犬神様はようやく人間と再会する

 銃が油断なく構えられる。

 レーザーサイトの赤い光はその銃口が孤狼の頭部を狙っていることを如実に表していた。

 マスクの奥の瞳が孤狼を油断なく見据え、動向を観察している。

 もし彼女が不用意に動けば、その凶器は躊躇いもなく火を吹くだろう。


「ほい」


 だと言うのに孤狼はなんの緊張感もなく動いた。

 彼女の手から宝剣が放られ、地面に転がる。

 剣は地面にぶつかり、甲高い音を立てた。

 凶器を向けられていると言うのに、あっさり武器を手放す。

 そのあまりのあっけなさにガスマスクの女性は面食らう。


「……ん……なんだお前?」


「何って、武器を捨てろと申したのはお主の方じゃろう」


 手ぶらになった孤狼は気安い調子でガスマスクの人間に歩み寄る。

 自分に向けられた銃など気にもとめない。

 孤狼は嬉々として銃口が彼女の額に当たるスレスレの位置まで接近した。


「久しぶりの人間じゃ〜」


「触るな、寄るな、撃つぞ」


 孤狼がベタベタとガスマスクを触り始めたため、彼女は銃で犬神を小突いた。

 銃を持った相手に近づいてきてすることがスキンシップとは思わなかったのだろう。

 若干呆れたような空気が広がる。

 緊張感のない孤狼の様子が、緊迫した場を軟化させていた。

 犬耳の少女を狙っていいのかも分からず銃身がさまよう。

 銃による威嚇は全く無意味だった。

 孤狼にとってそもそも銃など脅威ではないのだから仕方がないことなのかもしれない。


「その耳、作り物じゃないな。動物との合成?改造人間が一人でなぜこんな所にいる」


「改造人間?なんじゃそれ、儂は神じゃぞ」


「?」


「???」


 二人はお互いに首を傾ける。

 お互いあまりにも未知の相手すぎたのだ。

 世界のことを知らない神と、その世界を生きる神を知らない人間。

 二人の認知が交わることはなかった。

 結局、無害そうに尻尾を揺らす孤狼の様子を見て銃は下される。

 その代わりに腕を掴まれた。


「なんだか分からないが、マスクはどうした?ここは感染地区だぞ」


 強い力で引っ張られ、孤狼は引きずられるようにして歩く。

 その方角は今まで歩いてきた方角とは反対だったが、目的の人間と会えたため孤狼は逆らわなかった。

 黒い霧の漂う木々とビルを抜け、比較的綺麗な建物に侵入したところでようやく彼女は止まった。

 扉や窓が閉められ、念入りに外と中が遮断される。

 そうやってからようやくガスマスクが外された。

 厳ついガスマスクの中から出てきたのは、くたびれた様子の女性だった。

 短めに切りそろえられた髪は乱れ、目の下には薄くはない隈がある。

 先ほどとは逆で今度は彼女の方が孤狼をベタベタと触り出す。

 下瞼を引っ張られ、眼球を覗き込まれる。

 巫女服の胸元が躊躇いもなく開けられ、地肌を確認される。

 同性同士であったとしてもセクハラと受け取られかねない行為だったが、彼女はそれが当たり前かのように淡々と孤狼の身体を確認した。


「…………?……頭を撫でてもよいぞ」


「何言ってんだ、ほら口開けろ」


「あぶっ、舌を引っ張るでない」


 口の中まで確認して、ようやく女性は孤狼から手を離した。

 離しはしたが、その目は不審なものを見るように孤狼の左腕を見ていた。

 それも当然のことで、先ほど切り離したはずの孤狼の腕の傷はもう塞がっており、それどころか少し再生している兆しすらあった。


「一応……感染はしていないみたいだな」


『当然です。スキャン結果非感染だとMoは診察します』


 訝しむ女性に対してMoがスキャン結果を提示する。

 機械はもうとっくにスキャンを済ませていた。


『コロウ様は一時感染しましたが、感染部位の切除という物理的対処により現在非感染者です。それに対してあなたは感染していますね。肩部に感染兆候あり、ワクチンの摂取を推奨します』


