第15話 当たり前の勘違い
翌朝。
俺が自分の部屋から起きてリビングに来たとき、母親はすでに仕事へでかけていた。俺はテーブルの上の朝食を手に取る。朝は少食で、ほとんど食べないんだが、妹にはあれ食べろこれ食べろと小うるさく言われることが多い。しかし食欲が起きないのはどうしようもない。食パンが一枚あれば、それを焼いて食べればそれでいい。だから今日もパン一枚だった。
テレビをつけて見ていると、生徒会長が映った。地域のニュースのコーナーで代表として話していた。俺みたいなアホは、そもそも学校にテレビが来ていたことすら知らなかった。内容はもうすぐ学祭だとか、そんなことを話していた。それらしいことを、それっぽく、それなりに話していたと思う。そんな彼女を見て、俺はまた勘違いをしてしまっていたのではないか、そう思った。
そう。勘違い。
たとえばさ、そう、たとえば。たとえば、今の時代は自分が有名人じゃないのに、有名人気取りな奴が多い時代じゃないか。ネットやらエスエヌエスで少し人気でチヤホヤされて、お小遣い程度の小銭を稼いで勘違いして。そう、勘違いしてるやつが世の中多いんだよ。自分を勘違いしている。何かいい人間であるかのように、出来た人間であるかのように勘違いしている。歳食った老人も、働き盛りのキャリアマンも、青春を謳歌してばかりの高校生も、ガキではないがまだまだ子供でしかない中学生も。みんなみんな勘違いしている。自分を大きく見積もりすぎてる。自分を大それたやつだと、そう思っている奴らばかりだ。しかし、その大半は気がついていないんだよ。それに気づいていない。残念なことに、どうしようもないことに、自分自身を勘違いしているんだってことに気がついていない。俺は彼女もどこかで出来た人間じゃないかって、思っていたかもしれない。思い込んでいたように思う。
でも、それはみんなそうさ。そうなんだ。だからそれは概ね悪いことじゃない。普通のことなんだ。そう、それは普通のこと。
俺は自分がどうしようもないやつだって知っている。残念な人間で、出来損ないで、悲観ばかりして、愚痴とか悪口とか逃げ口とか、そんな捻くれた考えと言葉で人間を嫌い、他人を避け、自分ひとりで生きようとしていた。生きたかった。生きていたかった。一人のほうがずっと楽で、苦労しなくて、何もなくて、何もないから楽しくなくて、孤独を選んだのだからそういうものなんだ、仕方ないんだってそう思ってた。他人と大差ない、大したことのない人間であるにも関わらず、それを知っているにも関わらず、俺は他人とは違うんだって、そんなことを考えるんだ。
そんな俺にも一生の恩を返さないといけない人がいる。
俺は幼い頃に病気で母を亡くして、父親に引きずられながら生きてきた。小学生三年になる頃に父が再婚して、新しい母親とその連れ子の、二つ年下の、腹違いのいわゆる義理の妹ができた。そしてそのすぐ後に父が母と同じ病で亡くなった。両親を共になくして塞ぎ込んで、他人を拒絶し一人でいたいと、孤独でありたいと引っ込んでいた俺に構ってくれてのが今の新しい母親と妹だった。俺は部屋にこもり、布団を被り、会話さえ拒絶していたが、それでも世話をしてくれた。小学校にも行かなくなったが、それでも見捨てないでいてくれた。
そんなある日、たぶん五年次の夏休み。まあ、毎日が夏休み状態だったわけだが、その夏休みに旅行した。場所は道内のとある有名なところ。そこは夏にはひまわり畑になっていて、一面とてもきれいなひまわりが咲くところなんだ。俺はそんなところを知らなかった。生まれてはじめて知った。すごく胸を打たれて、人並みに感動して、そして、そしてわんわん泣いた。泣きまくった。両親を亡くして初めて、始めて泣いた。それから俺は聞いたんだ、母親と妹に。なんでこんなにも俺のことを構うんだ、って。そうしたら二人とも、
「家族だから」
