絶滅危惧人類

そら

リング・オブ・ファイア

「何、今の?」

9歳の娘のシャオリンが母親のシュンリンに飛びついた。シュンリンは立っていられず、シャオリンをかかえたまま崩れるように座り込んだ。

 チャン家は、春節の休暇で中国領フィジーを訪れ、ナウソリ・ビーチにいた。父親のユーハンは砂浜に置かれたビーチチェアに寝そべっていた。体を半分起こし、サイドテーブルからマンゴージュースを取ろうとした。

 そのとき、地中から大きな衝撃が砂浜を突き上げた。ユーハンはバランスを崩しサイドテーブルを掴んでなぎ倒し、ビーチチェアもろともひっくり返った。

 地面の揺れが続く中、体を起こし、眼前に広がる海に目をやった。水平線から空が徐々に灰色に染まり始めた。

「シャオリン、シュンリン、大丈夫か。立てるか」

ユーハンはおぼつかない足取りで立ち上がり、まだ座ったままのシャオリンとシュンリンを立ち上がらせた。

 もう一度海の方を見た。暗い灰色に染まった空とそれを映して暗くにごった海の間から、白味を帯びた青緑色の層が縦に広がりながら近づいてくる。

「津波だ!」

ユーハンはそう叫んで、シャオリンとシュンリンの腕をつかんでホテルに向かって走り出した。

 シャオリンが父親の歩幅についていけず2歩目で転んだ。ユーハンは振り返ってシャオリンを抱き上げ走り出そうとした。ユーハンは砂に足を取られて前のめりに転んだ。5メートル先で母親のシュンリンが振り返った。

 彼方にあったはずの青緑色の層は、速度と高さを増しながら海をめるように這ってくる。ユーハンがシャオリンを背負い、再び走り出した。シュンリンも走った。

 チャン家はナウソリ・ビーチに建つ滞在中のリゾートホテルを目指して全力を尽くして走った。

 青緑色の壁はわずかな飛沫を放ちながら、その潜在的破壊力を裏切る静かさでビーチを駆け上がった。そして、チャン家の3人、ホテルを目指して必死に走るほかの人々をあっけなく押し倒し飲み込んだ。

 シャオリンは、恐怖と息苦しさで固く目を閉じたままもがいた。嫌というほど海水を吸い込んだ。痛くて怖くて苦しくてたまらなかった。

 何か大きくて硬いものが「がつっ!」と全身に響く音を立てて頭に当たった。その衝撃が、9歳のシャオリンの人生最後の出来事だった。


 ニュージーランド標準時2137年1月31日午後1時24分、南太平洋のモノアイ海底火山が人類史上類を見ない大規模な噴火を起こした。

 その19分後、フィリピン標準時午前9時43分、フィリピンのマヨン火山が噴火すると、環太平洋火山帯に沿ってインドネシアのタンボラ山、日本の富士山、北米のセントヘレンズ山を含むいくつもの火山が海底および陸上で連鎖的に噴火した。

 海と陸を激しく揺さぶり、炎と爆風と噴煙が太平洋を一周した。環太平洋火山帯はまさにリング・オブ・ファイア、炎の輪と化した。

 グリニッジ標準時で2月1日を迎えるまでに、津波が太平洋岸を襲い、地球の大部分が噴煙で覆われた。通信網は遮断され、人類の大半は明瞭な視界と清浄な空気を奪われた。

 地球の奥底から火山性有毒ガスが放出され、地球をすっぽりと包んだ。総人口の73パーセントに当たる70億人以上が、何の前触れもなく訪れた混乱と恐怖の中で命を落とした。

 噴火と地震に伴う磁場変化によって、地球を取り巻くヴァン・アレン帯が不安定化した。宇宙から地球に直接降り注ぐ有害な放射線量が急激に増大し、電磁嵐が吹き荒れた。地軸が急激にずれ、海という海で津波が発生した。

 生存のために必要な生活基盤は、ほぼすべて消滅した。グリニッジ標準時2138年1月31日までにさらに25億人がこの世を去った。

 単に極めて幸運だった者、人類が集積してきた科学技術を駆使したシェルター設備にアクセスできた者、6,043,175人が大量絶滅を生き延びた。彼らが、人類という種の存続という希望をつないだ。

 人類の歴史において、科学技術は多くの破壊も行ったが、このときは人類に事実上のノアの方舟はこぶねを提供した。

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