1-4
月曜日。バイト以外の時間をゴールデンタイムに当てられる夢の土日はあっという間にすぎさり、機械のようにルーティンワークをこなす一週間が幕開される。恋の神と天使を名乗る奇天烈な二人組が乱入した金曜日は中々寝付けず、ずれた睡眠サイクルの修正は見事に失敗。僕はホームルームがはじまる前の教室で、生あくびを何度もかみ殺していた。
彼女たちはあの夜以来、僕の前に姿を現していない。翌日の土曜日こそ、また突如として奇襲されるのではないかと神経をとがらせていたが、結局のところ一切の音沙汰はなかった。手品が得意なコスプレイヤーたちによる性質の悪いイタズラか。はたまた、コミュ障をこじらせた僕の夢遊か――片思いが成就しなければ死ぬって、冷静に考えてそんなバカげた呪いがあるはずないんだ。僕はあの夜の一件をナカッタコトにして、記憶の片隅に封印していた。
担任教師が教室に現れ、朝の雑談に勤しんでいたクラスメート連中がいそいそ自席に戻る。必要性の薄い連絡事項とベルトコンベヤー作業のように執り行われる点呼。朝のホームルームの時間は誰にとっても退屈極まりない。だけど今日に限っては教室中が妙に色めき立っていた。ザワザワと喧騒が広がるさ中、何事かと僕も壇上へと目を向ける。そして、
「……えっ?」思わず声がこぼれた。想像だにしない光景が視界に現れたから。
担任教師の後ろについて教室に入り、檀上にズラリと並ぶは制服を纏った三人の女子。僕は、その三人全ての顔を見知っていた。
咳ばらいをした担任教師が困惑気味な声を上げる。
「……ええと、急なんだけど。今日から転校生が三人、うちのクラスに編入することになった。……じゃあ、自己紹介よろしく」
「はいはーいっ! じゃあ、アタシからーっ!」三人の内の一人、ブロンドヘアの彼女が元気いっぱいに手をあげて、
「みなさんはじめましてーっ! アタシの名前はエーデル……じゃなかった。若井菫ですっ! ピチピチの十七才でっす! ……ってみんな同い年か。とにかくよろしくーっ!」
……やっぱり。
無邪気に両手を振って愛想を振りまいているのは、先週の金曜の夜、僕の部屋に突如現れた天使エーデルだった。頭上の輪っかと背中の羽根は隠している模様。更に、
「……私は羽黒雪乃だ。よろしく」
真ん中の彼女がボソボソと念仏のような自己紹介を披露する。真っ黒な長髪。能面の様な無表情。くすんだ灰色の瞳――服装や名乗った名前こそあの夜と違うが、その冷たい目つきは一度見たら忘れらない。彼女は、元死神のシレネ。
そして、三人目の彼女がポリポリと頬を掻きながら、苦笑いを浮かべていた。
僕の視線は彼女の顔面に釘付けになっており、目を逸らすことができない。
ボーイッシュな短髪に挑発的な猫目。彼女が遠慮がちに笑って口元を広げると、印象的な八重歯がチラリと覗き見えた。
「はじめまして、鳴海美百紗っていいます。一応アイドルやってるんだけど、知ってるかな?」
教室内の喧騒が、高波を打つように広がった。
(鳴海美百紗って……『idol.meta』の?)(マジで? 本物じゃん! うわ~顔小っちゃ……)(なんで、芸能学校でもないうちの高校に?)
