第12話 親と子

 騒音を切り裂くような発砲音。

 バン、と小さく短い音は意識するより先に現実を教えてくれた。リファがまず見たものはピストルを構えたロエルスン卿の姿。さっきまでの余裕があり笑っている姿ではない。

 冷徹に目標を定め銃口を向けている。

 何に?

 それに気づいたときリファの全身から一気に血の気が引いていくのがわかった。この状況下において引き金を引かれる存在は二人しかいない。

そして、自分に銃口は向いていない。

なら、答えは出ている。


「お義母さん!」


 気づいたときにはすぐ横を振り返っていた。

 大切な母、いつまでも元気でいてほしいと願った母はそこにいた。しかし、胸に小さな穴をあけている。本人は時が止まったように固まっていた。しかし、傷跡からどくどくと血が溢れだす。


「リファ……」


「あぁああ……お義母さんッ!」


 慌てて駆け寄るとオーラの胸に手を当てて必死に血を止めようとする。しかし、一向に血が止まる様子はない。

背中に貫通した様子はない。

小さな傷跡のはずなのに血量が多い。

 心臓に近い部分を撃たれてしまった。大きな血管が傷ついたのだ。

 急がないと!

 命が、零れていく。


「まったく吾輩の気分を害するとは万死に値するぞ。女、吾輩は寛容だ。気分がいいなら多少の意見も許そう。しかし、気分を害するな。たかが下自民が、神に逆らうというのか」


 雰囲気が変わったロエルスン卿。

 血走った目にピストルを握る手も力んでいるのがわかる。

 油断をした。

 リファは悟った。

 世界貴族とは身分だけに溺れた我儘で傲慢な存在だと思っていた。いや、それは間違っていない。ただ誤算だったのは、彼らにとって一般市民の命なんて、その辺に転がっている石と同じ。

 気まぐれで拾い集めることもあれば、気まぐれで蹴とばすことだってある。

 それに気づいたとき、目の前にいるロエルスン卿とニブレが急に怖く思えた。圧倒的強者が目の前にいる絶望。それは抵抗する気力を奪うには十分すぎた。


「リファ、あたしは大丈夫だよ」


「お義母さん、しゃべらないで!」


 息を荒くしオーラが小さく話す。しかし、胸の銃傷は完全に致命傷だ。


「あたしは少し嬉しいんだよ。こんな時代さ。貧困や戦争で子が親より先に死んでしまうことだって珍しくない。そんな中、どうもあたしは先に死ねるみたいさね。……それが嬉しいんさ」


「そんなこと言わないでよ!」


「ごふっ!」


 はあ、はあ、と息を荒げ、ゆっくりと整える。


「なあ、世界貴族の人。あんたはそれでいいんかい? 自分が気に入らないからと言って壊して薙ぎ払って、王宮も同じさね。自国民を何だと思っているんさね。どれだけ権力をもって、どれだけ立場が上でも、支えてくれる人がいなければ紙屑よりも下ね。はっきりわかったよ。世界貴族もこのファーガルニ王国もすぐになくなってしまうよ。それを見届けられないのがもったいないね」


 バン、バン!

