第18話 ナトリ視点 ごめんね

 私は売られた。人間と同じ言葉を話して頭がとてもよくて、でも人間を食べる。そんな化け物の中でも特に人間が美味しいから選んで人間を食べるらしい、吸血鬼という化け物に売られた。

 奴隷というのは、この国では認められていないらしい。昔の偉い人が、そういう差別は駄目って決めたんだって。でも、奴隷って名前じゃないだけで、身分が下になれば何でも言うことを聞かなくちゃならないし、変わらないと思う。

 だから順番に回ってきた、私のいた村から化け物に奴隷をださなくちゃいけなくなった時、一番貧乏で一番どうしようもなかったうちの、一番末っ子の私に回ってくるのは当然のことだった。


 血を吸われるということで、卵を食べるために飼われる家畜のようなもので、すぐに殺されるものじゃない。そう慰めてくれる人もいたけど、でも私はちゃんと知っている。

 村長が大事な財産だって普段可愛がっている鶏だって、持ち主が気に入らなければ殺すことを。ちょっとした気まぐれや、ちょっとしたお祝いで気軽に潰されることを。


 いっそ一思いに殺されたほうが楽なのに。そう思いながらも、あきらめて馬車に乗ると、何故かニコニコ笑顔の女の子がいた。私より年上のお姉ちゃんで、状況が分かってないはずないのに。

 意味が分からなくて怖かった。そして本当に化け物のところについた。


 化け物は、見た目だけは人間とそう変わらなかった。とてもとても美しくて、作り物のようで、化け物なのだと恐ろしさが見ているだけで伝わってきて、怖くて仕方なかった。

 だというのに、そのお姉ちゃんだけは笑顔だった。そしてその日、血を吸われたらしい。なのに翌日も何も変わらなかった。もしかして、血を吸われるのって怖いことじゃないのかな? あんがい、普通に生きられるのかな? なんて一瞬だけ希望を持った。


 だけど私達より先に奴隷をしている人に話を聞いて、そんなわけがないと思い知らされた。

 吸血鬼という化け物は、私たち人間の血を吸う。恐ろしい力を持っていて、森の奥からこの国に襲い掛かる狂暴な魔物を倒す代わりに、人間からは奴隷とかをさしだす。

 化け物にとって、私たちは餌でしかない。だから大事にもするけど、その味に飽きたらあっと言う間に吸い尽くされて殺される。飽きなくても、もし少しでも機嫌を損ねてしまうと、吸い尽くされて殺される。逃げようとしてもおんなじらしい。

 吸血されるのは、従順にしていれば基本的には数年は飲み続けられるように、ちゃんと生きられるようにしてくれているそうで、美味しいご飯をたべさせてはくれる。

 だけどいつ気が変わるのか、もしかしたら飲んでる最中に気が変わるかもしれない。そう思えば一日でも安心できる時なんてないそうだ。それに死なない程度だとしても、血を吸われるのは命を吸われるのと同じで、意識や力が抜けていってとても怖くてたまらないらしい。

 死なないようにか噛みつかれていても痛くないようにされているから余計に、自分があとどのくらいで死ぬのか、死なないのかもわからないらしい。だから、怖すぎて気が狂ってしまう人も良くいるらしい。


 気が狂うというのは私はよくわかっていなかったけど、同室のお姉ちゃんはどうやらそういう状態らしい。でもそう言われて納得した。

 ここには吸血鬼以外にも顔も見た目も同じでたくさんいる謎の化け物もいる。その使用人の服をきた化け物は私達にご飯を運んでくれているとはいえ、何か粗相があればいつ殺される判断をされるかわかったものではない。

 ただされるがまま従い、可能な限り顔を合わせないように、手をわずらわせないようにおとなしくするのが、ここで少しでも長生きするコツだと教えてくれた。だからいつも可能な限り早く起きて、一つの部屋に集まって静かに声を殺している。


 なのにあのお姉ちゃんは、当たり前みたいに部屋を出ている。それどころか、廊下の方から笑い声や話し声が聞こえる時がある。

 もしかして、たくさんいる化け物はまだ話が通じるのではないか、そう思った時もあったけど、話しかけようと声をかけて振り向いた、冷たくてただただ無表情のあの化け物は、私を家畜以下にしか見ていないのが伝わってきて、話すことなんてできるはずがなかった。

