第1章

1:おばちゃん、異世界に転移する

 世界――それは我々が住む大地であり、空間であり、様々な種が存在する場所でもある。

 私はそんな世界の片隅で様々な存在を観測し、安定を図りながら過ごしてきた。だが、イレギュラーというものも存在する。それはこの世界を滅ぼさんとする魔王だ。


 日に日に力を増していくそれは魔物を配下とし、大暴れするために育ち始めた文明は滅びへと向かわせてしまう。そのことを望んでいない私はどうにかできないかと頭を抱え悩んで過ごしていた。


 ふと、森の中で飛んでいる小鳥を見てあることを思い出す。それは私の配下であるフェアリーが語っていたことだ。なんでも世界とは複数存在するらしくこの世界とは違う発展を遂げた異世界なるものがあるらしい。


 その異世界から一度だけ一人を呼び出せる方法があり試してみては、と進言をもらったことがある。思い出しながらフェアリーから教わった儀式の準備をし、その時に教わった詩を口に出してみる。すると途端に唐突に大地が揺れ、鳥が驚き宿り木から飛び立っていく。何かが起きた、が実際にどんなことが起きたのか私はわからずにいた。


『ふむ?』


 妙な気配を感じる。これは人の気配だが、それにしてはなんだか異質だ。

 急いで確認してみよう。そう思い、奥へ向かうと普段静かな森が先ほどの揺れのせいかいつもより騒がしいことに気づく。

 私が余計なことをしたこともあるが、それにしてはうるさすぎる気がした。


「アタシの自転車がぁぁ!」


 紛れもなくうるさい声が耳に入ってきた。目を向けるとうずくまって泣いている女性が……女性なのか? 女性っぽい人間が泣き喚いていた。私が知る女性にしては妙に恰幅がよく、髪もアフロみたいになっており所々クルクルと巻き上がっていて服装はというと、ツギハギだらけのズボンにエプロンのようなものを着ていた。

 明らかにこの世界の服装とはかけ離れている気がするが、もしかしてあれが異世界から来た者なのだろうか。


「ちょっとぉ、これ結構高かったのよ! お父ちゃんにおねだりにおねだりを重ねてようやく買ってもらったものなのよッ! なのにぶっ壊れるなんてありえないんだから。これならもっと高いの買ってもらったらよかったわよ! お父ちゃんのケチ、ケチん坊ッ! だからアタシしか相手がいなかったのよッッッ!」


 ……えらく何かを語っているな。誰に向かって言っている言葉なんだ? それに憎まれ口を叩いてるのかノロケているのかわからないな。まあ、一応声をかけてみるか。ここは人にとって危険な場所であるしな。


 女性らしい人に私は近づこうとする。その途端、身体に電撃のような感覚が突き抜けていった。なんだ、と思い身体の状態を確認すると全身に感じたことのない力が溢れていた。


 突然どうしてこんな状態になったのか、と考えていると先ほどの女性が悲鳴を上げる。


「ちょっと、それアタシのよ! お父ちゃんに買ってもらった大事な電動自転車なのよッ! どこに持って行く気ッッッ!?」


 振り返ると女性を数体のゴブリンが取り囲んでいた。どうやら女性の所有物である鉄くずを奪い取ろうとしている様子だ。ゴブリンは喚く女性を囲んで取り押さえているが、だんだんと苛立ってきている。いつ殺されてもおかしくないと感じた私は、仕方なく飛び込んだ。


『軽いっ』


 驚くほど身体が軽い。軽く爪で凪ぐとゴブリンの身体は消し飛び、近くを駆け抜けるとこれまた消し炭となる。


 こんな力は初めてだ。

 そう思っているといつの間にかゴブリンはいなくなっている。どうやら私に恐れを抱き、大半が逃げ出したようだ。ひとまず女性の安全が確保できたことに安心していると、彼女は叫んだ。


「どうしてくれるのよこれぇぇッッッ!」


 さらにボロボロになった鉄くずを指差し、なぜか私に八つ当たりをしてきた。それはゴブリンがやったことで私ではないのだが……


「お父ちゃんが買ってくれた電動自転車よ! 高かったのよッ! アンタこれ弁償できるの!!?」

『ご婦人よ、それは私ではないぞ。先ほど逃げ出したゴブリンがやったことだ。だから――』


「できるかできないか聞いてるのッ! たくさんの思い出があるのよこれ! というかここどこ? アタシこれからマー君が大好きなカレーを作らなきゃいけないのよ。買い出しに行かないといけないのッ! なのに自転車が壊れたのよ。どうしてくれるのよ、これッッッ!」


『いや、そう言われても……』


「かぁー、情けない。アタシのお父ちゃんなら笑いながら立て替えてくれるわよ。あの人、ああ見えて意外と太っ腹なの。アタシ以上に大きなお腹をしてるから当然ねッ! なのにアンタは何もしない。そんなの無言で無理ですって言ってるようなものよ。それ最低だからねッ!」


 確かにそうかもしれない。そう感じていると彼女は私に指を差し、選択を迫った。


「で、できるのできないの? どっちなのッ!?」


 とんでもない圧がかけられている気がする。しかし、このご婦人の言葉も一理あった。このまま何もせずにいても変わらないが、かといって黙っていてはどうしようもないのは明白だ。

 ならば、出すべき答えは一つだ。


『わかった、どうにかしてみよう』

「え? どうにかできるの!? じゃあ新しいの早く出してッ!」

『構造がわからないから新しいのは用意はできない。だが、これに憑依し元の状態にすることはできる』

「よくわからないけど、早くして!」


 彼女に言われ、私は鉄くずに憑依した。直後、頭の中に知らない知識が流れ込んでくる。それはこの世界にはない知識だ。どうやらこの鉄くずは電動自転車という乗り物らしい。


 そしてこれにはたくさんの思い出がある。

 様々な苦楽を共に乗り越え、一緒に駆け抜けてきた。スーパーという戦場に突撃し、戦利品を手に入れる姿は何とも勇姿あふれるものだ。


 そんな電動自転車は一度死んだ。だからこそ、私がこの意志を継がなければならない。


「きゃーッ! いいじゃないやるじゃない新品みたいじゃない! 何よこれ、ピカピカだしバッテリー満タンだしッ!」

『ご満足していただけたか?』

「最高よ最高ッ! やるじゃないアンタ! ところでアンタ、何? あ、もしかして神様?」

『正確には違うが、近い能力はある』


「じゃあ神様ねッ! ありがと、神様」


 なんだか誇らしいものだ。さて、彼女とどこにいこうか。この世界は悲鳴を上げている。ならば少しでも悲しみを払拭していかなければ!


 そう思っていると彼女は私に乗り、どこかへ進み始めた。思わず制止しようとしたが、身体が勝手に進んでいく。


『ご婦人よ、どこに行く!』

「スーパーに決まってるじゃない。これから始まるのは戦争よ。晩ご飯はこの戦いに勝たなきゃ食べられないんだからねッ!」

『待て、その前にそっちは腐界の王が住む――』

「さ、行くわよ神様。アタシ達の美味しいご飯を勝ち取りにねッ!」


 なんだか不安になってきた。

 こうして私は勝手気ままな主と共に腐界を住処とする魔物の元へ向かうのだった。

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