鳴海美百紗――なるみもは、少し照れたようにはにかんで、
「ハハッ……私もよくわかんないんだけど。両親とか事務所のマネージャーに、来週から転校することになったからー、とか急に言われてさ。……とりあえず、よろしくお願いしま~す」
彼女らしいラフな口調と共に、ペコリと綺麗なお辞儀を披露した。
「はい、みんな仲良くなー。あそこと、あそこと、あそこ……空いている席にそれぞれ――」担任教師が彼女たちの座席を指定して、三人はそれぞれの自席へと向かう。突然のイレギュラーイベントに好奇心溢れる若人たちが興奮を抑えられるワケもなく、クラスメート連中は未だお喋りを止める気配がなかった。……僕はというと。
突飛すぎる非日常の到来に脳と全身が硬直し、完全に停止してしまっている。
朝のホームルームが終わり担任教師が教室から出ていくと、若井菫――と名乗ったエーデルの元にクラスの女子連中が殺到する。
「――すごーい! 菫ちゃんの金髪、サラサラーッ! もしかしてハーフ?」
「うんっ! アタシ、お母さんは日本人なんだけど、お父さんがドイツ人で、でも産まれは日本の浅草なんだーっ! 若井菫は日本で使う時の名前で――」……なんだその入り組んだ設定。
「肌キレーッ! お人形さんみたーい!」
「エヘヘッ、ありがとーっ!」
「――笑顔が、眩しすぎるッ……!」
アニメキャラクターさながらの見た目に無邪気な性格もあってか、エーデルは早くも女子たちの心をわしづかみにしていた。そしてエーデルとは対照的、
『彼女』の元には犬塚率いる、学内ヒエラルキートップの男子軍団が群がりはじめる。
「スゲーッ! マジで本物のなるみもじゃん! 俺、芸能人を生で見たのはじめてかもっ!」
「……いや私、芸能人といっても『idol.meta』に入ってまだ三年目だし。自分は一般人の気マンマンだよ」
「四月のアニバーサリーライブ、配信動画観たよ! ダンスめちゃくちゃカッコ良かった!」「ありがとー。いや~、あん時初日にめっちゃ腰痛めちゃってさ~、二日目以降がしんどくてしんどくて……」
「――なにそのおじさん発言! なるみもってもしかして、ギャグセン高め?」
初対面の異性に取り囲まれるという事案に対して嫌な顔一つ見せないなるみもは、彼女らしいサバサバとした応対で好奇の弾丸をうまく躱していた。
その様子を遠目で眺めていた僕の胸の内に、モヤモヤと不安感が広がる。
モニター画面越しでしか観ることのなかったなるみもが、すぐ近くで笑っている。彼女の声が僕の耳に流れている。どこか遠く、違う世界にいるように感じていた彼女が、僕と同じ教室に存在し、僕と同じ空気を吸っている。
普通に考えたら願ってもない状況のはずなのに、僕は混乱していた。嬉しいという感情を素直に感じることができなかった。……理由はわからない。あまりにも突飛な現実を、脳がうまく認識できていないのかもしれない。
「……藤吉、藤吉っ」声掛けにハッとなる。前の席の須王が椅子を反対にして座り、心配そうな顔を僕に向けていた。
「……お前、大丈夫か?」
「えっ?」
「いや、さっきからボーッと、心ここにあらずって感じだからさ。……まぁ、あのなるみもが突然編入してきたんだから、推しのお前が混乱するのもわかるけどよ。俺もさ、もしレオポンが同じクラスメートになったとしたら、緊張で爆発すると思うし」
……なるほど。憧れの人が急に目の前に現れたら、誰だって動揺する、か。――でも。
須王の発言は少しニュアンスが違う気がする。僕が感じている不安感はたぶん、そんなシンプルな理由では片づけられない。リアルのなるみもと同じ空間を共にすることで、自分が自分でなくなってしまうような――
解のない禅問答に自意識が吸い込まれそうになっていた僕だったが、「それにしてもすげぇよなぁ」のん気な須王の発声によって現実世界に強制送還された。
