1話 心のひび
したしたと雨が降り続く。
静かに意識が遠のく中、僕はすべてを失った。
秋頃、行方市の病院で1人の男の子が生まれた。
「元気に生まれてきてくれて…本当に…ありがとう」
母は安心した声でそう呟いた。
「はぁ…はぁ…佳代子!大丈夫か?」
父の尚斗は髪も服もぐちゃぐちゃで、母の居る病室へ走ってきた。
「あなた!とても愛らしい子よ」
「あ、あぁ!」
父は今にも泣きそうな顔をしていた。
「この子の名前どうする?」
「そうだな…いざと言うと迷うものだな…」
父は眉間にシワを寄せ考え込んだ。
「渉はどうかしら?」
母は微笑みながら言った。
「どうして渉なんだ?」
父は不思議そうに母を見た。
「どんな苦難や壁があっても船で川を渉ように乗り越えて欲しいという意味を込めたのだけれど、そのまま過ぎたかしら?」
母はクスクスと笑って言った。
「そんな事はないぞ?とても素敵な名前だ!」
「なら、渉に決まりね!」
そうして渉はすくすくと育ち6年が経った。
そして渉は家の近くの小学校に入学することになった。
最初は初めての環境で母は渉のことが少し心配だった。
渉はあまり周りに馴染めず、学校が楽しくなさそうだった。
そんなある日教室の隅で本を読んでいると1人の穏やかな性格の男の子が喋りかけてくれた。
「ねぇねぇ!なんの本呼んでるの?」
「え?絵本読んでるんだ」
「絵本っていいよね〜」
「あ、あの!僕と友達になって欲しい…ダメかな?」
渉は俯いて言った。
「いいよ!俺は楓真!よろしくね!」
「うん!僕は渉!よろしく!」
それからはずっと本についてよく語り合い、よく遊ぶ親友と呼べる友達になった。
それからしばらく経ち小5の冬がやって来た。
「痛いよ!やめて…」
同じクラスの男の子が渉を殴ったり蹴ったりした。
僕は小4の時クラスのみんなから気持ち悪いと貶されるようになり、小5になってもずっといじめられた。
それでも唯一ずっと友達でいてくれたのは楓真だった。
楓真は渉をイジメる奴らから守ってくれた。
「渉をいじめるな!」
「楓真も渉のこと気持ち悪いって思わないのか?」
「1年からの友達だ!気持ち悪いなんて思わない!」
楓真は拳を握りしめ言った。
「もう行こうぜ〜」
いじめっ子達はスタスタと帰って行った。
「楓真は家大変なのになんで…僕なんか助けてくれるの?」
「確かに家も大変だけど、親友だから助けるのが当然だろ?」
楓真はニコッと笑いそう言った。
僕は楓真が心配だった。
楓真のお父さんはリストラされ職を失いお母さんは出て行ってしまい、いつも酒に酔ったお父さんに虐待を受けていた。
「楓真?頬の痣…本当に大丈夫なの…?心配だよ…」
「え?あ、あぁ…大丈夫だよ…」暗くとも楓真は絶対に泣かなかった。
そして2日後楓真は学校に来なくなった。
「先生…楓真は大丈夫なんですか?」
「楓真君の親御さんに電話をかけてるのだけれど、電話が繋がらないの…それで今日の夕方楓真君の家に訪問しようと思ってるわ」
「分かりました…」
そして次の日楓真の机には花が添えられていた。
楓真はお父さんの虐待に耐えられなくなって亡くなった。
そして楓真のお父さんは虐待が発覚し逮捕された。
「なんで、楓真が…?楓真…あの時にもっと早く気づいてあげれば…僕のせいだ…僕が悪いんだ…」
それからは楽しい事や悲しい事があっても何も感じなくなり1年が経った。
楽しくなくなった学校に行き帰って風呂に入って、ご飯を食べて寝るだけの日々ばかりで、生きることに飽きを感じていた。
「行ってきます…」
ギシギシと言わせて階段を下る。
「朝食は食べないの〜?」
「ごめん…今日も要らない。」
「そうなの?忘れ物はない?気をつけて行くのよ?行ってらっしゃい〜!」
母の慌ただしい声が家に響いた。
「あの子楓真君の事ずっと立ち直れないでいるのかしら…心配だわ…」
「そんな心配しなくても大丈夫だよ。時間が経てばまた明るくなってくれる。時間がきっと解決してくれる。」
父は母の肩に手を置きそう言った。
今日も何も無い一日が始まる。
「渉君…大丈夫?先生に相談出来ることならなんでも相談してね?」
先生は心配そうな顔をしていた。
僕は小さく呟くように言った。
「はい…」
下校時間になりぼくは帰る準備をし、ボロくなったランドセルを背負って下校した。
「た、ただいま…」
「大丈夫…?」
「大丈夫だよ。」
僕はスタスタと歩いて、お風呂に入る準備をし始めた。
「渉の為に何か出来ることは無いかしら…?」
「佳代子、俺達は渉の前では常に笑顔で居なきゃダメだぞ?俺達まで暗くなってどうするんだ?今日は渉の好きな唐揚げを作ってやろう。」
「そうね。私達まで暗くなったら渉に心配かけちゃうものね!」
母達はリビングで何か話している。
水の滴る音が少し心を落ち着かせた。
「そろそろ上がろうかな…」
僕は風呂から上がり体を拭いて髪をドライヤーで乾かしていた。
「渉〜?今日は渉の好きな唐揚げよ!」
「う、うん…ありがとう。」
「出来上がるまで時間かかるからそれまで少し待っててね〜」
「うん…」
渉はいつまでも返事をするだけだった。
どんなに楽しい事があっても無表情で何処か悲しげで、いつも俯いていた。
「渉〜?出来たわよ〜!」
聞き慣れた声が聞こえる。
暗くなった階段をゆっくり踏みしめリビングへ向かった。「いただきます…」
渉は感想も言わずただひたすらに無言で食事をしていた。
父は唐揚げをつまみながらビールを飲んでいた。
「渉?最近学校はどうなの?」
「学校…?あぁ、学校はた、楽しいよ…」
渉は母に心配をかけまいと下手な嘘をついた。
母はずっと僕に喋りかけてくれた。
「ごめん…僕そろそろ寝るね…ご馳走様。それとおやすみ…」
「おやすみなさい!ゆっくり体休めてね?」
「う、うん…」
僕は自室に戻り布団に横になった。
僕は母のあの笑顔が気になって眠れなかった。
眠れない僕は窓の縁に座って夜空を見上げた。
「なんでこんなに胸が痛いんだろう。今ここで飛び降りればきっと会えるのかな。それは出来ないな…お母さんはずっと笑顔なのに僕はずっと…無口で…楓真…もうどうしたらいいか分からないよ…戻って来てよ…」
今まで心にしまっていた感情が溢れ出し、僕は初めて心の雨を降らした。
泣き疲れた僕は知らないうちに寝ていた。
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