「分かってるよそんなこと」


 Moが銃で小突かれる。

 彼女は鬱陶しそうにMoを追い払った。

 光のない目が自身の肩から生えた小さな若木に一瞬向けられたが、すぐに逸らされる。


「感染してなくてよかったな、でもマスクもなしであんな所をうろつくなよ。いつ感染してもおかしくない」


「儂は神だから大丈夫じゃ!」


『先ほど感染してましたとMoは再度警告します』


 ドヤ顔を披露する孤狼に対して、女性は冷ややかな視線を向ける。

 Moも不服げに光を点滅させていた。


「神だの何だの訳が分からない……服装から見ると新興宗教の巫女か?緑繁教にしては格好が違うが……」


「んな!?違うのじゃ!儂は古来から存在する由緒正しい犬神じゃぞ」


「あー……はいはい。明らかな改造人間が新型の自立型機械をつれてひとり感染地区をうろつく……妙な話だな」


「こやつ全然話を聞いとらん!」


 理解してもらえず孤狼は地団駄を踏んだ。

 だが目の前の女性は神だと名乗られて、素直に信じる類の人間ではなさそうだった。

 孤狼はため息を吐くと、もう理解してもらうことを諦めた。

 別に自分の神性を否定されたのはこれが初めてではない。

 長い神の営みの中では否定され、偽物とみなされたことだってあったのだ。

 ずっと探していた人間に会えた、それでいいではないか。


「まぁいい、儂は孤狼。久しく目見えたことを嬉しく思うぞ人間。お主の名は?」


「あぁ?小鳥遊 夕だ」


 夕は差し出した孤狼の腕を取ってくれた。

 それだけで孤狼は嬉しくなる。

 仰々しい言葉遣いとは裏腹に、犬神ははち切れんばかりに尻尾を振っていた。

 一方最初は武器を向けた夕だったが、孤狼のそのあまりの無害っぷりに毒気を抜かれていた。


「のぅ夕、夕、儂は人間を探しておるのだが、知らんかの?しぇるたとか飴カリにいるらしいのだが」


「しぇるた?……あぁ、シエルターか。ここらにはないな。だが近くに集落がある」


「誠か!?」


「嘘なものか。私はカンパニーの運び屋だ、よければ案内しようか」


「うむ!」


 カンパニー、運び屋、孤狼にとっては知らない知識だったがそれを気にすることなく彼女は頷いた。

 人間に会える。

 人間の暮らす集落がある、そのことが重要だった。


「そこに行けばお前の保護者も見つかるかもな」


「お主……儂のこと何か勘違いしてない……?」




……………………………




…………………




……




 からん、ころん、小気味いい下駄の足音が静かなブーツの足音に続く。

 夕の後に続いて孤狼は集落に向かっていた。

 久しく出会えた人間と共に行動できるのが嬉しくて孤狼は無意味にステップを踏みながら歩いていた。

 もし犬を飼ったことがある人間が見たら、そこに首輪とリードを幻視したことだろう。

 神の威厳など微塵もない。


「集落にはどのくらいの人間がいるのかのぅ」


「さぁな。私も初めて行く」


 能天気に歩く孤狼とは対照的に夕は辺りを警戒しながらゆっくりと歩く。

 彼女の銃はいつでも発砲できるよう、油断なく構えられていた。


「のぅ、何で人間はこんなに数を減らしてしまったんじゃ?」


「?……何の話だ」


 孤狼はずっと思っていた疑問を口にした。

 荒廃した世界、そこに生きる夕にとっては当たり前かもしれないこの世界はずっと眠っていた孤狼にとっては分からないことばかりだ。

 疫病が蔓延しているのは分かった。

 神の不在も……

 でもそれだけで人間たちがこんなにもいなくなるなんて、孤狼には信じられなかった。

 過去にも疫病や天災はたくさんあった。

 それでも人間は生き延び、数を減らすどころか増やしてきた。

 それは神の力じゃない、人間自身の力だ。


「戦争は……もう終わったんじゃよな?」


「戦争?そういえば年寄りたちがそんな話をしていたな、私が生まれるよりずっと前の話だ」


 前を歩く彼女の生まれるよりずっと前の話……孤狼の眠りの長さは想像もつかない。

 そもそもあの不毛な争いは何年続いたのだろうか。

 自分が何年寝ていたのかも分からない孤狼にとっては頭の痛い話だった。


「確か、戦争の前はたくさんの人がいて、今よりずっと豊だって……爺婆が言っていたが、そんな話知っているなんてあんた見た目より歳くってるんだな」


「うぬ……もう自分でも歳が分からんわ」


 孤狼の言葉に小鳥遊はまた胡乱げな視線を向けてくる。

 神を知らない人間にとって、孤狼の言動はやはりというか無茶苦茶だった。

 歩きながら、孤狼は疑問を度々投げかけた。

 神のこと、人間の現状、疫病の詳細、そして甘味。

 話が大きすぎたし、人類が衰退する前の基準で話していたせいで、夕はその疑問のほとんどに答えられなかった。

 その代わりこの孤独な運び屋の中には一つの推測が固まりつつあった。

 おそらくこの少女は幼い時に宗教団体に拉致され、犬人間に改造されたのだろう。

