羽の生えたヤンデレ

広河長綺

羽の生えたヤンデレ

下校時間だ。


中学校の教室から溢れ出す生徒たちが校門へ向かっている。僕もその流れに乗って歩いていると、校門に中野さんらしき人物が立っていた。


きちっと手入れされた高級スーツを着て、太いフレームのメガネをかけた、いかにもインテリ女性という装いだ。


電話でアポを取っただけなので顔は知らないのだが、感情が読み取れないほど冷静な表情や知的な視線が、いかにも厚生省獣人課勤務のエリートっぽい。


僕の方から電話して校門で待ち合わせと言っていたのに、彼女の知的な雰囲気に圧倒されて、近くに来てもうまく声をかけられない。


そんな僕に呆れたのだろうか。「さあ、行きましょうか。私の家で、厚生省獣人課の事業について、話すことがあるんでしょう?」とそっけなく言って彼女は歩き出した。


僕という地味な生徒と、中野さんというエリートっぽい女性。

シュールな組み合わせの僕たちに、怪訝な視線が集まるが、僕は逃げるように中野さんについていった。


彼女と一緒に歩き始めてから5分後くらい経過した時。空から何か飛んでくる音が聞こえてきた。しかもどんどん近づいてくる。


さすがの中野さんも動揺したようで足を止める。


次の瞬間、菖蒲あやめが落ちてきた。


ピンク色の髪が空気抵抗でブワッと広がる。そしてそのピンク髪が重力で落下すると、菖蒲の笑顔が露わになった。

結城ゆうき君、待った?」菖蒲はオレンジの目でウインクをしつつ、僕の名前を呼んだ。「じゃーん、菖蒲ちゃんの登場です」


菖蒲はいつもこんなノリだ。僕に呼ばれてもいないのに、勝手に空から降ってくる。獣人の能力は警察に協力するときにしか使ってはならないという「獣人人同盟」を無視してばかりだ。


