第10話 天雉吉埜の配信アーカイブ検閲
古来、呪術は天文学と共にあった。
天体を観測し、星の動きから国の未来の吉凶を占い、不吉を未然に防いできた。
中でも星を読むことに長けていたのは呪術の三大名家のひとつ、
そしてその情報部門は現代、姿を変えて受け継がれている。
「七曜星の減光現象、かぁ」
天雉の長女、吉埜は、伊勢豊川にある屋敷の一室で、電子のディスプレイと向かい合っていた。
「天明の大飢饉みたいな事件が起きないといいのだけれど」
七曜星とは陰陽道における北斗七星のことである。
北斗七星は常に一定の明るさで見える星座だ。
だが、ここしばらく、その明るさが減少しているとアメリカの航空宇宙局が発表している。
(表向きには減光の理由は、北斗七星周辺の塵の影響とされている。でも)
空を見上げるだけが星を詠むすべてだったかつてとは違い、いまは電子の海に詳細な天体情報が載っている。
昼夜を問わず天体を観測し、呪術師のサポートをするのが、現代を生きる天雉の役目だ。
膨大な過去のデータと照らし合わせれば、見えてくる話がある。
(天明2年から天明4年。この時期にも七曜星の減光が確認できたと当時の天雉が記録に残しているのよね)
最終的に全国で90万人以上が餓死した、江戸時代最悪と言われる大飢饉。
春になっても寒波が続き、降り続く雨によって各地で洪水が起きた。
夏になってもほとんど晴れず、作物は育たず、多くの人が冬を越す貯えを作れなかった。
そのうえ天明3年には浅間山が噴火し火山灰が降り積もり、追い打ちをかけるように赤痢などの疫病が蔓延した。
その背景に関わっていたのは、一匹の凶悪な怪幻。
名を、『
現在の福島県にあたる会津藩に現れたその怪幻は、
現実と非現実の境界線――領域を現実世界に侵食させた、数少ない事例でもある。
「飢えをしのぐために子を殺した。食い物を求めて村を捨てる者が増えた。亡命される前に隣の村を滅ぼした。殺した人間の肉を貪った。物を食べた衝撃でショック死した」
当時の
(最悪が起きれば、これよりさらにひどいことが起きる)
それだけは阻止しなければならないと、吉埜は強く決意した。
(何か、予兆は無いかしら)
こういうときに都合がいい媒体は、SNSだ。
昔から人の口に戸は立てられないと言うが、ネットが普及した現代はなおさらだ。
SNSに上がる声を統制しきるのは難しい。
そう思い、吉埜が青い鳥のアプリを起動した。
情報収集のためだけに作った、鍵のついたアカウント。
そのトレンドに、引っかかる単語が載っている。
「呪術配信……?」
不思議に思って詳細を追ってみれば、その筋では有名な配信者が廃村を訪れた際に化け物に襲われ、謎の青年に助けられたことがわかった。
(廃村って、まさか)
SNS上にアップロードされた配信の切り抜き動画。
1分程度の映像を再生してみる。
そこに、見知った男性が映っていた。
(やっぱり
伊勢山奥の廃村に居座る怪幻『夜叉の鎧』の討伐に、桜守の虎の子が向かうことになったのは知っていた。
そしてやはり、映像に映っていたのは桜守惣司だった。
(桜守の血が困ってる人を見捨てておけないのは知ってるけど、配信に顔出ししちゃまずいでしょ……!)
歴史の表舞台に立つのは原則として禁止されている。
(大丈夫よね?