 そうして神だと言い聞かせられ、外界から隔離され育てられてきた。

 だから何も知らない。

 それが何かの事故で脱走し、ひとり外の世界へ放り出されてしまった。

 かわいそうに……

 全く見当違いな推測であった。

 だが神を知らない世代の人間にとって、それは仕方のないことだった。

 幸か不幸か、夕はこの少女を無事に集落まで届けてやらねばと決意を固めた。


「よし、今日はここらへんで休もう」


 空の色が変わりつつある時間帯になったところで、小鳥遊は足を止めた。

 孤狼は不満げに耳を立てたが、人間が自分とは違い食事や休息が必要な生き物だということを思い出し、口を閉じる。

 二人は比較的大きな建物に侵入して、一夜を明かすことになった。

 そこは倉庫のようで、中には空の段ボールが山積みになっている。

 だが使えるものはあらかた漁られた後だった。

 集落が近いのだから当たり前のことかもしれない。

 夕は荷物を下ろすと、手早く小型コンロを設置し夕食の準備にかかる。

 それに対して手ぶらな孤狼は暇だった。

 手伝おうにも今は片腕で、勝手も分からない。

 仕方がないので横になり、静かに手を動かす夕を見つめる。

 暗闇は広がる倉庫の中で、コンロの小さな明かりとMoの照明がぼんやり辺りを照らしていた。

 何だか、懐かしい。

 昔、社に遊びに来た子供達と共焚き火を囲んで芋を焼いたこともあった。

 あの時も、孤狼は横になって静かに火と人を見つめていた。

 懐かしい営み。


「ほら」


 孤狼の前に碗が置かれる。

 中には湯気を立てる簡素なスープが注がれていた。

 最低限の味付けに、少ない具。

 それでもそれは孤狼が目覚めてから初めての温度のある食事だった。

 久しぶりの一人ではない食事だった。

 孤狼は興奮したようにそれを掻き込む。

 その様子を見てまともなものを食べてこなかったんだな……と小鳥遊はさらに勘違いを深めた。


 カシュッ


 しばらくして、小さな音がした。

 孤狼は顔を上げて見ると、夕が銀色の筒状のものを肩に押し当てている。

 嗅ぎ慣れない匂いが鼻につく。


「なにしとるんじゃ?」


「…………こんなことも知らないのか」


 呆れたような目線を向けられる、もう慣れたものだ。

 すんすんと孤狼は鼻を鳴らす。

 古い匂い、カビのような土臭い香り。

 食事中に嗅ぎたい類の匂いではなかった。


「除草剤だよ」


「じょそうざい?」


『ワクチンですね。しかし正規品ではないようです。医療機関によって処方された正規のものを使用することをMoは推奨します』


 Moの指摘に夕の顔が険しくなる。


「正規品なんてどこにある」


 吐き捨てるように彼女は口にした。

 そこには隠しきれない苛立ちがあった。

 先ほどのように銃を持っていたら、突きつけていただろう。

 どうにもMoと彼女は馬が合わない。


「私たちはこれを接種しなければ木になってしまう」


 肩から生える若木を忌々しげに睨んで彼女は呟く。


「心臓まで根が張ってしまえばもう終わりだ。約束された死……ただ、この薬だけが種子の成長を遅らせてくれる」


 彼女の言葉に孤狼も押し黙る。

 木に貫かれた奇妙な死体をいくつも見てきた。

 木に支配されたかのような植物人間。

 そして自身の手を貫きながら心臓を目指してきたあの植物。

 それらが孤狼の頭に浮かんでは消えた。


「だから、これは私たちの命綱であり……唯一不変の価値だ。ほら」


 彼女は孤狼に手を差し出す。

 手の中には3本の銀の筒があった。

 筒にはめ込まれたガラスから中の緑色の液体が見える。

 ほのかに光る奇妙な液体だった。

 匂いといい見た目といい、孤狼にとっては全く未知の物質だ。

 筒の先端を外すと針、簡易的な注射器なのだろう。


「儂には必要ないぞ、感染なぞしないし」


「集落にいくんだろ。やるよ。これがあれば甘味とも交換できるぞ」


「本当?」


 興味なさそうにしていた孤狼だったが、甘味の話を聞き掌を返す。

 孤狼は嬉々としてそれを受け取った。

 甘味が手に入るというならば話は別だった。


「私がやれるのはそのくらいだ。後は自分でなんとかしろ」


「ありがとのぅ!」


「あー、はいはい」


 孤狼は受け取った筒を宝物のように懐にしまった。

 集落に行けば甘味を食せる。

 今からワクワクが止まらなかった。

 楽しげにスープを啜る対照的に小鳥遊は憂鬱そうに顔をしかめていた。

 コンロの火に照らされ、目の下の隈が一層深く見える。

 だがその険しい顔も、無邪気に尻尾を振る孤狼を見て緩む。


「おかわりいるか?」


「くれ!」


 神と人間の夜はそんな風にして更けていった。

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