90.パトリシアとの会話

「ねえ、アンタから見て、この世界はどう思う?」


「狂ってて歪んでるよ」


 尋ねた時の彼女の雰囲気は、敵意も何もなく俺に問いかけていたから、素直にそう答えた。


 いったいどこから狂ってしまったのか、それは過去にまで遡らないといけないだろう。


 窓の外にある障壁を見つめていることから、パトリシアも過去のいざこざについて知ってるのだろうか。


「元の世界に帰りたいとは思ったことはないわけ?」


「特にない」


 前世の記憶を朧気に思い出した時、それは生死の縁を彷徨うほどの大怪我を負った時だった。


 毎日死ぬかもしれない、そんな恐怖と戦いながらも生き延びるために足掻き抜いた。


 そんな幼少期である。


「前世の記憶が戻った頃には生きるか死ぬかの瀬戸際で、そんなこと考えてる余裕はなかったしな」


 転生者であるということ、そしてここがゲームの世界だってことをしっかり理解したのは、この世界に少しだけ慣れて改めて本で外の世界に目を向け始めた頃だった。


 もうその時には元の世界に戻るなんて気持ちはなかった。


 そもそもどんな仕事をしていたか、どんな幼少期を過ごしていたか、


 どうせ死んだんだろうな、と漠然とした思いを抱きつつ、あっさりと家を出てからのことを考えていたのを覚えている。


「どうせ前世は死んでんだから、戻りようもない」


「アンタも大変な目にあったのね」


「も、ってことは、お前も同じ手合いか」


 この世界は転生者には酷な運命しかないのだろうか。


「アンタと違って、アタシにはたくさん考える時間があったわよ」


 それこそ、と彼女は続ける。


「たっぷり絶望するくらいにね?」


 パトリシアの瞳の奥には、どす黒い何かが渦巻いていた。


 闇の深いキャラと呼ばれたジェラシスの瞳ですら闇と言うより病みって感じに思えるほどに、理性を持ったどす黒い何かである。


 その奥にあるものが彼女の行動原理なんだろうな。


「聞きたい? 何があったか」


「素直に話すとは思わないけど」


 パトリシアはクスリと笑って言う。


「それもそうね。アンタがアタシに協力するのなら、何があったか教えてあげても良いわよ?」


「それは断る。婚約者いるんで」


「うざ」


 こいつと二人っきりとか、変な勘違いされても困る。


 知らんうちにこき使われそうだし、却下だな。


「それにお前と関わった男は碌な目にあってないだろ」


 魔性の女の中でもトップクラスでヤベェタイプだ。


「見てみろ、一国の王太子だった男がアレだぞ」


 乙女ゲーの攻略対象であり、キャラクター人気ランキングでも堂々たる1位だった男が、ハゲで中二病でバカだぞ。


 色んなものを失って、その代わりに力を得た。


 そこまでして力が欲しいかと言われたら、ちょっと微妙である。


「責任取れよな」


「アタシのせいにしないで」


 しかし、シリアスな雰囲気を何とかしてくれるからエドワードには感謝だった。


 あいつがいると、闇の深そうなパトリシアの雰囲気が、ただのクソガキみたいな感じになる。


「はあ、もうシラケた。バイバイ、アタシは用があるから」


 煙撒こうとするパトリシアの頭部をぐわしと掴む。


「いや案内される来賓の立場だから無理だぞ?」


「チッ」


「この学園においてお前に自由はない。どう足掻こうともお前は俺の監視下にあるしかないからな」


「案内役の変更を求めるわね。アンタたちは適任じゃない」


 それを言われたらどうしようもないな。


 あのハゲは問題しか起こさないから。


「それを決めるのはお前が決闘で倒したアリシアだぞ?」


「ふーん、やっぱり殺しておくべきだったわね」


「冗談も程々にしておけよ?」


 その言葉は黙って聞き流すわけにもいかない。


「何を考えているか知らんし興味もないが、俺とアリシアに害があるなら同郷だったとしても容赦なく殺すからな」


「物騒ね。この場でことを起こしても面倒くさい事態にしかならないわよ?」


 殺気をぶつけるが、パトリシアはさらりと受け流した。


 不良たちはエドワードの殺気程度に震え上がるというのに、目の前のこの女は俺と同じレベルで大変な思いをしてきたのだろう。


「だろうな」


「わかってるなら、殺気をぶつけても意味ないから」


 俺の障壁を突き破るほどの何かをパトリシアはもっている。


 その種がわからなければ、ジェラシスの時のように途中で取り逃がすこともあった。


 だからこそ、唐突に動かずこうして対話を試みている。


 意味があるのかは知らんがな。


「アリシアの他に、マリアナは守らなくてもいいの?」


「彼女の立場を奪っておいてよく言えるな。逆ハーレムが目的じゃないとしたら障壁の権限を奪うためだけに仕出かしたのか?」


 目的が王位だとすれば、聖女の遺物であるペンダントを失った段階でエドワードを切った判断にも納得がいく。


「さあね?」


「ストーリ上、あれを戻せるのは聖女だけだぞ。お前は聖女じゃない」


 そもそもの話、何かを成そうとしてもその時点で破綻していた。


「だが、お前が何の根拠もなしに騙るとも思えない。いったいどうやるつもりなんだ? 教えてもらうまではずっと付きまとうぞ」


 俺の言葉にパトリシアは「めんどくさ」と呟きながら話した。


「あの障壁って何でできてるか知ってるの?」


「古の賢者が聖女を利用して作ったんだろ?」


 この間丁度その話を聞いたところである。


「じゃあ話は早いわね。元になったのが聖女であって、権利の変更に関しては聖女の遺物があればどうにでもなるわけ。だから私が聖女であろうがなかろうが関係ないの」


「ストーリーには無い話だな、どこで知ったんだ?」


「それは秘密」


 口の前に人差し指を立ててウィンクする。


「これほどまでに何も感じないウィンクは初めて見た」


 アリシアにされたらたぶん俺の中のブレイブのケダモノが騒めくだろうが、パトリシアからは何も感じなかった。


 冷めた目で見ていると、パトリシアは表情を戻して話を進める。


「歴史を忘れた賢者の血筋はみんな騙されるんだから笑えるわよね?」


 クスリと笑うパトリシア。


 騙される側はたまったもんじゃないな。


「で、ここからが本題だけど。アンタは障壁が得意なのよね?」


「そうだな」


 素直に頷く。


 ジェラシスとは何度も戦っているから、裏で操っているパトリシアにはバレているだろうとは思っていた。


「この障壁の莫大な魔力ってどこから来てると思う?」


「順当に考えるならば、過去の聖女か」


 元になっているならば、きっとそうだ。


「普通に考えて、永遠に障壁が張られたままなんておかしくない?」


「まあね」


「じゃあ、今まで聖女の生まれ変わりなんてことはなかったのに、このタイミングでマリアナがいるのは、何故だと思う? 彼女はゲームの中のヒロインだけど、ここは現実」

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