 さらに二発銃声が部屋に響く。

 無抵抗のオーラの左肩とわき腹が続けて撃たれた。銃口から煙を上げて表情を変えることなくロエルスン卿が見据える。


「この女、ロエルスン卿に何を! そして、王国すらも侮辱するとはここは余が鉄槌を!」


 ニブレも懐からピストルを取り出すと撃鉄を引き上げて構える。


「よせ、ニブレ。貴様が手を出すことは許さん」


「しかし、我が国の住人が世界貴族様に無礼を働いたのです。わが国で処分しなければ筋が通りませぬ」


「聞こえなかったのか、吾輩はやめろ、と言ったんだ」


「――ッ! ……申し訳ありません。世界貴族辺境伯様に大変無礼な態度をとってしまいました。どうか寛容な処分をお願い申し上げます」


「よい、貴様は不問とする」


「はっ、ご厚意に感謝いたします」


 片膝をついて傅くニブレに足に一発撃つ。無情な音が響くがニブレは一切表情を崩すことはない。


「それでよいだろう。貴様とて何もなければ負い目を感じてしまうからな」


「はい、ありがとうございます」


 高級そうな革靴から血が滲む。頭を上げることなくそのままだ。


「ロエルスン卿、それでどうされますか?」


「うむ、そうじゃの。興がそれた。もうよい。我が妻にしたい気持ちは残っておるが、世界政府に弓弾く思考を持っている者の義とはいえ娘を我が手中に収めるのは気分が悪い」


「それでは処分ですか」


「む……」


 傅いたままニブレが問うとロエルスン卿は顎に手を当てて少し考える。その隙をついてオーラがリファに耳打ちをした。


「リファ、逃げなさい。外にも騎士がいるから逃げられる可能性はかなり低いけど、何もしないよりはマシさね。最後に迷惑をかけてしまって本当、情けない母親ですまないね」


「嫌、嫌よ。お義母さん……」


「駄目さね、せっかくの化粧がはがれていくじゃないのかい。可愛い顔が台無しだよ」


「そんなのいらない。ただ、静かに暮らせれば」


「子はいつか親元から離れる。それが今だけだった話さね」


 オーラの呼吸は落ち着きを見せたが、次第に弱くなっていく。流れ出す血がなくなってきたが、止血ができたわけではない。ただ、流れ出す血がなくなってきただけ。


「大王に少しでも危害を加える分子は排除するのが決まりだが、それでもあの美貌は失うには惜しい。そうじゃな。首から上があればいい。確か、ファーストエージェントの一人の魔女が――」


「卿?」


「おい」


「はっ」


 一人で納得するとロエルスン卿は横に控えるエージェントに一声かけると、それだけで理解したように剣を取り出して差し出す。

それを無言のまま抜くと上段に構えた。


「世界政府に逆らった罰は吾輩が下そう。死にかけの女はそのままでよいか、じき死ぬ。可愛いリファはもったいない。首を切断し永久に吾輩の鑑賞物にしよう」


 言い切った瞬間、ロエルスン卿は強く踏み込んで一気に距離を詰めてきた。そのまま上段から一気に振りぬく。すでに感情が崩壊しているリファに防ぐ手立てはない。銀色に淡く濡れる刀身が迷いなく首に近づく。

 ぶくぶく肥え太った中年男性だが、それでも剣術は習ってきたのか冴えわたっている。

 オーラは死ぬ。

 これは確定だ。

 なら、もういいんじゃないのか。

 このまま切られて死んでも悔いはない。

 迫りくる運命に抗うことはやめた。ただ、首に迫る凶刃をおとなしく受け止めよう。


 ――しかし。


「駄目さね。親よりも気に死ぬのは許さんさ」


 強く肩が押された。

 それがオーラだとわかった。

 自分のいたところに突き飛ばしたオーラが来る。突き飛ばされた影響でリファは凶刃の射程範囲から逃れたが身を挺したオーラは背中を横に斬られてしまう。


「ぐはっ」


 勢いそのままリファのほうへ倒れてくる。返り血でリファも赤く染まっているが、そんなことを気にしている余裕はない。


「ちっ、やり損ねたか」


 剣を振り払ってついた血を払う。人を斬ったことに一切の感情の変化が見られない。不必要なごみを処分するような当たり前にように行った。


「どうしてそんなことができるんですか!?」


「なにが言いたいんだい?」


「同じ人なのに、争うなんて間違っています!」


「同じではない。吾輩は神の子である。人であって人ではない。世界すべての決定者。それが吾輩たちだ。正確に言えば直系の大王がそれにあたって辺境伯は分家筋だがな」


「わかりました。私がお嫁に行きます。だから、お義母さんを助けてください。もう会えなくてもいいです。だから――」


「もういい。君はいらない。当然、その女も死ねばいい。首から上があればいい」


 ロエルスン卿は横のエージェントに顎で指示を出すと、すべてを悟ったように瀕死のオーラを思いっきり蹴とばす。そうすることによってリファとの剣線上に邪魔するものがなくなった。


「親子仲良く揃っていけ。世界貴族に手にかかったとあの世で自慢するといい」


 もうだめだ。

 あきらめに似た境地に達したとき、光がさす。

 ミシミシと天井が軋んだと思ったら一気に崩れてくる。それはちょうど人が一人通れるくらいの大きさで天井が崩落してきてリファの前の前にがれきが降ってきた。

 幸い自分の目の前だったので木っ端だけが服に乗り髪についた。


「何が……」


 空から降ってきたのは黒と銀色。同じようについた木っ端を軽く払っている。銀色の髪の奥に銀色の瞳が怪しく光る。

 降ってきた瓦礫の山にロエルスン卿が押しつぶれているけど、そんなことを気にしている余裕はない。


「今日はさ、めでたい席だって聞いていたけど、さすがに銃声が聞こえればおかしいよね」


 そこに現れた銀色の影に全員の視線は奪われた。

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