 家畜にだって、人は情をもつ。怪我をすれば可哀そうにも思う。だけど化け物にはそんな感情はないのだ。


 正直に言って、お姉ちゃんは怖い。そしてとても可哀そうだと思う。でもお姉ちゃんの血の味が気に入った化け物は、しばらく他の人の血を飲まないそうだ。だから私はまだ、血を吸われたことがない。

 それはすごく助かるし、先に奴隷になっていたお姉さんが言うには、これは今まで一度もなかったチャンスだという。お姉さんはずっと逃げることだけを考えて耐えてきたそうだ。だけど今までなかなかその機会がなかった。

 血を吸われると力もでなくなり、逃げる気もなくなってしまうけれど、今できたこの猶予があれば逃げられるかもしれない、と。私と同じ部屋のお姉ちゃんを残せば、お気に入りさえいれば、見逃される可能性あるからと。


 私はできれば同室のお姉ちゃんと会話して、化け物たちの話を聞けたら教えてほしいとお願いされた。でも変に思われたら駄目だから、無理するくらいならできなくていいと言われていた。

 私は、お姉ちゃんと話すことができなかった。単純に、気が狂っているというお姉ちゃんがこわかった。でもそれ以上に、お姉ちゃんだけを置いて逃げるのが申し訳なくて、顔を見ることができなかった。

 狂っているけど、以前のお姉ちゃんは悪い人ではなかったんだろうと思う。にこにこして、ほがらかで、優しさを感じる。私と同じように捨てられて、それが辛くて化け物に会う前から狂ってしまってたんだろう。


 名前を覚えたくなかった。覚えて情を持ってしまえば、お姉ちゃんを置いていけなくなってしまうから。でもあの日は、魔が差した。

 奴隷のリーダー格であるお姉さんはとても慎重で、だから今までずっと何年も我慢してきたんだろうけど、なかなか出て行く日は決まらなかった。私もお姉さんの部屋にこもってさえいれば、ご飯は美味しくて仕事もないから、怖い気持ちはあってもそれにも少し慣れてきた。

 いつも機嫌がいいお姉ちゃんだけど、その日は鼻歌をうたっていてあまりに浮かれていた。だからつい、どうしたのと聞いてしまった。


 お祭りに行くのだ、と聞いた。あの吸血鬼の化け物と一緒に。


 チャンスだ。と思った。ただそう思った。だって、人の血を吸って、力があって恐ろしい化け物がいなくなるのだから。

 このお姉ちゃんが特別扱いされているのは知っていた。外に普通に出ていたから。でもいずれも昼間で、すぐに帰ってきていた。化け物がたまに魔物を退治しに出かけていたのもお姉さんは知っていたけど、いつ出て行くのか決まっていなかった。

 それが、決まった時間、夜にいなくなる。これ以上ないチャンスだった。最初に血を吸われていたお姉さんたちの顔色もずっとよくなっている。これしかないと思った。


 だけどお姉ちゃんは何にも気づかず、私にお土産を買ってくると言った。もし買ってきてもらって、私がいなかったら。お姉ちゃんはきっと、がっかりしてしまうだろう。可哀そうなお姉ちゃん。だから、もっと可哀そうにするのはできなかった。

 できるだけ仲良くないままで、お姉ちゃんにとってちょっとだけ一緒の部屋にいたどうでもいい子のままでいい。それならきっと、そのうち忘れてくれるだろう。

 でも、私から話しかけて、それで嬉しそうにしているお姉ちゃんの顔が、声音が、忘れられない。つい先日のことだから当たり前かもしれないけど、申し訳なくてたまらなかった。

 きっと、私はとても残酷なことをしたんだ。だから、これは当然の罰なんだ。


「こいつらか。また、無駄なことをしたな」


 ずっとお姉さんが目をつけていた逃げ道は、ちゃんと把握されていて、あっさりと私たちはつかまってしまった。縛り上げられ、どうなるのかわからないまま、五人の化け物に囲まれて時が過ぎるのを待っていた。

