ローレライの歌

朝霧 巡

第1話

 海の中はいつだってボクのもの。ボクの世界。そう信じている。

 碧く広がるこの世界は全部。海の水も、海面をゆらゆらと漂う陽射しも、静かに動く魚達だってみんなみんなボクのもの。


 この静かな世界で、ボクはいつだって自由に生きている。何者にも縛られず、綺麗な海の中を、胸を張って泳いで行く。

 そう、ここがボクの生きる場所。生きていくべき愛しい世界だから。



 あの日あの場所で『彼』と出逢うまでは……


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ノイルフェールの伝説~神代の聖女セインテス~外伝

~The legend of Noirfale~SIDE STORY


ローレライの歌


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「ナディヤ! 待ってよっ―!」


 呼ばれる声に振り返ると、ボクの数少ない友達のヒルダが後を追うように泳いでくる。


「早く、ヒルダ! 早くしなくちゃイルカの群れが見られないよっ!」


 彼女を急かしながら先へ先へと進む。

 ボクはイルカが大好き。あの美しい情景を思い浮かべるだけでワクワクしてくる。早くイルカ達に会いたい。


 山吹色の長い髪が水に揺れる。

 目指すのは『いつもの特等席』。ボクは金と白の混じった尾鰭をひらひらと揺らしながら、ただひたすら泳ぎ、海の真中にぽっかりと浮かぶ小さなへやってきた。

 正直に言えば、岩同然のその場所は、ボク達二人が座ってちょうど良いくらいのベンチサイズだけど、この場所こそ『いつもの特等席』! ここでイルカ達がやってくるのを待つ。


「そんなにそのイルカ達、綺麗なの?」


 ヒルダが尾鰭をパタパタと水に浸けたり出したりしながら聞いてくる。


「もう、本当に綺麗なんだっ! この間、ちょっと話し掛けてみたんだけど、みんなすごくいいイルカ達だったよっ!」

「ふぅん……じゃあ早く来ないかなぁ?」


 その声が聞こえたのか、海の彼方からイルカ達が群れを成して跳ねながらやってきた。

 凄い、凄い、凄い! ボクもああやって飛びたい! ヒルダも身を乗り出して見ていると、イルカ達はあっという間に此処までやって来た。その内の小柄なイルカが近づいてきた。何度も飛び跳ねたり、水面を立ち泳ぎするイルカはこの間友達になった女の子、名前はドリー。


「こんにちはナディア。お隣は新しい子?」

「ボクが連れてきたの。友達のヒルダだよ!」

「こんにちは、イルカさん」

「あたしはドリー! ヒルダちゃんで良い?」

「いいわ。ドリーちゃんね? よろしく!」


 そう言ってお決まりの挨拶が終わる。

 他のイルカ達は「早く」とばかりに待っている。ボクはその様子をちらっと見てからドリーを促した。


「そろそろ行った方がいいんじゃない?」


 ドリーは、多分彼女のお母さんだと思われるイルカに目配せをしてからボクとヒルダの頬にキスをした。


「じゃあ、またねぇ!」


 そう言ってイルカの群れは去っていく。

 ヒルダは見えなくなった海の方向を見ながら笑った。


「可愛いわね、あの子。素直そうで」

「とってもいい子よ。一緒に遊べたら楽しいのにね」


 そんなことを話しながらボク達は帰路へついた。


 ボク達は人魚族。人魚族には『セイレーン』や『メロウ』、『マーメイド』がいて、ボクは『マーメイド』だ。

 ここの海はほとんど人間ヒュームがやって来ることもないから危険もないし。そして何よりも海で起こる全てのことをボクは愛している。

 水平線の向こうから見える朝陽とか夕陽とか……さっきのイルカの群れだって、時々現れるクジラの群れだって、迫力があって凄い。

 海の世界は何時だって希望や暖かさに満ち溢れている。この陽気な世界がボクの全てだから。


 ボクは、人間ヒューム達の住む世界について考えることがある。

 ママはとても怖い人ばかりが住んでいて戦争の絶えない世界だと言っていた。そんな怖い世界に住む人間ヒュームは、この世界の暴れ者のサメのように凶暴で残忍なんだろう。

 まぁ、サメは鼻先を殴って両手でひっくり返してやれば簡単に気絶するから人魚族の敵ではないけど、人間ヒュームはそうはいかないみたい。たまに仲間が突然いなくなったと思って皆で探していたら、人間ヒュームに攫われていたから危険だってママは言っていたし。


