犬神様の欲しいもの

 青空に煙が幾筋も伸びていた。

 廃墟の街の中に突如現れた高い壁。

 それは様々な廃材を積み上げてできた雑な作りだったが、確かに外界と内とを隔離していた。

 壁の中から、聞こえてくる微かな生活音はそこに確かな人の営みがあることを証明している。

 神は運び屋の案内のもとそこにたどり着いた。


「これ……どうやって入るんじゃ?」


 壁を見上げて孤狼はつぶやく。

 よじ登ろうと思えばできなくもなさそうだったが、それはよろしくないだろう。

 その壁が外部からの侵入を拒んでいることは明らかだ。


「どこかに入り口があるはずだ」


 入り口を探して孤狼たちは壁に沿ってぐるりと歩く。

 夕の推測通り、川と壁が交わる地点に入り口のようなものが見えた。

 おそらく孤狼たちのような徒歩で来る来訪者だけでなく船での往来もあるのだろう。

 関所があり、人の姿が確認できた。

 人間たちは夕と同じようにガスマスクを身につけている。


「動くな、ここに何の用だ!」


 そのうちの一人が、銃をこちらへと向ける。

 まず初めにすることがそれなのだからこの荒廃した世界の治安が窺えるというものだ。

 出会う人間が皆銃を向けてくるので、孤狼はそれが最近の挨拶なのだろうかと変な勘ぐりをしていた。

 夕は両手を上げ、無害なことを示す。


「私は物資を運んできた。こっちは迷い人だ、この集落に保護して貰いたい」


 夕は背中の鞄を下ろすと関所に近づく。

 孤狼も彼女に続いた。

 集落への期待に胸を弾ませながら。


「止まれ感染者!これ以上近くな」


 大きな音がして孤狼は耳を伏せる。

 銃弾が孤狼たちのすぐ近くの地面に向けて発砲された。

 地面が爆ぜ、煙が上がる。


「物資をそこに置いて、お前らは10歩下がれ」


 物騒なやりとりに孤狼は顔をしかめる。

 それになんだか変だ。

 彼らはまるで親の仇でも見るかのようにこちらを睨んでいる。

 だが夕は慣れたように鞄から物資を取り出すと、言われた通りに地面に置き、数歩下がる。

 孤狼の服の袖が彼女に引っ張られる。

 孤狼は渋々後ろへ下がった。

 もっと友好的に出迎えてもらえるかと思ったのに、何か思い違いをしていたらしい。

 銃を孤狼たちに向けたまま、男は顎で物資を示す。

 男の両脇の男たちが物資へと駆け寄った。

 男たちはなにやらスプレーを取り出すと物資に向けて噴射している。

 匂い的に酒の類だろうか、と孤狼は鼻を鳴らす。

 その消毒はしつこいほど念入りに行われた。

 物資の箱が湿るんじゃないだろうかと思う頃、男たちはそれをようやく回収した。

 男たちは壁の中へと引っ込み、しばらく沈黙が訪れる。

 孤狼は退屈そうに尻尾を揺らした。

 銃は向けられたままだけど、少しくらい動いてもよいのかのう。

 孤狼がそんなことを思い始めた時、男たちが戻り、銃を構えた男に何か耳打ちした。


「物資を確認した。ご苦労だったな。約束のものだ」


 ぞんざいに、箱が投げつけられる。

 夕は慌てたようにそれをキャッチする。

 箱の中で物資がぶつかり合う硬質な音がした。


「おい!」


 声を荒げる夕に対しての返事は無言で構えられる銃だけだった。

 約束のもの……なんだろう?