 そしてついに、吸血鬼の化け物が帰ってきた。久しぶりに見た化け物は、夜の薄暗い中でも輝き怖いほど綺麗だった。


「いつものように飲んで処分されますか?」

「いいや。飲む気にならん」


 吸血鬼はどこか満足そうににやりと笑った。ぞっとする笑みだった。それに化け物の一人が変わらない無表情ながら吸血鬼に詰め寄った。


「……まさか、飲みましたね? エスト様の血を吸う予定日はまだ先です。それに合わせて食事の」

「あー、うるさいうるさい。黙れ。とにかく、飲まん」


 あのお姉ちゃんの血を飲んだことで、私たちは少なくとも血を吸って殺されることはなくなった。ほっとすると同時に、さらに申し訳なくなる。また、あの人を犠牲にしてしまった。


「そうですか。ではどうされますか?」

「破棄、と言いたいが、それではあいつがうるさいだろう。面倒だ。出て行きたいならだしてやれ」


 ばっと、全員の顔があがった。まさかの話だった。過去に逃げた人はすべて血を吸われ、カラカラになった死体を捨てられたのだと聞いた。だけど、まさか、そのまま出してくれるなんて。


「いいのですか? 今は一人でよくても、味を変えたくなったり、急に死亡することもあるでしょう」

「その時に頼めばいいだろ。……待て、あいつと同室なのはどれだ?」


 ひっ。と声がでそうだった。何か、お姉ちゃんから聞いているのだろうか。もしかして、話しかけてもつれないとか? いつも相手をしないとか? 私だけ、殺されてしまうのだろうか。ああ、こんなことなら愛想よくすればよかった!


「エスト様と同室なのはナトリ様です」

「そうか。お前、文字はかけるか?」

「かっ、かけ、かけ、ない、です」

「わっ、私書けます!」


 書けない。私は殺されるんだ。そう思った瞬間、お姉さんがそう言って手を挙げた。この部屋に明かりはひとつきり。そんな薄暗い中でもわかるくらい、真っ青になっているのに。あれだけ化け物をおそれていたのに。


「そうか。じゃあお前が代表して書け。お前らはみな、故郷や親が恋しくなって帰るのだと。あいつが心配しないようにしろ」

「わ、わかりました」

「やれやれ。甘いですね。ではこちらの紙に書いてください」


 殺されない。帰れるんだ。そう手紙。心配しないように。あのお姉ちゃんのおかげで、私たちは生きてでられるんだ。そう理解した瞬間、涙がこぼれた。駄目だ。まだ外に出ていないのに泣いたら、面倒だと思われる。そう思うのに、もうすぐ帰れるのだと思うと抑えられなかった。


「まだ残っていただろう。そいつも連れて行かせろ。あとはお前に任せる」

「かしこまりました」


 そうして怖い吸血鬼は去っていった。お姉ちゃんへの手紙を書いてもらって、私からも一言だけ、書いてもらった。ごめんねって。幸せになってねって。おいて逃げるずるい私だけど、お姉ちゃんに幸せになってほしい気持ちだけは本物だから。

 たとえ狂っているからだとしても、毎日楽しいと言っていたのは心からのことだろうから。


 今回の逃亡に一緒に行動しなかった、お姉さんより前からいた奴隷の人。私はその人達とはあまり顔を合せなかったけど、何もかも諦めていて少し狂っているのだという。

 その人達も一緒に、正面玄関から出て行くことになった。その人たちがまともに歩けなくなっていたので、荷車も用意してもらえた。三人の大人が乗っているのは重いけど、全員分の服や靴、食料、そして生活の足しにとお金も渡してもらえたので、頑張って言われた通り全員で街まで逃げた。


 本当は、すぐ近くの街に私は行ったことなんてなかった。お姉さんはもともと、それなりの商家の人らしい。だけどどうしても他に人がいなくて、多額の金額と引き換えに犠牲になったらしい。

 私たちは家に帰ってもよくなった。だけど、みんなわかっていた。帰っても歓迎されないことは。だってみんな、貧しくてギリギリで、厄介払いをかねていたのだから。冬を前に帰っても、迷惑がられるだけだ。

 その結果、私たちは全員お姉さんのいた街の商会に雇われることになった。もらったお金で宿にとまり、お姉さんの家に手紙をだして迎えに来てもらった。


 狂っている奴隷の人も、言えば動かないわけではない。ただ今までずっとまともに動かなかったから、筋肉がうごかなくなってしまっているだけだ。だからその人たちも、まとめて面倒見てもらえることになった。


 こうして、私たちは化け物から逃げ出した。あのお姉ちゃんには申し訳ないことをしたと思う。だけどそんな後悔はあっても、もう二度と、関わりたくなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る