犬神様、変なものを見つける

「ほーんとうに人っ子一人おらんわい」


 孤狼は手で庇をつくりつつ辺りを見渡して、ため息を吐いた。

 廃墟と化した街、その建造物の中で一際高い電波塔。

 その天辺に孤狼はいた。

 高いところから見渡せば少しは何か見つかると思ったのだが、目の前に広がるのは朽ちた建造物や木々ばかり。

 動くものといえば、野生の動物くらいだろう。

 今も野生の鹿たちが大通りを悠々と闊歩している。

 人間がここらにいたときには信じられない光景だ。

 人がいなくなったことで動物たちも街まで降りてきたのだろう。

 

「山向こうには流石におるじゃろか?」


 よじ登った電波塔の上から、一息に飛び降りる。

 何十メートルという高さであったが、孤狼は難なく地面に着地した。

 下駄が地面と触れ合いカッという高質な音を立てる、それだけだった。

 この電波塔が高かろうが、さすがに山の向こうまでは見通せない。

 山を越えれば流石に人もいるだろう、孤狼にいつもの楽観的な考えが戻ってきた。

 先ほどは人類は滅亡したのかと勘ぐったが、あやつらがそう簡単に死滅するはずがない。

 彼女は鼻歌を歌いながら山に向けて進み始める。


「途中で小腹を満たせるといいんじゃがのう」


 彼女はお腹をさする。

 別に孤狼は食事をする必要があるわけではない。

 孤狼は大昔、犬という生物の範疇にあったが、今では神だ。

 彼女は生物という括りをとうの昔に外れていた。

 しかし、食事は孤狼の愛する娯楽であり、期待していた甘味が得られなかったこともある、今は何でもいいから腹に入れたい気分だった。

 神の力の源である民の信仰を全く感じない、というのも空腹感に拍車をかけている。


「儂は知っておるぞ」


 孤狼は誰も相手がいないというのに、渾身のドヤ顔を披露した。

 “こんびにえんすすとあ”なるものには何でも置いてあるのだ。

 おまけに、その店はどこにでもあるらしいの!

 まぁ、儂の社の近くにはなかったが……

 ともかく、この街にもそれが何店舗かあるだろうから、そこを物色しつつ先を進もう。

 何か食べる物が見つかるだろう。

 そんなことを考えながら、歩いていると、早速こんびにを見つけた。

 本当にどこでもあるのぅ。


「………………」


 しかし、そこに孤狼の期待したような食べ物は存在しなかった。

 棚は綺麗に空っぽで、パンひとかけらさえ残っていなかった。

 店内は明らかに荒らされた形跡があり、何者かが盗みを働いたのは明白だった。


「品揃えが悪いのぅ」


 だが、それを孤狼に察しろというのは無理のある話である。

 開店しているわけでもない無人の店内で彼女はプリプリと怒ったが、そもそも怒りを向けるべき相手がいないのだった。

 もし孤狼にもう少し賢さと常識があれば、少しは現状を把握できたことだろう。

 店の入り口付近に赤く描かれた警告文。


『危険!汚染地区』


 何らかの汚染を示す警告。

 しかし彼女はそれに気づかなかった。

 まぁ、たとえ気づいたとしても孤狼にそれを理解できたかは疑問が残るが。

 孤狼は漢字が苦手なのだ。

 かくして孤狼は山を目指し、ついでに店も物色しながら、ふらふらと歩き続けた。




……………………………




…………………




……




 日が暮れる頃になっても、成果は芳しくなかった。

 誠に遺憾ではあるが、“こんびにえんすすとあ”には何も売っていなかった。

 唯一口にできたものといえば、知らぬ者の家の庭先に生えていた木になっていた果実くらいか。

 萎びていたが、まぁないよりはマシであった。

 しかし見たことのない果実だった、味もイマイチだったし……


「今晩はどこに泊まろうか」


 お腹を鳴らしながら彼女はそう独りごちる。

 以前人里に降りた時は自分を信仰する者や、人里で作った友人の家に泊めてもらったものだが。

 今は信者や友人以前に人がおらぬ。

 しかし肌寒い外で眠るのは何だか嫌だった。

 孤狼は文化的な神なのだ(少なくとも本人はそう思っている)。

 お天道様が沈めば屋根の下で布団にくるまって寝るのが理想だった。


「こーんばーんわー」


 なので、孤狼は道すがらで見つけた一軒家の門を叩いた。


「旅の者ですが、どうにか一晩寝屋を貸しては頂けないじゃろうか?」


 もちろん返事をするものはいない。

 そのくらいは流石に孤狼も分かっている。

 これは彼女なりの礼儀なのだ。


「んしょ」


 扉の鍵は閉まっていたが、孤狼が力を込めるとあっけなく開いた。

 孤狼が怪力なのか、扉の老朽化が激しいのか、ともかく開いたのだから孤狼にとってはどちらでもよかった。

 中に入ると、そこは思ったより綺麗だった。

 社のように朽ち果ててもいないし、こんびにのように荒らされている様子もなかった。

 

