2 模造品

 機械的に与えられる栄養補給。仮想空間による重加速言語学習。それによって僕らは、この終わる世界の現状や自分が置かれた立場を把握していた。

 世界は……ゆるやかに、ゆるやかに、滅びの道を歩んでいる。

 この上下に伸びた階層構造都市の内部でなければ、人は生きていくことができないほど、外環境は悪化している。そしてこの都市を維持管理するためには、人によく似た形の、人よりも耐久性の高い、人のような感情と人格と魂を持たない労働力が必要なのだという。


 人間の模造品、クローン。

 それが僕たちに与えられた有機物としての分類なのだと、造られた時に知った。

 同時に、変異と合成を繰り返した遺伝子を抱える僕らは、次第に想定していない異常行動を起こし始めていた。

 アンデット病――一連の、クローン体が暴走する状態を、そう呼びならわしていることも耳に入っている。

 興奮や精神錯乱などの神経症。光に過剰反応する瞳孔反射。異常食行動。やがて脳神経や全身の筋肉の麻痺など……外見も「化け物」のような形に変容するらしい。

 自害機能が制限されている僕らは、自分の身体異常を感知してどれほど苦しい状態に置かれても、自ら機能を停止するという選択肢を選べないように造られている。

 誰かに殺してもらうか自然に機能停止するまで、生き続けなければならない。


 世界中の都市で強化型クローンが製造されてから二百年。暴走したクローン体の処分が追いつかなくなってきた、という理由で、もうすぐ都市の工場は閉鎖される。

 だから僕らは、その最後に納品された製造品なのだ。


「もし、自分がアンデットになったら、どうする?」

「どう……って、処分されるだけだろ?」

「最下層の焼却炉でね」


 周囲の者たちを次々と襲う、原因不明の症状。

 一部の噂では、襲われた者もアンデットの状態に変化すると言われている。まるで遥か昔にいたという伝説の怪物さながらに。

 だから一度異常行動を起こしたなら、その個体は焼くしかない。

 その処理を速やかに遂行するため、僕らの体には所在位置を把握する通信機が埋め込まれていた。左右の首の上、静脈の近くで触ってもその存在を感じ取れない程小さく、脳に近いところだという。なぜそんな物が必要なのか疑問だ。

 労働力として生きることしか知らない僕たちが、望んで行く場所などどこにも無い。

 それともアンデット化したならば、本来の僕らには無かった感情が生まれるのだろうか。人間のように……。


「今日の荷運びは楽でいいな」


 966番が呟く。

 その横で、僕は黙々と腐食しかけた階段を上る。遠くで蒸気を排出する音が風に交じり、やや遅れて鼻を衝く刺激臭に顔をひそめた。人間がマスク無しに吸い込んだなら、鼻腔や気管に炎症を起こすらしい。

 僕らは……少し辛いと思うだけで、死ぬほどではない。


「もうすぐ、チェックポイントだ」

「やっと本日の食事にありつける」


 陽気な声で966番が返す。

 四階層ほど上りきったポイントには、既に方々から集まったクローン体が、完全防備の防護服で身を包んだ数人の監視官からチェックを受けていた。

 簡易的な検査と作業量を見て、手のひらほどの固形食糧とパック入りの水が支給される。時折数値の厳しい個体がいるらしく「これは廃棄した方がいいんじゃないのか?」と呟きあう声が聞こえた。


 食糧を手にしたクローン体たちは、冷たい鉄の床に腰を下ろしもそもそと食べ始めた。

 一日一回の食事。

 人間は、一日に三回の食事が必要らしい。僕らより多く睡眠を取り、怪我や病気にも弱い。手足が取れて出血しても瀕死になるそうだ。

 人間の血液量は体重の凡そ八パーセントで、その全血液量の二十パーセント以上を失うとショック症状を起こすと学習した。仮に体重が五十キロだとしたら、八百ミリリットルに相当する。だから人は大切に扱わなければならないのだという。


 僕たちはおそらく、もっと出血しても死なない。

 簡単に死なないようにできている。

 腕が一本取れたぐらいで死んでいては、使い勝手が悪いからだと誰かが言っていた。あまり気に留めていなかったけれど、あれは966番だったかもしれない。


 そんな脆い「人間」が僕らより尊いとされているのは「魂」が宿っているからだ。魂があるから、人は感情豊かで素晴らしい人格を備え、尊いのだと。


「……魂というのは……どんな形をしているのだろう」


 思考が言葉になって漏れたのか、僕は知らず知らずの内に呟いていた。

 隣に座っていた966番がチラリと僕を見る。


「素晴らしいものだというから、輝いているんじゃないのか?」

「輝いている……発光しているのか。熱量はあるのかな?」

「直接魂に触ったことは無いから知らないが、きっと発熱もしているんだろうさ。人間は僕たちより体温が高いらしいからね」

「そうか……」


 僕は頷く。

 温かい魂は……どんな色をしているのだろう。あの防護服の内部の、どの部分に格納されているのだろう。そんな他愛ない空想が浮かんでは消える。

 僕の心を読んだかのように、966番が呟いた。


「魂の在りかが気になる? 人間は心臓が破損すると死ぬらしいから、きっとそこに隠しているんだろう」

「頭が破損しても死ぬらしいぞ」


 966番の向こう隣りで固形食糧に齧りついていた一体が、同じ造形の顔で口の端を上げて言った。僕らの瑣末さまつな会話に聞き耳をたてていたのだろう。

 更に斜め前に座っていた別の一体が、小さな声で疑問を口にする。


「発光して熱量があるなら、魂というのは太陽みたいなものなのか?」

「太陽?」

「ほら、仮想現実の重加速学習で勉強しただろう」

「ああ……」


 966番も交ざりながら言葉が飛び交う。

 太陽とは、この階層構造都市の遥か上空、宇宙という特別区域に設置されている巨大な熱核融合体だ。凄まじく巨大で、途方もない質量があるという。

 誰がいつどうやって、何のために設置したのか学習の中では詳細に知らされなかったが、とにかくとんでもなく遠くにあるのに熱線は都市まで届くのだという。


「人間はきっと太陽の設置場所まで行って、その一部を採取しているんだ。格納されている魂は、そうやって手に入れているんじゃないのかな」

「危険じゃないのか?」

「危険さ。だからその宇宙という特別区域には、高度に精密なロボットや選ばれた人間しか行くことができない。僕たちみたいなクローン体は燃えてしまうからね」


 高出力のエネルギーなら、熱線を浴びただけで発火してもおかしくない。


「……クローン体がアンデットになると、太陽光を浴びただけで一瞬にして細胞が劣化して灰になるという。それでも、温かい、というものを……一生に一度は感じてみたいな」


 966番がぽつりと呟いた。その言葉は隣に座っていた僕にしか届かない程、小さなものだった。

 僕らが望んで、自由にどこかへ行く、ということはあり得ない。

 この階層構造都市は途方も無く巨大で、どこに何があるのか全てを把握することはできない。それでも、もし、上へ上へと行くことが可能なら、その向こうに「空」と「太陽」を見ることができるかもしれない。

 光の降り注ぐ世界を、目にできるかもしれない。


「さぁ、そろそろランチタイムは終わりだ」


 そう言って966番が立ち上がった時、めいめいに座っていたクローン体の中で、少し離れていたところにいた一体が呻き声を発した。



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