耳長人の住居

 窓から侵入した部屋は書斎なのか図書室なのかは判断ができなかったが壁際に本棚が設置されており、ところどころ隙間はあるものの本が綺麗に並んでいた。


(そういえば、この世界の言葉について何も知らないぞ)


 スライムになってから耳がなくなってしまったせいなのか、それともスライムの構造上の問題なのか音が全く聞こえておらず、その状態に慣れてしまったため、今の今までこの世界の言葉に関心を寄せてこなかった。

 加えて、今まで出会った異世界の住人がゴブリン(不意遭遇かつ本格的に接触する前に絶命)と耳長人(目下観察中)を除くと馬鹿うましかだったり、蛇だったり、植物だったりとおよそ人の言葉と無縁な生物ばかりだったこともこの世界の言葉に関心を持たなかったことに拍車をかけたに違いない。

 そんな訳で、この目の前に並んでいる本が俺のこの世界の言葉との初めての接触ということになる。


(少し覗いてみるか)


 俺は本棚から比較的薄い本を一冊手に取り、開いてみた。

 紙質が良くないのか、スライムが本を捲りにくい体なのか、開くのに難儀したが。

 そこには案の定、俺が見たことのない、なんて読むのかすらわからない文字がずらっと並んでいた。


(これがこの世界の文字なのか)


 これが耳長人たちの母国語なのか、それとも外国の言語なのかすらわからない俺だったが、この世界で初めて見る文字は俺に何とも言い難い感動を与えてくれた。

 俺は読めずとも夢中になってページを捲り、あっという間に一冊を読み終えてしまった。

 だから気が付くことが遅れた。

 俺が本一冊を読み終えた満足感から脱力していると、ふいに影が差した。

 俺は即座に距離を取り、眼球の向きを180℃変えると影の正体と対峙した。

 俺の予想したとおり、そこにはこの部屋の主である、あの司令塔役を務めていた耳長人がいたのだった。


「Ы欺浬構ソⅨ―噂能蚕圭表?」


 勿論、俺には彼の声が聞こえないのでその場の雰囲気や彼の仕草などから彼が俺に何事かを尋ねていると思った。


「𡑮𠀋𠮟𡈽𡚴𡌛𡢽?」


「𣗄𠮟𡚴𡑮𣇄𡢽𥒎𡈽𣳾𠀋𡸴𡌛𣜿𣝣𤟱?」


「𠀋𡈽𡌛𡑮𡢽𠮟𡚴𡸴𣇄𣗄?」


 その後、数度にわたって言葉を彼は俺に向けて言っていた。

 俺はその都度、あっているかはわからないものの反応を返し、どうにかコミュニケーションが取れないものかと努力を試みた。

 彼は俺の意思表示を見るたびにニコニコと微笑み返してくれた。


(これは意思疎通ができている感じではないな)


 その微笑みはさながら人間がペットの犬猫や生後間もない赤ちゃんに向けるような眼差しで、到底こちらの意思表示や精一杯のボディイランゲージが通じているとは思えないものであった。

 なので、俺は早々に彼との意思疎通を諦めることにした。

 幸いにして彼は俺を攻撃したり、追い出したりといった行動は取らなかったし、俺が何の反応も返さないようにしても気分を害したりはしていないようであった。

 それどころか彼は部屋の扉を開けて、家の中を案内するような様子を見せ、俺がついていくと嬉しそうに微笑んだ。


 それから家の中の様々な場所を案内された。

 居間や台所は勿論のこと、彼の寝室だと思われるベッドの置かれた部屋やもう一つの書棚のある部屋、風呂場やトイレ、貯蔵庫?なども案内された。

 彼は終始嬉しそうに案内してくれた。

 俺の方は退屈しているのかというとそんなことは全くなく、木をくり貫いて造られた住居の一見して不思議な構造に興味を惹かれたり、前世とは趣の異なる家具や道具類を見てははしゃいでいた。

 彼はそんな俺の様子を見ても嬉しそうにしていた。


 部屋の案内を終え、居間へ戻ってから用意してくれた飲み物を頂きながら彼の膝の上で一息ついていると彼が唐突に俺に話しかけてきた。


姶挨阿哀亜娃愛唖葵逢𠀋うちに住む気はないかい?」


 俺にはその時彼の口からそう言われた気がした。

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