第5話

「...これ......」





「お前の口から言いなさい。」


「...嫌よ...」


「優しく言うのも今のうちだ。」


「......」



静寂が気持ち悪い。


空気が重くなっていくのを感じる。



「離婚届け...でしょ?」


「トワ...!」


「...それで、どうしたの。その紙が、何...?」


「......」



私の問いに、またみんな口を閉ざした。

お母さんの顔はやつれている。

目に光がない。


そもそも、どうしてこうなったんだろう。


お父さんは、DVなんてする人じゃなかったはず。

私が小さかった頃は、よく遊んでくれていた。

どんなくだらない話も笑って聞いてくれて、

美味しいものだって食べさせてくれた。


原因はわからないけど、

こうなってしまった以上贅沢は望めないけど、

それでも、形だけにも娘である私は、

知る権利くらいはあるんじゃないの...?



「...お父さん...」


「トワ。」


「あ...うん...?」


「ん、すまない。そっちからでいいぞ。」



お母さんは、下を向いて黙りこけている。

口を動かす様子はないようだ...



「どうして、いつから...こうなっちゃったの...?」


「ああ。父さんも、それを今から話そうと思っていた。」


「......うん。」



正直、立っているだけでやっとだった。

でも、もうとっくに、眠気なんてなかった。

ただこの空気の重圧に、押しつぶされないよう耐えるので精一杯だった。



「単刀直入に話そうか?それとも、順を追って話そうか?」


「...どっちでもいいよ...」



少しの時間が流れる。

きっと、たぶん、おそらく、5秒間くらいだった。

それでも5分は経ったように感じた。



「3年前。...つまり、トワが2年生くらいのときのこと。母さんが他の女と歩いているのをたまたま見かけたんだ。」



お母さんは、机に突っ伏して、手を震わせている。



「最初は見間違いかと思ったよ。初めて見たのがその日だっただけで、もしかしたらもっと前からそうしていたのかもね。うん。見間違いかと思ったのは、見間違いだと思いたかった。ほんとはあいつを恨むべきだった...あいつを...」


「お父さん...」


「...ああ、すまなかった。取り乱して。」


「...ううん。」


「父さんがその時点で母さんを問いただしていれば、そんなことにはならなかったのかもな。ただ、認めたくなかった。向き合いたくなかった。このまま波風立てずに黙っていれば、どうにかなるって自分を騙し続けた。」


「......」


「...今でも、だ。その時から3年あまりたった今でも、ずっとだ...。今日の今日、今さっきだってな...。」


「...え...」


「...俺の何が気に食わなかったんだろうな...。」


「...お父さん...は...」


「元はと言えばあなたが...」


「...あ?」



お母さんが、虫のような声で話し出した。


...私は、黙っていることしか......



「あなたが遅くまで家を空けるようになったから...」


「お前に何が分かる!!」


「仕事の付き合いだか知らないけど、こっちだって1人で切り盛りするの楽じゃないのよ。」


「お前が楽だなんて言ってないだろう。お前だって忙しいのは知ってる。だけど、こっちは金稼いできてんだよ。都内に一軒家構えるのにどれだけ苦労したと思ってる?お前が強請ねだったから稼いで稼いで稼いで!」


「...あなた、子供の前で...」


「それだけじゃない。トワを育てるのだって、バカにならない金額なんだぞ。いくら大企業とは言え、子供ひとり育てて、所得税だって...残業までしないと」


「お父さん...ごめ...」


「...あ、違う。すまない、父さんはな、お前に幸せになって欲しくて...」


「生まれて...」


「...トワ...すまん...」


「...ううん...」



......



「...やっぱり親権は私が貰います...」


「お前は黙ってろ。クソ売女ばいたが。」


「......」


「...なぁ、最後にひとつ聞かせてくれ。」


「なによ...」


「トワの食費に毎月4万渡しているはずだが、どうしてこいつはこんなに痩せこけてるんだ?」


「......」


「...トワ。答えが出たな。こんな時間に呼び止めてしまってすまない。...明日も学校だろう。今日はもう寝なさい。」


「......あ...」



なにも言葉が出せなかった。

ただ機械的に、2人に背を向けて、








...ドアを閉めた。



すすり泣く声が聞こえる。


聞こえないふりをする。


きっと分かっちゃいけない。

きっと向き合っちゃいけない。

きっと、きっと、きっと。



眠気はなかった。


...ただ、疲れていた。


ベッドに身を預けて、


...そのまま眠りについてしまった。

































「...わ...」


...うん.....


「トワ...ろ.....な...い」


...セツナ...?声......



「トワ、そろそろ起きなさい。」


「お父さん...?」



...夢じゃない。



時計に目をやる。


...昼の11時半だ。



「...遅刻......」


「気にするな。父さんが学校に電話を入れておいた。まだ、出席日数は大丈夫だよな?」


「うん...」


「今日はこのまま休みなさい。」


「...ねえ...」


「...なにも言うな。お前は、何も悪くない。父さんは、何も間違っていない...」


「......」


「......」


「...うん。」





























「...なあ、トワ。」


「...うん...?」


「母さん、いるか?」


「.........ううん」


「...そうか。父さんと、2人でいいか?」


「...うん。」









うん。

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