「一気に転校生が三人。しかも一人は現役アイドル。他の二人にしたって一級品の美少女ときたもんだ。……っていうか、なんで全員うちのクラスなんだ? 配分おかしくね?」
須王の疑問はもっともだ。そして僕は今回の騒動の裏側に、神の所業が絡んでいるのではないかと踏んでいる。何故なら、
――接点があれば、いいのだな――
あの夜シレネは、不敵な笑みと共に意味深な発言を残して去った。三日も姿を見せなかったと思えば、転校生としてしれっと僕の前に現れる。僕の片思いの相手――鳴海美百紗と一緒に。
偶然の一致で片のつくシチュエーションではない。それこそ、人智を越えた力を使い、この状況を意図して作り出した人物がいるはずだ。
僕は羽黒雪乃――と名乗ったシレネへ目を向ける。
彼女は一人、教室の隅っこで窓の外をボンヤリ眺めていた。エーデルやなるみもと違い、彼女に声をかけるクラスメートは誰もいなかった。
僕が横目でシレネの姿を観察していると、隣で須王がボソボソとした呟く。
「羽黒さん……だっけ。あの子もかなり美人だけど。……なんか、雰囲気こえーよな。人でも殺したことがあるような目、してるし」
須王と似たような感想を他の連中も感じたのだろう。実際、シレネは人を寄せ付けないオーラを全身から発していた。僕は思考する。
今回の転校騒動にシレネやエーデルが噛んでいるのは間違いないだろう。事の真相を二人に確かめたい欲求はあった。しかし陰キャ代表みたいな僕が、教室内で初対面の転校生にいきなり話しかけるのは不自然だし、エーデルにいたっては未だ女子連中に囲まれており、そもそも近寄れる隙がない。……どうしたもんかな。
僕がうだうだと逡巡していると、場に変化が訪れる。シレネに一人の男子生徒が近づき、声をかけ始めた。
「雪乃ちゃ~ん。俺、柳田っていうんだ。キミみたいな美人、超タイプでさ~、ちょっとお喋りしない?」
僕は大口をあんぐり開けた。柳田って、僕が思っていたより何倍もバカなのかもしれない。
「……すげぇな柳田。転校生を初日からナンパって」
須王もまた、呆れと感心を半々に混ぜたような表情を浮かべていた。柳田の暴挙に気づいた周囲の生徒も、好奇心に満ちた目を二人に向けている。
……コレ、どうなるんだ――僕が胸中で一抹の不安を覚えたところで、シレネがゆっくりと顔をあげて柳田を見た。そして、
「……なんだお前、私と性行為でもしたいのか?」
その発声は凛と張っており、
その発言は空間に響き渡っており、
その台詞はクラス中のみんなの耳にねじ込まれており、とどのつまり、
空気が凍ってしまった。
……オイオイオイオイッ!?
一抹の不安が百抹のカオスへと為り変わる。……アイツ、何、言い出して――
だらしない笑みを浮かべていた柳田は、無論そのまま動かなくなった。誰もが氷像のように硬直し、教室の隅でキョトンとした顔を浮かべるシレネにクラス中の視線が集まっている。
「あっ……あーっ!」
甲高い声が静寂を破る。わざとらしい叫び声をあげたのはエーデルだった。
彼女はガタンと席を立ち、バタバタと慌ただしくシレネへと近づき、無理やり笑顔をひねり出して、「ゆ、雪乃ちゃんっ! お手洗いの場所わからないから、二人であとで一緒に確認しにいこうねーって、さっき、そう言ってたよねーっ!?」
「……はっ? お前、何言ってるんだ? そんな約束した覚え――」
「いいから、来いってのーっ!?」
半ば強引にシレネの腕を掴んだエーデルが、彼女を連れて教室の外へと飛び出していった。ザワザワと、喧騒が再び波打ち始めて、
「……あの子、さっき性行為って言わなかった?」
「まさか、聞き間違いでしょ。蝉ボーイとか――」
「……いや、蝉ボーイってなんだよ」
急展開に呆気取られて僕だったが、しかし同時にこうも思う。
……二人と接触するなら、今がチャンスじゃないか?