そう、言うんだ。俺にはそれだけで十分だった。最高に嬉しかった。有り難かった。ありがとうって、ずっと言った。今でも言ってる。俺は一生掛けてこれから恩を返さないといけない。そう自分に決めた。だから中学を出たら進学せずに就職するつもりでいる。今も時々、仕事を、働けそうなところを自分で探している。妹の為なら生きていける。妹の為なら死ぬこともできる。母の為なら苦労することができる。困難を乗り越えられる。母のためになるなら、なんだってしたい。俺はそう思っている。
そしてそれは当たり前の感情で、当たり前の考えだった。
当たり前。そんな当たり前の俺に、そんな俺にできることは何だ。その程度の、当たり前の、人間なら誰でも当てはまるようなそんな何でもない、何者でもない俺が出来ることは。テレビにも出ていない。エスエヌエスで人気者になることもない。部活動で主将をすることもない、慕われることも頼りにされることもない。一人で。孤独で。いつも端っこの隅の方にいて。
俺は食後のコーヒーのためにお湯を沸かそうと、電気ポットに水を入れてスイッチを入れた。
「やっぱ、これしかないよな」
インスタントコーヒーの粉をマグカップに入れると、お湯が沸くのを友人が映るテレビを見ながら待つのだった。
※ ※ ※
「やあ、香取委員長さん。結果を言いに来たよ」
「おはよう、九郎九坂くん。それで、僕たちのお願いは聞いてくれたかな」
俺は八組の教室入り口にいた。俺と香取が話していると、やがて八組のクラスの連中もぞろぞろと集まってきた。みんな結果が気になるらしい。では、教えよう。その結果を。
「いや、残念だ。残念ながら、それはできない。生徒会の決定は覆らない」
「それじゃあーー」
「まあ、そう焦るな。何も生徒会は喫茶店の模擬店を開くことに反対はしていないんだ。家庭科室の使用を許可できないだけであって」
「なんだよ、それ!」
「意味ないじゃん!」
「生徒の為の生徒会じゃないの!」
…………俺は手伝いであって、生徒会役員じゃないんだが。そんな文句を言われてもしょうがない。
「ま、まあ待て」
香取が怒るクラスメイトを抑える。そして尋ねる。
「九郎九坂くん。家庭科室を使わないで、喫茶店をやる。そう言うのかい」
「ああ、そのとおりだよ香取委員長さん」
「それは無理難題ではないのか?」
「知恵を回せよ、委員長。じゃあ、特別だ。これは八組のために特別に取ってきた許可だ」
「……電気湯沸器使用許可?」
「コンセントから延長コード引っ張ってきて、使用許可アンペア以内で使えよ。学祭の予算で買えば、何個か買えるだろ。それでインスタントコーヒーでも作ればいいさ」
そこにクラスメイトからやじが飛ぶ。
「そんな! そんな適当な!」
俺は教室の中に入り、反論する。
「中学の学祭に何求めてんだよ、おい。なあ、手作り料理なんか出すか? 普通。料理学校とか、調理学校ならまだしも。ここは公立の中学で、予算も出ないやれることも限られてる。そういう学祭なんだよ。なあ、あまりわがまま言うな。そういうのを自己中心的、ジコチューっていうんだぜ? それともなんだ、それでも何かーー」
「よせ。よせって。分かった、分かったから」
香取が止めに入る。まあ、俺はこいつが止めに入ることも予測に入れていての行動だったわけだけど。
「九郎九坂。この許可証はありがたく使わせてもらうよ。あとは君の言った通り知恵を出すよ」
「……悪かった。少し感情的になった」
「なんとも。お互い様さ」
握手を求めてきた。なんと、そこまでは考えていなかったが、まあ、仕方ない。空気を読むのはぼっちにおける百の特技の内の一つだからな。
イケメンで、かっこよくて、長身で、爽やかで。誰からも信頼されているような、そんなやつ。そんな奴思われているだけで、実際にはいるわけないのになって思いながら俺は握手をした。
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