 この世界はいつだって平和なのに……


 ごくたまにだけど、漂流している人間ヒュームの船を見かける。ボロボロの船で真っ黒に焼け焦げていたり、積み荷だった木箱や残骸の木切れ、そして死体がプカプカと浮かんで魚達の餌になっていたりしているから、人間ヒュームはみんな死んじゃって誰一人、生きてないんじゃないかなって思うけど本当のことは判らない。


 ボクの疑問を解いてくれる者はいない。パパだってあまり頼りにならない。此処では人界に行ったことのある人魚なんていないし、真実を知っている者なんていないもの。

 ボクが唯一人間ヒュームの情報を仕入れることが出来るのは、大きな貝殻に刻まれている碑文だけだし。


 そんな事を思いながら、ヒルダと別れて家へ帰ると、ママが料理を食卓に並べていた。

 ボク達は基本的に火を使わない。海草サラダや群れで泳ぐお魚を何匹か捕まえて食べる。もちろんそのまま丸飲みはしないから、切り分けられて皿に盛られている。そんな食卓を囲みながら、ボクはさっき考えていたことをママに聞いてみることにした。


「ねぇ、ママ。人間ヒュームのいる世界へ行ったことのある人魚は本当にいないの?」

「そう言う事は私よりも、パパの方が詳しいわね? あなたは何かご存知?」


 ママは首を傾げながらパパを見る。パパも少し考えてから言った。


「まぁな、だが奇人変人のたぐいだから、近づいちゃダメだ」

「どうして?」


 ボクは口の中に海草サラダを頬張りながら身を乗り出す。


「此処に来る迄は冒険者をしていたらしい……おかの上を歩いていたと聞いている」

「えっ? そのヒトって、人魚族じゃないの?」

「ああ、人魚族だとも……ただアイツは、『セイレーン』でも『マーメイド』でもない」


『メロウ』であるパパは、思い出すようにその太い腕を組んで応える。

 ボク達人魚族の寿命は長く四〇〇年ほど生きる事が出来て、一〇〇歳程で大人になる。それまでは、男の子も女の子も全部纏めて『マーメイド』で、大人になった後は、男性は『メロウ』、女性は『セイレーン』になる。

 ボクやヒルダは五〇歳で、まだ成人の儀式を受けていない『マーメイド』だけど、ママは『セイレーン』でパパは『メロウ』だ。


――そのどちらでもないって……? どういう事?


 想像の斜め上の答え方をするパパに、ボクは訳が判らなくなった。


「えっと、それって何なの?」


 訳が判らなくなり、ボクはパパに訊いてみた。


「うん、まぁ……その……何だ……」


 こんなに歯切れの悪いパパを見るのは生まれて初めてかもしれない。

 言い出しにくいと言うよりは、ボクには伝えたくないと言う気持ちが、さっきからとっても滲み出ているし。


「話をするのは構わない……でも親として娘が危ないことを始めてしまうのはな」

「じゃあ、約束する! 危ない事はしないって!」


 そう言って、パパに笑顔を見せると、パパは傍らに置いていた炭酸水をクイッと呷った。人魚族はお酒を飲まない。だってボク達は水の中で生きているんだし、穢れた水では生きていけなくなるから。


「判った……いずれ、ナディヤにも話さなければいけない事だしな」


 グラスをテーブルの上に戻してパパは口を開く。


「アイツは『ローレライ』だ。我々人魚族の中で、唯一おかに上がる事が出来る存在だ。」

「へっ?……『ローレライ』?……何それ?」


 初めて聞いた存在だった。人魚族の仲間なんだろうけど、いったいどんなものなのだろう?

『セイレーン』とも『メロウ』とも違う人魚……おかに上がる事が出来る存在。そして人間ヒュームを知る存在。

 パパの話からボクの好奇心は当然刺激されていく。


「だが人間ヒュームの世界はろくでもないんだ……だから人間ヒュームには、絶対関わってはいけない……いいね」


 パパの言葉に、ボクは頷いて木の実を齧った。

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