不安になって、切り抜き元の配信へと移動する。
吉埜の動画の再生速度は5倍速。
情報が膨大な現代において、それくらいできなければ天雉は務まらないのである。
「よかった。本当に、何も知らない一般女性を助けてあげただけなのね」
よかったよかった。
と、本当に、心から胸をなでおろした。
(惣司くん……最近、前にも増してかっこよくなったなぁ)
吉埜が初めて彼と出会ったのは吉埜が7才、惣司が5才のころ。
初めて出会ったときに、星の導きを感じた。
いずれこの人と一緒になる。
そんな予感を覚えた。
いつか確信に変わると思っていた。
けれど、最近になって、不安を覚える。
(私も、八重ちゃんみたいに素直になれれば)
惣司との付き合いは長い。
彼が吉埜のまじめな部分を尊敬してくれていることを、彼女はなんとなくわかっていた。
だから色恋に懊悩する乙女のような一面を、なかなか見せられなかった。
天雉吉埜は恋愛において、極端に奥手だった。
そんな折、菊地から放たれた刺客が八重という少女である。
彼女は幼く、兄を慕うように惣司に甘えられる。
そんな関係がうらやましい。
だがそれ以上に、妬ましい。
惣司は八重を妹のようにかわいがっている。
けれどこの先、吉埜との関係が進展せず、年の離れた八重が妙齢になればどうなる。
自分の恋は破れ、二人が結ばれるのを「二人とも、とてもお似合いだよ」と、心にもない言葉と笑顔で祝わなければいけなくなる。
そんな未来を思い浮かべるたび、素直になれない自分と、嫉妬に悶え苦しむ自分が嫌になる。
だから、安心した。
廃村で出会った女性と、何もなかった惣司を見て、心底ほっとしたのだ。
「待って、時間をおかずに伊勢湾廃工場に行ってる配信もあるんだけど、まさか」
だから吉埜は知っていた。
桜守惣司が豊川の屋敷に来た後、どこへ向かったのかを。
配信主の卯月アリスが伊勢湾廃工場の領域に呑まれてほどなく、一人の男がやってきた。
その男性に向かって、3メートルはある巨大な怪幻が飛び掛かった。
「やっぱり惣司くんじゃないの」
男が怪幻を蹴り飛ばすと、その異形はたちまち黒い霧になって溶けた。
領域から救出するための護衛だとわかってはいるが、吉埜は、惣司が
そんな折だった。
配信主が放った一言がきっかけで、吉埜がアーカイブを停止する。
(ん?)
再生速度を落としてもう一度。
『ところでお兄さん。好みの女性のタイプは?』
ドキドキと、胸が高鳴った。
(な、ナイス! どこの誰か知らないけどナイス! これで惣司くんの好みがついに明らかに!?)
ほとんど水平に100メートル以上飛んだ鉄パイプをいつもの光景だなと、少々麻痺した感覚で眺めながら、続く惣司の言葉に期待を募らせる。
「黒髪を親からの贈り物だからって大切にしてて」
吉埜が、自身の長い髪に手を当てた。
「背は高くて、奥ゆかしくて」
背が高い、はどうだろうかと考える。
昔は惣司より背が高かったのに、いつの間にか身長は追い越されてしまった。
けれども彼女も170センチあり、女性の中では背が高い方とギリギリ言える、はず。
「規律や風紀を重んじていて」
これも大丈夫だ。
(というか、あれ?)
該当する人物に、吉埜には心当たりがあった。
(もしかして、私?)
なんて思ってしまうのは、都合がよすぎるだろうか。
悶々とした様子で吉埜が口を尖らせている。
(謎がひも解けるかと思ったのに、さらに深まっていく……!)
アーカイブを視聴して、彼の活躍を目に焼き付ける。
改めてカッコいいなぁと考えていると、サブチャンネルで呪術専門の配信を行うなどと言い始めて、そちらにも目を通す。
惣司の対応に、吉埜は唸らざるを得なかった。
「話しているのは呪術に関することだけ。
どうしたものか、と思いながら、吉埜はスマホを取り出すと連絡先から惣司を選択した。
『惣司くん今日学校6限だよね? 放課後、豊川の屋敷に寄れる?』
時刻は午前8時前。
間を置かずに既読が付き、惣司からの返信が来る。
『終わり次第全速力で向かいます!』
惣司と会える。
そう考えるだけで胸の動悸が激しくなるのだった。
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