7.扉問答【ホラー】

 怖い夢を見た。

 それが久しぶりに記憶に残ったのでこうして文にする。

 怖かったが、克服するかのような内容だったのが面白く感じてもいる。


 それでは、早速。



 夢が始まったとき、そこは自宅のリビングだった。

 何故か明かりをつけておらず、いやに薄暗いそこに、私は少年一人と、少女二人と共にいた。

 少女二人のことはただの顔見知りようだったが、少年は私の弟であるらしい。


 不思議だ。


 そして、私たちは何をするでもなくそこで適当な会話をしていたのだが……――


 ――――何かが来た。


 視界の外に訪れたその何かに気づいた私のそれは直感であった。


 周りの三人も口をつぐみ、目をきょろきょろと動かしている。


 私は意を決してその何かの気配を感じる方へ目を向けた。それはリビングと廊下を繋ぐガラス戸の向こうにいた。


 カ○ナシだった。


 あれである、ほら、ジブリの。

 黒くて白い面のあいつ。


 ザワッと全身の肌が粟立った。


 駄目だ、これは駄目だ。


 それは私の恐怖だった。

 招いてしまえば入り込むモノ、無貌の黒いモノ、人を喰らうモノ。

 ずっと、これだけは駄目なのだ。


 それが、ガラス戸一枚を隔ててすぐそこに立っていた。

 私の周りにいた三人もそれに気づいて凍りついた。


 固まる私たちの前で、それは、気味の悪いほどに頼りなく細い腕を伸ばして、ガラス戸に触れた。


 コンコン。


 ノック。

 その意味を正しく理解して、私は冷や汗が背筋を流れ落ちるのを感じた。


 招かれよう入ってこようとしているのだ。


 コンコン。


 繰り返し。それから『ア……アァ……』と形容しがたい震えた声をかけてくる。


 その行為が何を意味するのか正しく理解していた私は即座に、その場にいる三人に「答えるな、声を出すな」と小声で告げる。


 答えれば、許可を与えてしまえば、あれは入ってくる。


 コンコン。


 コンコンコン。


 コンコンコンコン。


 私たちは必死に耐えた。私たちとそれを隔てるのはガラス戸だから、それはずっとこちらを見ていた。その視線が、無いはずの眼から放たれる視線が、ひどく恐ろしかった。


 それから体感で三十分は経ったと思う。


 ガラス戸の向こうのそれは、ついに諦めたらしく、ふらりと姿を消した。


 私たちは安堵して、どっと溢れた疲労感に溜め息を漏らした。


「よかった」


「もう一回来るかな」


 少女たちはそう囁いている。


「もう一回来たとしても、することは同じだよ。答えるな、声を出すな。知人の声を出してくることもある。絶対に反応するなよ」


 私は厳しくそう言い含めた。


「自分で扉を開けられないモノの時点で駄目だ。開けてと言われても開けるな。入っていいかと聞かれても許可するな。今日一日外から声をかけてくるものには答えちゃ駄目だ」


 分かったか、と聞くと三人はコクコクと青い顔で頷いた。


 ふぅ、と息を吐く。

 これを言えて良かったと思った。

 さっきはあれがいたから下手に声を出せなかったのだ。


 それからしばらくは休息の時間だった。

 けれど、誰もその場から動くことはしなかった。



 そしてまた――――来た。


 コンコン。


『開けてよ、○○ちゃん』


 少女の一人がヒュッと息を飲んだ。

 これは彼女の母親の声だ。


『ねえ、開けてよ、開けてよ』


 私は首を横に振って「絶対に答えるな」と視線で伝える。少女は頷いて、真っ青な顔で口を押さえていた。


『……ァァ……おい、荷物が多くて開けられないんだ、開けてくれよ』


 コンコンコン。


 今度は私の知人の声だった。


『おぉい、おおい、おォイ……』


 コンコンコンコンコン。


 私たちは全員、必死に口を押さえて声が出ないように堪えた。不意にかけられる故人の声、遠方の友の声、どれも、あっと声を出してしまいそうになるものばかり。


『入れてよ』


『入ってもいい?』


『開けろよ開けろよ開けろよ』


 コンコンコン。

 コンコンコンコンコンコンコン。


 怖かった。

 ガラス戸の向こうのあれの特性上、もしかしたら私たちの知る人を喰らったのかもしれないと、そう考えてしまってとてもつらかった。

 とても怖かった。


 その時間は永遠に続くとも思えたが、不意にガラス戸の向こうのそれはふと姿を消した。


 緊張の糸が切れて、どっと疲れが出た。


 しかし安心はできない。

 あれが来たのは二回目だ。

 三回目もあるだろう。


 私たちは束の間の休息の時間を無言で過ごした。



 そしてまた、あれはやって来た。


 私はガラス戸を睨み付けていた。

 誰が招いてやるものか、と気合いをためていたのだ。


 ガラス戸の向こうに黒い姿が現れる。

 腕が伸びて、ノックを――――




 ――――がちゃり。




 その腕は、ドアノブを掴んだ。


 私は信じられないものを見る目で、じわじわと開くガラス戸を見ていた。


 何をした?

 何故開けられる?


 様々な思考が脳裏を駆け巡っていた。

 けれど、それを吹き飛ばして私は立ち上がった。


 それがこちらへ踏み込んでくる前に対処しなければと思った。


「駄目!!」


 焦って絡まった思考のまま、私は扉を開けて入ってこようとしたそれに叫んだ。


「許可してねぇからッ!!」


『ェ……エェ……』


「入ってくんなッ! 帰れ、帰れよ!!」


 黒いそれは戸惑ったようにもじょもじょ動いていた。怖かった、だがそれ以上に入られたらまずいという気持ちの方がすごかったのだ。


 私は招き入れるのとは逆の言葉をひたすらに叫びながら、それをどんどん玄関へ向けて追い立てていった。


「そもそも家に入るのも許可してねぇからッ!! ふざけてんのかてめぇ!! まじありえねぇ!! 帰れ! ここはお前の入っていいところじゃない!!」


 非常に口が悪かったのは、それが怖かったからだ。許してほしい。


「出ろ!!」


 そうして、我が家に侵入していたカオ○シは玄関のドアをスゥゥと抜けて出ていった。


 私は鍵の確認をして、やっと安心することができた。



 その後も、何か色々と夢を見ていた気もするが覚えているのはここまでだ。



 普通に怖かった。

 扉問答のルールを平然と破ってくるとは有り得ねぇ。許しがたいことだった。


 だが、ガッツで追い払えて良かった。

 やはり怪異には気合いだ。


 ルールを破ってくるのならこちらも型破りで行くしかあるまい。

 招かれざるもののくせに入ってきたのだから、それが勝手に得た許可を言霊で全力で取り消す。

 それが夢の中の私がごちゃごちゃの焦りの中でやったことだった。


 私は怖がりである。

 だからこそ怖い話を積極的に見聞きして知恵を蓄える。

 知らなければ対処できないからだ。



 それにしても。


 舞台が自宅だったので、もしかしたら本当に何か招かれざるものが入ろうとしてきていたのかもしれないなと思った。


 だとしたら、追い払えて良かった。


 そう、強く思った。

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