 その箱からはあの嗅ぎ慣れない匂いがしていた。

 孤狼がもらった筒と同じ匂い。


「用は済んだなら。ここから去れ」


 取り付く島もない。

 彼らの拒絶から何か恐怖のようなものを孤狼を感じた。

 孤狼を近寄らせたくないないと思うような何か。


「待ってくれ、こいつは迷い人だって言っただろう。この集落で保護してくれないか」


「感染者を中に入れるわけにはいかない」


 孤狼を指して説明するもそれも拒絶。

 感染しとらんが……と孤狼は眉を潜めた。


「こいつは感染者じゃない」


「非感染者が感染者と一緒にいるわけないないだろう」


「感染しちまうからな」


 その言葉に夕は拳を握りしめている。

 なるほど、彼らは感染を恐れているのか。

 孤狼はどこか腑に落ちた気がした。


「感染するんか?」


 孤狼の無神経な問いに対して、夕は蹴りを入れて返事をした。


「感染していない、検査してもらってもいい。それにこいつは強化人間だ。そちらとしては喉から手が出るほど欲しい人員だと思うが?」


 夕の言葉に男たちは孤狼をまじまじと観察する。

 獣の耳と尻尾、普通の人間にはないパーツがついた少女。

 普通ではないのは明らかだろう。

 一方孤狼は自身が強化人間などという訳が分からない分類をされて、少し不機嫌になっていた。

 だがここで神だと名乗ってもどうせ信じてもらえないだろうと、孤狼は口を閉じる。

 どうやらこの時代は神というものが周知されていないらしいと、孤狼は気付きつつあった。


「確かに、どこの施設の出だ?若いし、戦争時のものには見えないが」


「さぁな、私は外で彷徨っているのを見つけただけだ」


 戦争、その言葉に孤狼は耳を尖らす。

 全く興味のなかった強化人間という言葉が戦争と結びつく。

 それが関係あるということは、儂のような勘違いではない本物の強化人間は戦争のことを知っておるのだろうか?

 寝ている間に何があったのかを……強化人間は知っている?


