんだよ、悪いかよ」
「ど、どうだったんだよ」
香取はやや食い気味であった。興奮を抑えながら、冷静にあろうとしかしその興味本位は抑えられないようだった。
「なんだ、お前もそう言うの興味あるんだな」
「焦らすな。はぐらかさないでさ、どうなんだ」
「そうだな…………」
俺は恋瀬川の席を見た。そこには渡良瀬が談笑のために側にいた。少し恥ずかしそうに、こちらを伺っている。どうやら話が聞こえたようだ。なるほど、それならば。そうならば。
「結果は……大成功。まあ、嘘かホントかみたいなこと言うと、実はラブレターを貰ったのは俺の方なんだがな」
香取は驚いた。男子一同も驚いた。わっ、となった。噂好きの女子もきゃーきゃーと、恋瀬川に群がる。
理由はとか、きっかけはとか、しかしこれがうるさくなる一方だ。生徒会の手伝いしてたからな、なんとなくそんな感じだと適当に答えていた。
「あまり騒がないでくれ。適当に放っといてくれよ、やかましい」
俺は結果だけ言った。渡良瀬のことは、屋上のことは秘密にした。事実は曲げられて、真実は隠される。しかし結論だけが露呈し、群衆の間を跳梁跋扈する。
渡良瀬は笑っていた。恋瀬川はどうして良いのかわからないように、照れていた。そんな二人の表情は初めてだった。俺は群がる男子の相手で精一杯。しかしまあ、こんな事があっても俺達の関係は、三人の事はきっと変わっても変わらない。大きく変化したが、それでも変わらないところは変わらないでそのまま続くのだろう。
俺は最初恋瀬川に憧れていたのだと思う。その振る舞いを見たときから、所作を見たときから、その孤高で、凛としていて、静かに美しく、寄る辺を必要とせずにひとりで歩くその姿に憧れていたのだと思う。最初出会ったときも、宿泊研修のときも、とある晩秋の昇降口のときも、クリスマスイベント、年明けの参拝、生徒会選挙、バレンタイン、今年の誕生日のサプライズ、それと夏祭りのときも、学祭での劇の共演、そして修学旅行。好きかどうかなんてのは、意識したのはそれこそあのラブレターを貰ってからだ。それまでは憧れだった。そして一生敵わないな、とそう思っていた。今もそれは変わらない。たぶん敵わない。敵うところがない。俺が彼女にできることなんてのはたぶん何もないし、何もできないだろう。彼女が俺のことを好きだと言うならば、まあ、傍にいてやることくらいしか、俺にはできないだろうし、思いつかないのであった。
クラスは担任がホームルームで来るまで騒がしかった。大垣先生も実際、クラスに入った時「騒がしいな」と、呟いたほどであった。男子共は学年一の美少女となんて、一体なにをしたんだとか、あの秀才だぞとか、超有名人なのにどうやってとか、そんな事を言っていた気がする。まあ、あいつに憧れていたのは俺だけではなかったことが分かった。
放課後になる頃には落ち着いて、と思ったが今度は他クラスからの視線に晒されることになった。恋瀬川凛雨がいかに有名人で、すごいやつだったかがわかる。さすが生徒会長。俺まで有名人になったような気分だぜ。最悪の気分だ。
「先輩! ちょっと」
俺は図書委員の仕事のために、図書準備室へ向かおうとしていたのだが、途中で碓氷に捕まった。
「なに? 俺忙しいんだけど」
「そんなことより。なんですか、恋瀬川さんと付き合うって。自分だけちゃっかり!」
「修学旅行のときに、お前と会った三人のあの雰囲気のときには既に告白されてたんだよ。その答えを昨日出した。それだけだ。お前も頑張って香取射止めろよ、じゃあな」
「ちょっと!」
「な、なに。なんだよ、もう。いいじゃないか、これ以上聞くことある? 噂は大体が嘘で、結果だけが本当だ。これでいいか?」
「良くないです、良く、無いです」
「なんだよ、それ。まさかお前まで俺のこと好きとか言うんじゃないだろうな?」
俺は百割冗談でそう言ってみたが、返事が来ない。あ、あれ?
「先輩……」
「な、なんだよ」
ふっ、ふふ……。
「……ばーか、ばーか。せいぜい幸せになってろ。あ、あとまた見かけたら声掛けますからね、じゃあね、バイバイ!」
碓氷は捲し立てるようにそう言うと、あっという間に去っていった。何がしたかったんだ、あいつは。
俺は良くわからないままに彼女を見送り、また背中を丸めるようにして目的地へ向かった。俺も知り合いが随分と増えたものだ。友人も一人できたし、恋人もできた。俺の中学生活、これ以上なにを望むんだってくらいの成績なんじゃないかとそう思ってしまって、思ったから駄目だった。理想の自分とは程遠いことを、知ってしまったからだ。現状の自分も良しとしてまうことを、受け入れてしまう自分がいることを肯定してしまっていたからだ。
ひとりぼっちで、孤独愛する端くれのような存在の自分はどこに行ってしまったのだろうか。余りとしての誇りを、俺はまだ残しているだろうか。少なくとも去年のような尖ってる自分はいないかもしれない。そう、危機感を覚えた一日でもあった。
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