第19話 番外編 悪阻の日々と愛しい我が子



▫︎◇▫︎


 ネージュが身籠ったのは、王国に起こった革命が終わった僅か1年後だった。


 怒涛の毎日が過ぎる中、ネージュは日々起こる変調に耐えながら、オリオンの献身的な助けのもと、どうにか政務に勤しんでいた。


[ネージュ、このくらいならあとは僕がやっておくから、少し仮眠をとっておいで]


 執務室で彼に頭を撫でながら言われても、ネージュはあくびを噛み殺して首を横に振る。

 日々起こる変調は、ネージュの心に不安と恐怖を生んでいた。だからこそ、ネージュにとってこの世の全てである彼のそばを離れることを、最近は今までに増してとても嫌がっていた。


[オリーのそばじゃなきゃ嫌なの]


 最近は無理が祟って発音を考えながら意図的に声を出すことも疲れて、彼の好意に甘えて手話ばかりを使ってしまっている。


[………じゃあ、カウチに座ってお仕事をするから、僕のお膝に座って眠るかい?そうしたら、眠ってくれるかい?]


 最近お決まりになってきた彼の言葉に嬉しくなって満面の笑みで頷いて、ネージュは悪阻が酷くなってから彼が用意してくれた大きなカウチに、慎重に向かう。先に座っていた彼のお膝に頭を乗せるようにしてねっ転がると、ネージュはあっという間に睡魔に襲われてしまう。


 妊娠をすると睡眠時間が増えると聞いていたが、まさかこんなにも眠たくなってお仕事にならないとは思ってもみなかった。

 重たくて、痛くて、辛くて、気持ち悪くて、ネージュは大きくなったお腹を撫でながら、ぎゅっと丸まる。

 不安そうな彼の表情に頑張らなくちゃと思っても、あまりの辛さに心が音をあげていた。


 お昼のぽかぽかとした暖かい陽気に当てられながら、うつらうつらとしていると、彼のくちびるが動いた。


《ごめんね、ネージュ》

「?」


 なぜ謝るのか分からなくて、ネージュは首を傾げた。


《こんなにしんどい思いをさせることになるなんて、思ってもみなかった。ごめんね、ネージュ。ごめん》

「………気にしなくていいって言っても、気になるよね」


 ぐっとくちびるを噛み締める彼に、なんて言えばいいのかネージュは必死に考える。

 本当に本当に眠たくて、思考は上手くまとまらない。でも、だからこそ、いつもしたためている恋文のように、本音が口を滑り落ちた。


「しんどいのは事実だよ。痛いし、苦しいし、重たいし、体調は最悪。ご飯もまともに食べられないし、お仕事もできない。普通はこんなことになったら、赤ちゃんが憎らしく思えそうなんだけどね、でもね。………可愛いの。本当に本当に、可愛いの。会えるのが楽しみなの。だからね、オリーにも幸せに思って欲しいの。可愛いって思って欲しいの。私が1番だって豪語しちゃうオリーにとったら、この子は今あんまり可愛いって思えないかもしれない。でも、可愛いって思って欲しいの。私とオリーの可愛い可愛い赤ちゃんを」


 ふわっと笑うと、彼は泣きそうに顔を歪めてぎゅっとネージュを抱きしめた。


《僕も可愛いって思ってる。ちゃんと思ってる。でも、僕にとってはやっぱり、ネージュが1番だから》

「うん」


 ネージュは、ふわふわとくらげのように揺れる夢の中に落ちていった。


▫︎◇▫︎


「お母さま!!」


 最近、夢の中で1人の少女に出会う。

 オリオンそっくりの鮮やかな金髪に、ネージュそっくりの氷色の瞳。オリオンとネージュのいいところをめいいっぱい集めたような可愛らしい容姿をした少女は、いつもお転婆にネージュの元に走ってきてくれる。

 真っ直ぐな金髪の上には可愛らしいピンクダイヤがふんだんに使われたプラチナのティアラが乗っていて、ドレスも可愛いパステルピンクのものだ。


「あのねあのね、しんどい思いをさせてごめんなさい。でもね、エリーはね、お母さまのこと、大好きだよ!!」


 夢だからか耳から拾うことのできる音に目を細めると、エリーと言った少女は、ぎゅっとネージュに抱きつく。暖かな温もりに身を任せていると、ネージュは痛みによって現実世界へと引っ張られた。


▫︎◇▫︎


「うぐっ、はぁー、はぁー、」

[ネージュ!?医者っ!医者を呼んでくれ!!]


 目の前で慌てた顔のオリオンが何やら騒いでいる。

 身体中に汗がべっとりとついているネージュは、それでも魔法を使って彼と揃いの本を自らに引き寄せる。

 彼が止めようとしてくるが、そんなものは関係ない。


(記さないと。あの子のことを。可愛い可愛い我が子のことを)


 最近、ネージュはオリオンに夢の少女のことを恋文にしたためることで教えている。エリーという名前については教えていないけれど、あの子のことについては教えていた。

 この世界では強い魔力を持つ子供は、稀に母親の夢の中に訪れるという現象を起こしていた。

 ネージュは我が子がそれほどまでの力を持っているという事実に恐怖と喜びを感じていた。この子の力は悪用させないと決意すると共に、オリオンや自分と同じように沢山の幸せを呼ぶ魔法を使えるのではないかと思った。


〜〜〜


 愛しのオリーへ


 今日もね、あの子にあったの。

 とってもとっても可愛い私とあなたの子。

 大好きだって言ってくれたわ。

 私もね、あなたの子だからかとても可愛くて可愛くて仕方がないの。

 両親に愛されなくて、子供に不安を感じていた頃が嘘みたいだわ。


 愛しているわ、オリー。

 元気な子供を産んでくるわね。


 あなたの妻、ネージュ


〜〜〜


 自らが産期に向かっていることを気づいているネージュは、お母さんになる前の最後の恋文をしたためた。

 彼は恋文を読んでから涙ぐんで、ぐっとペンを握った。


〜〜〜


 いってらっしゃい、愛しのネージュ


〜〜〜


 たった1行がとても嬉しくて、ネージュはにっこり笑った。

 彼にチュッとキスをされてお別れをしたネージュは、想像を絶する痛みと2日間戦うことになった。

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