菖蒲を止められる人などいないのではないか。半ば絶望しながら「そもそも、待ってないし、止めろと言ってるだろ」と、指摘した。


「だって、夫の結城君から目を離したくないんだもん!」

菖蒲の顔は、怒りで真っ赤になっていく。


夫。中学生である僕と菖蒲に、結婚なんてあり得ない。でも菖蒲は本気で信じているのだから、困ったものだ。


あきれ果てた中野さんの冷たい視線を感じながら、「結婚してないだろ。僕たちは幼馴染の中学生だぞ」と指摘して、落ち着きを保とうとした。


「えー。でも私は結城君とずっと一緒にいるんだよ。それって妻ってことじゃない?」


「妻だから僕をストーキングするって言ったのに、妻である根拠はストーキングしてることなのか?循環論法だろ」


「ストーキングじゃないもん。浮気調査だもん」


「僕と中野さんはそういうんじゃないって。中野さんに失礼だって!あと、獣人人同盟違反はやめろ」


「違うよ。私は世間を賑わせている神戸連続小児殺人犯の捜査してるんだよ」


「今、話題になってる事件を適当に言っただけだろ。やってることは僕に対するストーカーだって」

中野さんが僕の恋人であると思い込んでいる菖蒲、その妄想を止めさせようと僕は色々な方向から批判する。


「はーい」やっと叱責が効いたのか、菖蒲は肩を落とした。その肩からゆっくりと羽がはえていき、獣人フォームに変形していく。「じゃあ今日は結城君から離れるよ」


しかし完全に納得はしていないようで、菖蒲は「中野さん、結城君に何かしたら殺すよ」と捨て台詞を吐き、そのまま背中の翼で上空に飛びたち、雲の上に消えていった。


これが「菖蒲鳥」という、ウグイスの別名が彼女の名前の一部である理由。菖蒲は猛禽類の目と羽をもつ獣人なのだ。


「獣人の相手も大変ね」と中野さんは空を見上げながら呆れたように笑った。


「ホントに大変なんですが、これから話したいのもあいつの事に関してなんですよ」と僕は言った。


「なるほどね」賢い中野さんはお見通しのようだった。「獣人人権保護プログラムのこと?じゃあ私の家で話しましょう」


獣人人権保護プログラム。

獣人に人権があるかどうかを決める会議。その内容が内容だけに、委員会の構成メンバーは極秘であり会議も自宅からリモートで行うことで秘匿されている。


だからこそ、獣人人権保護プログラムのメンバーは目立たない家に住むという。そのリサーチ通り、中野さんに連れていかれた先は、何の変哲もないマンションの一室だった。


ただし中に入れてもらうと、生活感のなさは異常だった。高級そうな大きいパソコンだけがあり、家具が何もない。


こんな質素な部屋で獣人に人権を与えるかを議論しているなんてだれも思わない。そこに招き入れてもらえただけでも、僕にとっては大きな一歩だ。中野さんが僕と取引する意思があるということだから。


「さて、結城君。国家権力に介入して何がしたいの?」 中野さんは僕を部屋に招き入れてから早速そう聞いてきた。


だから僕も、資料を中野さんに渡しながら率直に言った。

「菖蒲に人権を与えるように、委員会で主張してほしいんです。この資料に書いている通り、菖蒲は一日のうちに二度着陸すると骨折します。それが根拠になりませんか」


「へー。菖蒲ちゃんにストーカーされて嫌がっているように見えたけど。ツンデレってやつ?」


「理由なんてどうだっていいでしょう。お金は百万円。違法な手段で頑張って集めました。中学生の僕の限界額の賄賂です。これで菖蒲の人権を認められますか?」


「うーん」僕が渡した資料に目を落としながら、中野さんは頷いた。「1日に二度目の着陸をしたら骨折するというのは、人間的脆弱性の根拠としては弱いけど、私が主張をゴリ押せば通るよ」


「それじゃあ、取引は」

成立したということですね。と言おうとした瞬間、僕の口は動かなくなった。


中野さんが僕の腰に手のひらサイズの機械を僕の腰に押し付けてきたからだ。筋肉の痙攣が、全身を襲った。


スタンガンだ。


床に崩れ落ちて、体が動かせない僕を、中野さんは冷たい目で見降ろしている。


「今までは小学生くらいを殺してきたけど、今日は結城君みたいな中学生にチャレンジしてみるね」


連続小学生殺人事件。

犯人はこの役人だったのか。


床に転がったまま驚愕する僕のもとに、中野さんがゆっくりと、楽しそうに近づいてくる。


僕が死を覚悟した瞬間。


部屋の窓ガラスが砕け散った。


さっきみた、ピンク色の髪と大きな羽が、狭いマンションの部屋の中に広がる。


「ほらー。結城君は私以外の女と一緒にいちゃダメなんだよ」

菖蒲の顔には得意げな笑顔が広がっている。


「ど、どうして。一日に二度急降下したら、全身骨折するんじゃなかったの」

焦りで上手く喋れずに叫んだのは、中野さんだった。


「うん」菖蒲は平然と首を縦にふった。「今、私は全身骨折してるよ。でも、結城君のためだったらどうってことない」


菖蒲の狂気じみた言葉に絶句する中野さん。次の瞬間その体が横に吹き飛んだ。


目にもとまらぬスピードで、菖蒲の羽が中野さんを叩いていた。


飛ぶ以外にも羽は使える。その事実に思い至らなかったのが中野さんの死因となった。


中野さんの体が、部屋の壁にぶつかり、そのまま下にボトッと落ちる。当然、そんな事では菖蒲は満足しない。


あらぬ方向に折れ曲がった中野さんの手足が痙攣するのを見て、情け容赦なく菖蒲は2度目の「羽パンチ」を繰りだした。


羽パンチ。べちゃ。羽パンチ。べちゃ。羽パンチ。べちゃ。


そして中野さんを肉塊の円盤にした後で、菖蒲は僕を見て、得意げに微笑んだ。


その笑顔はどこまでも清々しくて、とてつもなく可愛かった。


こんなクレイジーな奴と一緒にいると、いつかきっと破滅するだろう。


でも、僕は菖蒲と離れることが、どうしてもできないでいる。

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羽の生えたヤンデレ 広河長綺 @hirokawanagaki

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