「いいだろう、彼女はこちらで検査する」


 孤狼が思考している間に結論が出たのか、男たちは肯く。


「来い、こちらの指示に従い、誰にも触れるなよ」


 男たちから銃を向けられ、壁の中へと促される。

 孤狼としては敬意のない扱いに不満だらけだが、人のいる集落に入れるということで一応大人しくしておく。


「お前はいかんのか?」


「聞いていなかったのか?私は感染者だ」


 夕はもうこちらに背を向けていた。

 もう孤狼のことなど見ていない。


「感染者が集落に入れる訳ないだろ」


 その言葉に孤狼は押し黙る。

 何か神と人間という身分以前に自分と彼女には決定的な違いがある。

 感染者と非感染者。

 そんなもの孤狼は気にかけていない。

 だがこの時代の人間たちにとってそれは絶対的な違いのようだった。

 引き止める間もなく彼女は去り、孤狼は集落の中へと追い立てられる。

 孤狼は何度も振り返ったが、夕は一度も振り返らなかった。




……………………………




…………………




……




「んぁ〜うざったいのぉ」


 孤狼は鼻息荒く頭をふる。

 集落へ招き入れられた孤狼に待っていたのは念入りな感染検査だった。

 検査着へと着替えさせられ、何重もの審査を経た末にようやく孤狼は非感染者と診断された。

 もう関所をくぐってから何時間もの時が経っていた。

 孤狼は検査着を脱ぎ捨てると、慣れ親しんだ巫女服に袖を通す。

 片腕で不便そうに着替えているというのに手伝ってくれる人は誰もいなかった。


「…………うん?」


 巫女服を着た孤狼はあることに気が付く。

 懐をさぐる。

 減っている。

 夕からもらった筒が2本しかない。

 もしや落としたのでは?と辺りを探すもどこにもない。

 着替える前は確かに3本あったはずなのに。


「お主、この筒がもう1本あったはずなのじゃが知らんか?」


「さぁ」


 着替えを持ってきてくれた女性に尋ねても首を傾けられるばかり。

 関所の人間たちは忙しなく動き回るばかりで、こちらを見向きもしない。


「大切なものでしたら、手放さず手の届くところに置いておくべきかと」


「はぁ!?」


 そもそも荷物を置いて着替えろと指示されたから預けたはずなのだ。

 それがなくなっているのはどう考えてもおかしい。


「検査はこれにて終わりです。立ち入りを許可します」


 話はこれで終わりだとばかりに扉を開けられる。

 この扉の向こうには孤狼が渇望し続けてきた人間たちの暮らす集落がある。

 だというのに何か釈然としなかった。


「っ…………」


 文句を言ったところでここの人間は話を聞いてくれそうにない。

 盗まれた方が悪い、そういうことだろう。

 1本減ってしまったワクチンを握りしめながら孤狼は扉を潜る。


「おぉ!」


 そこには孤狼の夢見た景色が広がっていた。

 小さな集落には少ないながらも人間がいた。

 木々に浸食されていない建物。

 歩けばそこには店があり、人と人の交流がある。

 道端で遊ぶ子供たち。

 誰もが清潔で、目に隈を作って何かに怯えることもなく、身体に生えた植物に汚染されることもない。


「……………………」


 孤狼は立ち尽くしたままそれを呆けたように眺めた。

 こういった景色を望み続けてきた。

 それを求めて歩き続けてきた。

 でもこうやってそれを目にした時、頭に浮かんだのは喜びではなかった。


「歪じゃな」


 悲しみと、少しの失望。

 ここに夕のような身体に植物を生やした人間の姿はない。

 孤狼が真に望んだものは、人々が手を取り合い病魔と戦う姿だったのかもしれない。

 でも孤狼が見たのは、外で生きる感染者と壁の中で生きる非感染者だった。

 こんなことで失望するのは筋違いかもしれない。

 昔から分かっていたことだ。

 眠りについたのだって、お互いに争い合う人間に嫌気がさしたからじゃないか。

 目を覚ましたら人間が反省して自分に頭を下げてくれると思っていた訳じゃない。

 孤狼はただ嫌なことから目を背けていただけだ。

 人間は変わってなどいない。

 戦争をしていた頃から、何も。


『街というより、少数によるコミュニティですね。まさしく集落です』


「お主……見ないと思ったらどこへ行っておった」


『壁内の人間をスキャンしていました。安心してください感染者はゼロです』


「そうじゃろうな……」


 Moが空から孤狼のところまで降りてくる。

 そういえばこの球体は関所のあたりから姿が見えなかった。

 離れてそんなことをしていたのか。


『感染地区からも遠く、この地にとどまれば安全でしょう』


 Moの言葉に孤狼は鼻を鳴らす。

 別に孤狼にとっては魅力的な話ではなかった。

 孤狼の目がつまらなそうに細められる。


『15メートル先に菓子類を扱う飲食店を確認。コロウ様のお望みのものかと』


「それを先に言うんじゃ阿呆」


 甘味、それについては話が別だった。

 そもそもそれを探して彷徨っていたと言っても過言ではないのだ。