「やっぱり屋根があると落ち着くのぅ」


 野良犬だった過去を微塵も感じさせない一言である。

 もはや孤狼の野生は失われたのであろうか、などと勘ぐってはいけない。

 彼女は本日の寝床を物色した。

 二階の寝室にはベットと寝具が一揃い残っており、孤狼を喜ばせた。

 これで甘味があれば言うことなしなのじゃが……と考えて、孤狼ははたと気が付く。

 ここになら食べ物もあるのではないか、と。

 こんびにと違ってここは荒らされていない、ならばあの白い箱の中に食べ物が残っているかもしれない。

 以前人里の友人の家に遊びに行った時、大きな白い箱から次々と食べ物が出てきたのを孤狼は覚えていた。

 孤狼は鼻をひくつかせ、その白い箱を探す。

 そうしてリビングの扉を開けた時、孤狼は風を感じた。

 窓が開いているのかな、と思ったが違った。

 窓が割れている。

 部屋の中に散らばったガラス片、それは外からの侵入を裏付けるものだった。

 孤狼の前にこの無人の家に侵入したものがいる。

 それを野生の勘で感じ取った孤狼は瞬時に辺りを見渡した。

 そうして孤狼は見つけた…………



 なにか変なものを。



「人……?いや……樹?」


 それは人間に見えた。

 リビングのソファに横たわる男性。

 その身体から木が生えている。

 リビングの天井を突き破って生茂る大きな木。

 一見すると人間の死体を苗床とし、植物が育ったようにも見える。

 しかし、その場合はこんな異様な光景にはならないはずだ。

 この木の大きさを考えるとそれが芽を出してからそれなりの年数が経っているように見える。

 人間の死体は腐敗する。

 この大きさの木が育つほどの時間があれば、死体はとうに白骨化しているはずだ。

 だが、その男性の肌はまるで生きているかのように赤みが差していた。

 生きているはずがない、木の根は男の身体を貫通し、床まで届いている。

 その根の一本などは男の頭を貫いてさえいるのだ。

 死んでいる、死体だ。

 一刻前に息を引き取ったかのような新鮮な死体だった。

 それが何年も経って成長したはずの木の根に貫かれている。

 その木と死体は存在そのものが矛盾していた。

 孤狼の細腕に鳥肌が立つ。

 その得体の知れない存在を見て、孤狼は恐怖を感じていた。

 目を覚まして以来初めての恐怖だった。

 宝剣に手をかけ、油断なくそれを観察する。


「……………………」


 剣を構えてはみたものの、相手は死体と木、動くわけがなかった。

 だが、一瞬それが襲いかかってくると錯覚するほどの恐怖を感じたのも確かだ。


「…………うむ?」


 孤狼の耳が、何かを捉えた。

 とても小さな、小さな音。

 何かが駆動するモーター音。

 それは、死体が手に持ったアタッシュケースから聞こえてきていた。

 何だろう?

 孤狼は恐る恐る、死体へと近く。

 そうして、鞘に入ったままの宝剣で、その腕をチョンと突いた。

 その瞬間、大きな音を立ててアタッシュケースは床に落下する。


「ぴゃい!」


 孤狼は飛び上がった。

 ほんの少し、軽ーくついただけのつもりだったのだ。

 落下と共に、アタッシュケースが開き、その中身がぶちまけられる。

 何枚もの書類と共に、何かが転がった。

 握り拳大の丸い何か。

 それは床を転がると、壁に当たってその動きを止めた。

 駆動音がする。

 先ほど孤狼が聞いた音はこの丸い物体から発せられていたもののようだ。

 見つめていると、それは緑に発光した。

 緑の光点が、球体の表面をくるくると回り、孤狼のいる方向でピタリと止まった。


『Moは挨拶します、こんにちは!』


「にゃぁぁああ!?」


 球体が言葉を発した。

 そのことに驚いて孤狼はまるで猫のような悲鳴を上げてしまった、犬なのに。

 未知の物体をマジマジと見つめていると、それは一際大きな駆動音を立てると、宙に浮かび上がった。


『Moは再起動しました。どうも、自立型支援UAVユニットMoです!』


「な、なんじゃこれぇぇ!?」


 孤狼の慟哭が人のいない街に響わたる。


『はい、Moです!』


 今度は、返事があった。

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