第68話 既に決まっている覚悟を覚悟とは言わない

「こ、こんにちは。お邪魔しております」


「おお、君が噂の若い子か。いや、すごいまだまだじゃないか。中学生くらいか?」


「はい、今は中学三年生です」


「じゃあ、まだバイク乗れないな。あれは十六からだから」


「そ、そうですね。……バイク乗れないと駄目ですか?」


「ガハハハ、いや、そんなことは無い。チャリンコでも、全然できるよ。冬は少し大変かもしれないがね」



 それから笑ったあと、「おおっと」とそのおじい様は時計を見て言って、一礼した。



「これはこれは、ちょっとお邪魔しましたな。失礼しました。私は、奥で作業してるので」


「ええ、分かりました社長」



 社長さんが奥の部屋に入り、扉を閉めると、俺と吉川店長さんとの二人に戻る。



「今のは中村社長。販売店の社長。とても良い人だよ」



 さて、そろそろ始めようか。



 パワーポイントを使ってのプレゼンテーションが、会社説明会がこうして始まったのであった。










 ※ ※ ※







「夕刊見ていく?」



 その日はちょうど夕刊の時間の頃に説明会が終わった。夕刊にはチラシを入れることが少なく、月に一回くらいだと言うが、今日はその日であるようであった。チラシは一枚だった。束になっておらず、ただ一枚の薄い紙を薄い夕刊紙に挟めていく。社員やアルバイトだと紹介してくれた人は皆、その作業をしていた。



 その手さばきは鮮やかであった。



 まず、夕刊を束にして置き、その横にチラシの束を置く。夕刊を一瞬開いたと思ったら、その隙間にチラシを挟める。それを高速で。一秒間に十数枚という数が出来上がっていき、一分で一つの山が出来上がった。社員から渡されたそれはアルバイトが手にとって、そしてバイクで出掛けていった。



「朝刊だともう少し速いけどね」


「えっ、速いんですか」


「うん、束になって複数枚だから逆にやりやすいんだよ。夕刊は一枚だから、それこそ逆にやりにくい。まあ、社員さんは皆あれくらいかそれより速くやるからね。九郎九坂くんも入社したら、あれくらいはできてもらわないと(笑)」


「ははは」



 俺は笑って誤魔化したが、しかしあれはどう見ても熟練の技だ。少なくとも半年とか、一年は最低限掛かるだろう。



 社員さんたちは準備をアルバイトさんの分を含めて全てさっと終えると、吉川店長さんに手で行ってきますの合図をして、そしてバイクで出掛けていった。



「まあ、一旦資料とか持ち帰ってもらって、考えてもらって。それで、まだうちに興味あったら今度は夕刊配達とか、ポスティングとかやってもらおうかな。さっきも言ったけど、若い子には、いや君だからかな。九郎九坂くんにはちょっと期待しているんだ。興味持ってくれるだけで嬉しく思うし、こんな業界だしね。説明した通り、出勤する朝は二時集合。ちょっとどころじゃなく早い。新聞の受け入れとか、チラシ入れとか色々あるからね。三時半から四時に配達を始めて、六時過ぎに戻る。片付けや掃除をして七時に一回帰宅。午後二時にまた出社して今度はさっきの夕刊。夕刊のあとは営業。新聞の営業。実は販売店はこれが本業。まあ、夜は七時くらいで帰宅になるかな。朝当番とか、朝無しの日勤とか、色々不規則になりがちだけど、やる気と覚悟があれば、基本的には大丈夫だよ」


「はい、わかりました」



 俺は急に現実味を、リアリティある現実を感じていた。心臓がバクバクするような、緊張しているような、身が引き締まる用な、グッと敬礼でもしそうな、そんな現実を感じていた。俺は一生ここで働いて行くのではないか、覚悟を決めるべきではないか、そう思ったが、いやしかし、既に決まっている覚悟を覚悟とは言わない。それは責任というのだ。自分の言葉と行動に責任を持つ。ただ、それだけだ。



「本日はお時間いただき、ありがとうございました」


「まあ、そんなにかしこまらなくても。またおいでよ」



 事務員さんにも挨拶をする。



「お邪魔いたしました」


「また遊びにいらっしゃい。いろいろと教えてあげるから」



 俺は見送られて、そして徒歩で帰って行った。なんか、いろいろと頑張らなきゃなと、素直に自分自身を改める思いで、そう思いながら帰路へと着いたのだった。



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