第15話
▫︎◇▫︎
やっとのことではじめての夜会を終え、ネージュはお部屋に戻りドレスを脱いでふわふわと真っ白なクラゲのように裾が揺れるネグリジェに着替えた。
ふらふらとした足取りでふかふかのベッドにダイブして、ネージュはぽろぽろと流れる涙と共に溢れ出る嗚咽を我慢した。
どのくらいの時間が経っただろうか。
濃紺の空が漆黒に染まった頃、目を真っ赤にして呼吸を落ち着けたネージュはのそのそと布団から外に出た。肌触りのいいカシミヤのストールを羽織り、ネージュは美しい本を抱きしめた。
オリオンからもらった美しい宝石の嵌め込まれた本は、ネージュの本当に本当に大事な宝物だ。ぎゅっと抱きしめてから背表紙を優しく撫でて、ペンを握りしめてからお部屋の端にある木彫りの美しい扉の前に向かう。
扉の前にやってきてからトスンと座り込んだネージュは、扉に背中を預けて、ぱらぱらと本を開いた。最後に書いたのは昨日の夜なのに、もうとても長い時間が経ったかのような気分だ。
ペンを手に取って、インクをたっぷりと含んだペン先を美しい真っ白な紙の上に滑らせる。
愛しの彼に、恋文をしたためるために。
〜〜〜
大好きなオリオンへ
デビュタント、お疲れ様。
私、とっても疲れちゃった。
オリーもとっても疲れたよね?最後の方、表情が崩れてたよ。
ねえ、どうしてあんな酷いことが簡単に言えるのかな。
どうして、人の心に土足で踏み込めるのかな。
私には分からないよ。
ねえ、どうして私の世界には音がないのかな。
どうして、私はみんなにできる当たり前が出来ないのかな。
どうして、私はあなたの隣に並び立つのに相応しくいられないのかな。
どうして、私の努力は嘲笑われるのかな。
◼️が欲しい。
父公爵にも認められなかった私には、きっと無理だよね。求めちゃいけないよね。
ねえ、オリー。
私の我が儘を書いていい?
正しさよりも優しさが欲しいの。 君からだけでいいから、正しさよりも優しさが欲しいの。
あなたを愛しているの。
狂おしいほどに、愛しているの。
ねえ、助けて。
助けてよ、オリー。
ネージュ
〜〜〜
書いてから気がついた部分を黒塗りにして、けれど今まで吐かないようにしていた弱音しか書いていない文章に悪寒が走ってすぐにページを破ろうとして、けれど彼の方も本を開いているのかすぐに既読されてしまった。
扉の奥からはふわふわした彼の魔力の気配がする。
多分、彼はネージュと同じく1枚の扉越しに恋文をしたためているのだろう。
言葉など何も欲しくないほどに悲しみに凍てつく寒い冬の夜でも、彼はネージュの側であれこれと考えてくれる。雪が溶けても残ってるように、確かに足跡を残して、ネージュの心に触れてくる。
長い長い時間が経って、やっとのことで返事が返ってきた。
紙にはたった一言だけが綴られていた。
『愛してる』
ネージュの頬にさっと赤みがさして、ネージュはふにゃっと微笑んだ。
それだけで、たった一言で、ネージュの今日の苦労は、悲しみは、吹き飛んでいった。
言葉はまるで雪の結晶のようで、愛しい彼にプレゼントしたとしても時間が経ってしまえば大抵は記憶から溢れ落ちて、淡く儚く溶けて消えてしまう。
でも、ネージュたちには絶えずにしたため続けたこの本がある。
思い返した時、不意に目をやる時、ネージュは彼の胸を震わすものを探し続けたい。
背中を預けていた扉が唐突に開いて、ネージュの身体が後ろへと倒れる。
(!!)
後ろからぎゅっと抱きしめられて、彼のくちびるが耳につけられる。
ふっと寄せられる息とリズムが言葉を運んでくれる。
「ネージュ、愛してる」
愛おしい彼の声は聞こえない。
幼き頃に聞いた声よりも低くなったであろう音は分からない。
でも、それでも、彼の全てを愛している。
言葉では表せないほどに、愛しているというたった一言の言葉では言い表せない程に、ネージュは彼を愛している。
「私も、オリーを愛してる」
(愛してるよりも私の愛があなたに届くまで、もう少しだけ待って)
彼のくちびるとネージュのくちびるが、真っ白な雪と三日月が織りなす白銀の世界が見守る白亜の城の中で、確かに重なった。
ーーー難聴令嬢であるネージュは、今日も愛しの王子に向けて初々しい恋文をしたためる。愛しの彼に、愛していよりも愛を届けるために。
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