枝変わりの実
七倉イルカ
第1話 枝変わりの実・前編
「やあ、明彦くん。
甘夏だよ。
裏山で、たくさん採れたんだ。
食べないかい」
娘婿の自宅にお邪魔した私は、袋に入った手土産の甘夏をさし出した。
袋の中には五つの甘夏が入っている。
甘夏とは、夏ミカンに似た果実である。
夏ミカンよりは、酸味が少なく、糖度が高い。
加工せず、そのまま食べられるため、最近では、この甘夏が、夏ミカンとして、スーパーなどで売られていることも多い。
「甘夏は、ちょっと……」
娘婿の明彦が受け取ろうとしないので、私は甘夏の入った袋をキッチンのテーブルの上に置いた。
袋の中に入っていた、甘夏のひとつが転がり出てくる。
表面が妙にでこぼことした、形の悪い甘夏だ。
明彦の顔が、少し強張った。
私の一人娘、ミサの夫が、この明彦である。
この新居は、私が用意してやったものだ。
美沙の実家となる、私の家から、歩いて20分ほどの場所に建てた一軒家である。
今まで、何度も来たことがある家だ。
とは言え、妻の不在中、連絡もなしに義父がやってくれば、自分の家であっても緊張するだろう。
しかし、明彦が緊張している理由は、それだけじゃないはずである。
「甘夏は……、苦手なんです」
テーブルの上の甘夏から目をそらすようにして、明彦は答えた。
ウソである。
私が裏山で育てている、十数本の甘夏の木。
去年の今頃、ミサと一緒に明彦もおとずれ、よく成った幾つもの甘夏の実を、もいでいったことは知っているのだ。
……ミサと明彦が結婚したのは、一年半前である。
激しいケンカの絶えない夫婦だった。
顔を腫らして、実家に戻ってきたミサを見たときは、激怒して明彦を呼び出したが、現れた明彦の顔には、無数の引っかき傷がついていた。
皮膚が抉れた太く赤い筋が、目の近くにも走っている。
ぞっとする傷であった。
やられっぱなしで引っ込むほど、気の弱い娘ではないことを思い出した私は、「どっちも、暴力だけは止めなさい」と、ありきたりのことを言うしかなかった。
それでも、私のかわいい娘である。
そのミサが、半年前に失踪した。
明彦の浮気が、原因であろう。
ミサがいなくなる数日前に、そういう相談を受けていたのだ。
スマホから甲高く聞こえた、「許さない。絶対に、浮気の証拠を見つけてやるわ」と憤っていたミサの声を思い出す。
ミサの声を聞いたのは、それが最後だった。
十日後、明彦から、ミサが三日も帰宅していないと連絡を受けたのだ。
うわずった明彦の声を聞いた時、なぜか、もう二度と、娘には会えない気がした。
警察に捜索願を出したが、成人した人間が行方不明になった場合、単純な家出として扱われ、特に捜査してくれるようなことは無い。
それが半年前のことである。
やはり警察からは、何一つ、連絡は無かった。
私はキッチンの椅子に腰を下ろし、明彦にも、対面に座るようにうながした。
「今日は、何か?」
明彦が、警戒した目で私を見る。
「明彦くん。
きみは、フグは好きかな?」
「は?」
明彦は、怪訝な顔になった。
「フグは卵巣や肝に毒があるというけど、元々は無毒の魚だと知っているかい?」
明彦は、私の話の真意がつかめず、不思議そうな顔になる。
「では、どうして毒を持っているのかと言うと、フグが食べる貝やヒトデに、わずかな毒素が含まれているんだよ。
それを食べ続ける内に、フグの体内で、どんどん毒素が蓄積され、最終的にテトロドトキシンという猛毒を持つことになるらしいね」
「はあ」
「ところで、甘夏は、元々は夏みかんだったことは知っているかね?」
私は、フグから甘夏へと話題を変えた。
「あの、義父さん、さっきから何を……」
私の話に、明彦は困ったような顔になる。
「まあ、聞きなさい」
その明彦の顔を見つめながら、私は続けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます