第20話 お願い

『まあまあ、立ち話もなんですから、中にお入りになって』


 奥様に勧められて、私とエリアス様は応接室へと通された。上品なスカーレット色の壁紙に囲まれたその部屋には、先程お庭で見た花が飾られている。


 実家であるチェルニー男爵家の応接室は、メイソン様の趣味で豪奢に飾り立てられていて落ち着かない。彼がうちで過ごすのは応接室が多いため、彼が安らげるようになっているからだ。


(そういえば、お姉様はともかく、メイソン様すら何も音沙汰が無い……)


 第二王子であるアクセル様の騎士団に容易に手出し出来ないのはわかるけど、狡猾なあの男が静かなのは逆に怖い。


「はい、どうぞ」


 ぶるりと身震いをしていると、奥様が目の前に紅茶を置いてくれた。


 私とエリアス様は奥様にお礼を言う。そして先程作業していた服装とは違うものの、ラフなシャツとズボンに着替えたアシル様が部屋に入って来た。


「待たせたね。それにしても驚いた。君には直接会ってお礼を言いたいと神殿に手紙を出したが、断られていたのでね」


 アシル様は苦笑いで頭をかきながら、向かいのソファーに腰を落とした。


 もちろん、姉の手柄になったことで、メイソン様が神殿側に私とアシル様が会わないよう手を回していた。メイソン様は神殿に多額の寄付をする筆頭貴族だった。


「せめて何かあったらいつでも力になる、と言付けたのだが……」


 アシル様の表情が固くなるのがわかった。


 姉とメイソン様は、アシルさまのそのご厚意を、騎士団の聖女派遣に姉が参加しなくてもいいように手を回してもらうことに使った。神官長が大聖女候補に何かあっては大変だ、と姉の派遣を拒む形も相まって、姉は魔物討伐の派遣に駆り出されることは無くなった。


「私は、あんなにも一生懸命に命を救ってくれた君が、騎士団にもう手を貸したくないのかとがっかりした。と同時に、まだ少女だった君が怖い現場に来たくない気持ちもわかった。だから……」


 真剣な面持ちで私を見たアシル様と目が合う。


「そうか……。大聖女候補になったと聞いたが、じゃなかったんだね?」

「はい……」


 私と目が合うと、全てを悟ったかのようにアシル様が目を閉じた。


「ちょ、ちょっと待ってください、師匠。レナと知り合いだったんですか?!」

「何だ、お前がレナ嬢といるということはアクセル殿下にも彼女は会っているんだろう? 聞いていないのか?」

「なぜ殿下の……あいつの名前が出るんです?」


 私とアシル様の会話についていけず、たまらずエリアス様が口を挟む。


 アシル様からアクセル殿下の名前が出て、私もなぜだろうと首を傾げた。


「二年前のグリフォンとの戦いで私の呪いを治してくれたのが彼女だ。その場にアクセル殿下もいた」

「「えっ……」」


 私とエリアス様の驚きの声が重なる。


(あの場にアクセル殿下がいたなんて。あのときは必死で気付かなかったわ……。それにしても知らないふりしてるなんて、殿下ってやっぱり食えないわね)


「レナが……師匠の命の恩人?!」


 考え込む私の横で、エリアス様が声をあげながら目を丸くしてこちらを見た。


「はい……一応……」


 私はエリアス様にへらりと笑顔を向けた。


「だからあいつ、大聖女候補を胡散臭いとか言って調べていたのか?!」

「何だ、アクセル殿下は気付いていらしたのか。私にも言ってくれれば良かったものを……」

「いえ、師匠には引退後、穏やかに過ごして欲しいとあいつも言っていたので……」

「そうか。お前たちには苦労をかけるな」

「いえ、師匠が作り上げてきた騎士団を守ってみせます」


 エリアス様とアシル様の会話を私は黙ってじっと聞いていた。すると、会話が途切れた所でアシル様が私に向き直る。


「改めてお礼を言いたい。レナ嬢、あのときは私の命を救ってくれてありがとう」

「頭を上げてください! 私は出来ることをしたまでですから!」


 頭を下げるアシル様に慌てて私は言った。


「あのときの君は、やはり君なんだな」

「レナは昔からレナなんだな」


 アシル様、エリアス様お二人から温かな眼差しを向けられ、私はくすぐったくなる。


「私こそ、エリアス様に命を救っていただいたのはその時なんですよ?」


 くすぐったい気持ちのまま、横のエリアス様を見上げれば、彼は瞳を大きく見開いた。


 どうしたんだろう?と覗き込めば、エリアス様の瞳に光が宿る。


「そうか……あのとき、騎士団のために力を使い倒れていた聖女……あれが」


 カチリとパズルのピースが当てはまったかのように、エリアス様が答え合わせをする。


 私はエリアス様に思い出してもらった嬉しさで思わず頬が緩み、涙も滲む。


「エリアス様、あのときは助けていただいてありがとうございました」


 ふわりとした空気が頬をかすめたかと思うと、エリアス様の指が私の目尻に届いた。


「レナはあのときから泣き虫なんだな」


 エリアス様はそう言うと、私の涙を拭ってくれた。


「うう……すみません」

「いや、君が人のために一生懸命な証拠だ。レナには、そのままでいて欲しい」


 私の涙を拭っていた指はいつの間にか掌に変わり、私の頬を覆う。見つめ合う私たち。


「エリアス様?」


 優しくて甘い空気がエリアス様から流れるのを感じて、私の鼓動が早くなる。


「……コホン」


 !!!!


 アシル様の咳払いで、私たちは我に返り、離れる。


(うわ、私ってばアシル様の前で何てことを?!)


 まだ赤い顔を隠すように自身の手で覆い、アシル様に向き直る。エリアス様をそっと視界の端に映せば、彼の耳も赤いようだった。


「さて、レナ嬢。本題に入ろうか? 私に何の用だい?」

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