第4話

 あかねの携帯を解約するのを忘れていたのに気づいたのは、ひな祭りが過ぎた頃だった。解約していいかどうか、茜に訊いてみないとな。何故かそんな事を思った後、その必要はないのだと気づいて、改めて悲しさが押し寄せた。

 ふと茜がしていたというインスタグラムを見てみたくなって、聡司さとしは多少の後ろめたさを感じながら電源を入れた。パスワードは知っている。お互いに隠し事は無しにしようと約束したのは、結婚式の前か後か。結局互いの携帯を見ることもなく時は過ぎた。信頼がどうとか、そんなことを言っている余裕などなかった。

 インスタにアップされていたのは、白い彼岸花ひがんばなの写真一枚きりだった。フォロワーの表示が何人かと、看護師仲間からと思われるコメントが数件あった。写真をめているコメントばかりと思われたが、その中に一件おかしな内容のものがあることに聡司は気付いた。

『あなたの罪を知っている』

 投稿者の名前は、はじめて見るものだった。

「何だこれは」

 彼岸花の花言葉なのかと思ったが、それは違った。そして、この一枚で茜はインスタを止めている。もう一度コメントをながめ、投稿された日付を見て聡司は愕然がくぜんとした。九月三十日。確か十月に入った途端、茜の心は急に不安定になった。このコメントと関係があるのか。

 早くなる鼓動こどうを感じながら、聡司はスマホをタップした。ラインもショートメッセージもほとんど消されており、茜が亡くなった後に届いた広告ばかりが目についた。

 検索履歴を追い、インスタのフォロワーからも繋がりを辿る。時刻はいつの間にか深夜になっていた。

 フォロワーのフォロワーを巡り、いい加減空しくなってきた頃、聡司は一つのインスタグラムに辿り着いた。写真の内容に見覚えがある。茜と一緒に行った事のあるレストラン。ベランダに咲くペチュニアに多肉植物。新婚旅行で見た海外の風景。決め手は新居に飾られたタペストリーだった。聡司の母親からプレゼントされた「さをり織り」。間違いない、これは茜のインスタグラムだ。

 コメント欄を探し、先程と全く同じコメントを見付けた。コメントの日付は昨年の五月五日。忘れもしない、茜が流産した日だ。そして、その日を最後に茜はこのインスタグラムを止めてしまっている。

「何なんだ、いったい」

 たった二件のコメント、それが茜を追い詰め、死に追いやったというのか。聡司はスマホを放り出し、頭を抱えた。


「アカさん、インスタを再開してたんですね」

 スマホを聡司に返しながら、新留香織にいどめかおりは言った。

 行きつけになったバーのカウンター。心当たりがないか尋ねた聡司に、香織は申し訳なさそうに首を振った。

「コメントを入れそうな人に心当たりはありません。でも、この『罪』って何でしょう」

 聡司も分からないと首を振った。

「君は妻と仲がよかったの?」

 何か思い出すことはないかと一抹の希望を持って聞いてみると、香織は小さく溜息をいた。

「どうなのかしら。今となっては、よくわかりません。アカさんは、私が知らない一面を持っていたのかも」

 悲し気にそう言う香織にかける言葉が見付からず、聡司はグラスを手に取った。


 定期的に香織と飲むようになった。情報通の香織は院内の人間関係について色々教えてくれたが、どれも決め手に欠けて進展はなかった。ただ彼女と一緒に真相を探るという行為が、聡司の心の支えになっていることだけは間違いなかった。


「気になる話を聞いたんですけど」

 遠慮がちに香織が言った。

「何?」

 クリームチーズの包みを開けながら、聡司は尋ねた。香織は少し言いよどみ、背筋を伸ばして大きく息を吐いた。

「以前、桐谷さんが退職した理由についてお話ししましたよね」

 スミレとの契約は二月いっぱいで終了し、彼女は来なくなっている。灯りの点いていない玄関の鍵を開け、朝出かけたままの部屋に入る毎日が始まったところだった。

「あの話は」

 いい加減な噂を信じかけた自分に対する怒りが表情に出たのだろうか、香織は一瞬俯き、上目遣いに聡司を見た。

「私も噂を信じているわけではありません。ただ、お伝えしておいた方がいいと思って」

「すまない。話してくれるかな」

 無関係の香織に不機嫌な表情を見せてしまったことを恥じながら、聡司は続きを促した。香織は少し黙った後、口を開いた。

「あくまでも聞いた話なんですけど」

 美しくネイルされた指に虎の顔をかたどった指輪が光る。そういえば彼女はいつもこの指輪をしている。少々ワイルドな一面を思わせるそれは、また彼女の魅力を増していた。

「昨年の五月に桐谷さんのお母様が亡くなってて」

 それは知っている。家政婦として来てもらう話をしたときに茜から聞いた。父親を早くに亡くし、母一人子一人だったという。大学は奨学金で出たと聞いたが、返済は大丈夫なのだろうか。

「事故だったと聞いています。よくあるでしょ、キノコ狩りで間違って毒キノコを食べて起きる死亡事故」

「毒キノコ?」

 眉をひそめた聡司を見て、香織は「違います」と首を振った。

「キノコじゃありません。山菜と間違えてトリカブトの葉を食べてしまったとか」

「トリカブト」

 昔、トリカブトを使った殺人事件が話題になったことがあった。危険なイメージを持つ花だが、実は山にはいくらでも自生している。若葉が山菜と似ているということで起きる事故の話は、聡司も聞いたことがある。

「そうなんだね。気の毒に」

 そう言った聡司をじっと見詰め、香織はグラスを口に運んだ。

「トリカブトの毒って何かご存じですか。アコニチンです。一昨年、薬局で紛失騒ぎになった薬も、アコニチンでしたよね」

 急激に視界が回った。グラスを倒さずにコースターに置くことすら至難の業で、聡司はカウンターの角を掴み、必死で身体を支えた。


 心配する香織を振り切って、聡司はタクシーを拾った。女性を一人置いて先に帰るのは情けなかったが、今は一人になりたかった。

 スミレは母親を殺したのか。茜はそれを知って……。

「まさか」

 そんなことが起こり得るのだろうか。茜の死因は縊死いしだ。警察も自殺と断定した。いや、同じ死因でなくとも関係がないとは言い切れない。では茜の罪とは何だ。

「何が起きているんだ」

 聡司は頭を抱え、座席に沈み込んだ。

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