空間が混沌に包まれているのをいいことに、立ち上がった僕は二人のあとを追った。
「――アンタ、いきなり何言ってんですかーっ!?」
教室を出ると、廊下の隅でエーデルがシレネを両手で突き飛ばしていた。シレネの頭が柱の角に激突する。頭を抑えながらヨロヨロと体勢を立て直したシレネが心底不思議そうな顔をエーデルに向けた。
「……何かまずかったのか? あの男は下心を隠そうともせずに私に近づいてきた。私はそれを確認しただけだ。間違ったことは言っていない」
「だ、だとしても……初対面の相手に性行為とか言い出す女子高生、どこの世界にいるんですかーっ!?」
「言い方がダメだったのか? セックスだったら良かったのか?」
「余計ダメだよ! このエロ死神がーっ!?」
エーデルが再びシレネを突き飛ばし、彼女の頭が今ひとたび柱に激突する。……まずいな。このままだとシレネがエーデルに殺される。天使が死神を暴行死させるなんて前代未聞だ。
僕が足早に彼女たちに近づくと、エーデルがこちらに気づいたようだ。
「あっ、玲希さん……」興奮冷めやらぬ様子のエーデルが僕の名前を呼び、シレネは頭を両手に抱えてうずくまっている。
「……どういうことか、説明して欲しいんだけど」僕が端的にそう訊くと、
「せ、性行為の件ですか?」
「なんでだよ。それもそうだけど、それはもういいよ。じゃなくて……なんでキミたちとなるみもがうちの学校に転校してきているのさ。それも三人ともうちのクラスなんて……どうせ二人の仕業でしょ?」
しゃがんでいたシレネがムクリと起き上がり、頭をさすりながらもジト目を僕に向ける。
「鳴海美百紗とお前の『接点』を作ってやったまでだ。我々もついでに編入させてもらった。……学生に扮した方が今後、お前たちの動向を監視しやすいと踏んだのだ」
「……どうやったの? カミサマって人の心でも操れるの?」
「そんな必要はない。命が惜しければ鳴海美百紗と私たちを編入させろと関係各位に脅しをかけただけさ。死神流のやり方でな」
……相変わらず無茶苦茶だ。僕は大いなる嘆息を大仰に漏らして、
「そもそもキミたち、天界のカミサマなんでしょ? 住所とか名前はどうしたのさ」
「それはですねーっ!」エーデルが得意げにふふんと鼻を鳴らして、「天界の神々はですね、地上界での業務をスムーズにこなせるよう架空の戸籍が用意されているんです。前世ではアタシたち、死んじゃってますからーっ!」
「……前世? 死んじゃってる?」エーデルの言葉が引っかかった僕が、そのまま疑問を口にすると、
「あっ」明らかなるしまった顔を晒したエーデルが、あわあわと口を開閉させ始める。
二の句を継げないエーデルに代わりシレネが返事をくれた。
「天界に存在する神々はみな、元人間だ。地上界で命を引き取った人間が天界に昇り、神になる。前世の記憶を有したままな。……私やエーデルも例外ではない」
「えっ」彼女がさらっと宣った衝撃の事実に、僕は言葉を失う。
「シ……シレネ様! 輪廻転生の真実について、あんまり地上界の人間に漏らさない方が――」
「この男一人に知れたところで大事にはならんし、例え口外したところで誰も信じるまい。そもそも、先に口を滑らせたのはお前だろうエーデル」
「そ、それはそう……ですけど~」不満を口にとがらせたエーデルだったが、ここは分が悪いと踏んだのか渋々と引き下がった。
「とにかく」仕切り直す様にシレネが短く発声し、人差し指を僕の鼻頭につきつけた。
「藤吉玲希。『言い訳の余地』は消させてもらったぞ。お前と鳴海美百紗には、同じクラスメートという『接点』が生じた。……あとは、お前が奴に想いを伝えるだけだろう?」
「いや、そんな簡単な問題じゃないでしょ。同じクラスメートになったからといって、ロクに会話もしたことないのにいきなり『付き合ってくれ』なんて……ドン引きされて終わりだよ」
僕が両手を振りながら慌てて否定すると、シレネがキョトンと首を傾げはじめる。
「……そうなのか? エーデル?」
「いきなり告白しても、成就は難しいと思いますよーっ。まずはお喋りでもして、お互いのことを知ってからじゃないとーっ」
「はぁ。恋愛ってやつは難解で難儀だな」……お前の発想が単純すぎるんだよ。
――と、僕の辟易が限界突破したところで、電子チャイムのベルが授業の開幕を告げる。
「……とにかく、昼休みにでもまた話そう。頼むから、これ以上ヘンなことしないでよ」
僕が二人に釘を刺すも、シレネは何かを考えこんでいる素振りで声が届いている気配がない。
謎に浮足立っているエーデルは、「じょっしこうせい♪ じょっしこうせい♪」無人の廊下をキップ交じりに闊歩しはじめる始末……はぁっ。
頭が痛い。腹が痛い。呪いによるタイムリミットが来ずともストレスで死ぬんじゃないだろうか。
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