 Moの指示に従い孤狼は集落の中を大股で歩く。

 店はすぐに見つかった。

 鼻息荒く孤狼は突撃する。

 こじんまりとしたショーウィンドウに袋詰めのクッキーやカップケーキが並ぶ。

 申し訳程度に置かれた椅子と机。

 それはカフェというには小規模すぎる店だったが孤狼は気にしなかった。


「甘味が欲しいのじゃ!これで足りるかのぅ」


 夕に渡された除草剤を店員に手渡す。

 彼女の話ではこれは不変の価値であり、甘味とも交換できるというが……

 孤狼はこの手の取引に明るくなかった。

 店員は最初それが何か分からないといった様子で手に取った。

 そして中に入っている液体の正体に気づいた途端慌て出した。


「お客様、これでは多すぎます」


「うぬ?では1本でいいかの」


 2本から1本に減らしても店員の慌てようは変わらない。


「うちの全商品を買っても、まだ足りませんよ!」


「なぬ!?」


 どうやらこのワクチンは孤狼の想像しているよりもずっと価値あるものだったらしい。

 不足分を焼いてくるのでお待ちください、そう言い残して店員は店の奥に引っ込んでしまった。

 除草剤を片手に呆ける孤狼だけが、店に残される。


「……夕はどうしてこんな高価なものを儂にくれたんじゃろう?」


 甘味を買うのならばこんなもの3本もいらない。

 1本ですら多すぎると言われてしまったのだから。

 そんなものを彼女は3本も渡してくれた。


『おそらく、コロウ様がこの集落で不便をしないようにでしょう、とMoは推測します』


 そうかもしれない。

 彼女にとって孤狼は身寄りのない子供も同然だったのかもしれない。

 だから手を差し伸べてくれたのだろう。

 実際は孤狼の方がずっと年上で強大な存在だというのに。

 神に手を差し伸べる馬鹿がどこにいる。


「夕とこの集落の人間……どっちがこの時代の普通なんじゃろうなぁ…………」


 結局追加で焼いた分も含め、甘味は片手では抱えきれないほどの量になった。

 ここで食べ切れる分だけでいいのに、と思いながらチマチマとそれを口に運ぶ。


「いるか?」


『Moは食べれません』


「………………………………」


 悪くはなかった。

 クッキーはしっとりとして甘かった。

 昔子供たちと焼いた芋なんかよりよっぽど上等な甘味だろう。

 でも………………なんだか物足りなかった。

 甘味なら今の嫌な気分を吹っ飛ばしてくれると思っていたのに。

 何が違うのだろう。

 目を閉じると今まで食してきた甘味たちの思い出が蘇る。

 侍と食べた団子。

 御老人が供えてくれた饅頭。

 子供たちと食べた色とりどり金平糖。

 学生服に身を包んだ友人と遠出して食べたぱふぇ。


『ねぇ神様美味しいよ、一緒に食べよう』


 記憶の中では皆笑っていた。

 目を開ける。

 孤狼の向かいの席には誰も座ってはいなかった。


「味気ないのぉ」


 なんだか望んでいたものではない気がした。


「結局儂は何がしたかったんじゃろうな……?」


 甘味と人間を求めて山を降り、ここまでやってきた。

 今、望みのものは目の前にある。

 でも、虚しさが募るばかりだった。

 この時代に、孤狼を知る人間はもういない。




……………………………




…………………




……




 からん、ころん、と孤狼の履いた下駄が小気味いい音を立てる。

 それは木々に侵食された廃墟によく響いた。


「…………なんでここにいる?」


 夕が後ろを振り返る。

 その目は信じられないものを見るような、とんでもない馬鹿を見るような……まぁともかく呆れた目だった。

 彼女の心情を考えればそれは当たり前のことだろう。

 安全な集落に送り届けたはずの少女が、危険極まりない外の世界に舞い戻ってきたのだから。

 そんな夕の視線など気にせずに孤狼は胸を張る。


「儂は勘違いしておった!」


「……はぁ?」


 何が?というように夕の目が細められる。


「儂が欲しかったものは甘味でも人間でもない」


 菓子の大量に入った袋を振り回し孤狼は叫ぶ。

 甘味も、人の営みも、孤狼を満足させはしなかった。

 それは孤狼の欲しいものじゃなかった。


「儂が欲しかったのは甘味を一緒に食してくれる友人じゃ!という訳で夕、儂の友人になっとくれ」


「え?は?…………いや、何?」


 孤狼の言葉に夕は目を白黒させる。

 それは彼女にとってさぞ理解不能な存在だったことだろう。

 集落を抜け出しただけでも意味がわからないのに、いきなり友達になれと言うのだから。


「それで今日は甘味祭りじゃぁああ!」


 袋の中の菓子が孤狼によってぶち撒けられる。

 色とりどりの甘味が宙を舞った。

 その日感染者である小鳥遊 夕は未知の存在と縁を結ぶことになった。

 神という理外の存在である未知との縁。

 



 感染者と神との邂逅は滅びゆく人類の運命を変えるのだろうか?

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