四十七 ある春の訪れ
何度か槍を振るって魔物を屠ったあたりで息をついた。さほど問題はなさそうだ。
春斗が握っているのは村の武具屋、というよりは日用的な刃物を取り扱う店で購入した槍だ。命の価値が軽いこの世界では、当たり前に武器が売られている。
それは身を守るためであり、殺すための道具だ。それがほいほいと売られているあたり、この場所での命の軽さを知らされているようで気分が悪かった。
「ふきげんだ」
「お前にじゃない」
「おまえじゃないもん」
「……ヴィヴェカに対して不機嫌なわけじゃない」
「なら、いいよー」
どこかでやったなこのやりとり。
春斗は一瞬ささくれだった心が和らいだのを覚えて、口元に小さく笑みの形を作る。見上げているヴィヴェカがにこりと同じく笑みを浮かべると、くるくると踊るように回った。たのしいねえ、と無邪気な声が跳ねては消える。
ヴィヴェカは春斗が止めたとおり、むやみに魔物を殺すことはしなかった。何度か春斗の背後から迫った魔物を吹き飛ばしたり、足を焼いたりしたくらいで、今度は逆に命を奪わないように気をつけていたらしい。
極端だなと思いながら、そう教えたのは自分だったと苦笑して、危ないと判断したのなら構わないと再度告げた。
「きゅうけい、する?」
「ああ、ならするか」
春斗は右手を雑に下から上へと振るう。薄い白銀の膜が立ち上がり、空に解けて消えていった。消えちゃった、と残念そうな声に春斗は眉を下げて、いくらでも見れるだろうと呟いて腰を落とした。
「けっかいじゃなくてもいいの?あぶなくない?」
「このあたりの感じならこれでいいだろう。そもそも、さっきから暴れてたせいで遭遇する魔物の数も減っている」
「ふうん。けっかいのほうが、いいとおもうなあ、わたし」
ヴィヴェカがそわそわと周囲を気にしながら言う。確信はないが、春斗の展開した魔物よけのまじないでは不安が残るのだろう。
事実、春斗とヴィヴェカが周辺の魔物を相手取っていたおかげで、周辺の魔物は二人を警戒してかあまり近づかなくなっていた。
ただ、ヴィヴェカがそわそわと気にしているのは正直春斗も気になった。こういう場合、より慎重な方の意見を採用することが生き残るこつであると春斗は経験則で知っている。慢心が招くのは無残な結果のみだ。
「虚ろの標、問わず語り。標のない道、歩けるはずも無し」
魔物よけのまじないの痕跡を目印に、つい最近も展開した結界魔法が姿を現した。
きれい、とヴィヴェカのはしゃいだ声が耳をかすめて、まさかこれが見たいから不安を煽るようなことを言ったのではないかと邪推してしまう。
(……楽しそうだからいいか)
心底楽しそうに魔力の壁を観察している青色の少女見ていたら、そんなこともどうでも良くなってしまった。
まったくもって学習していない。
そうして喪って、深く深く傷ついた記憶はまだ新しいはずだというのに――
奥羽春斗という男の中で、この青い無垢な少女の存在は既に大きなものとなっていた。
「あ、とりがとんでるよ!ほら、あそこ!」
「でかいな」
「おっきいねえ。春斗とおなじくらい?」
「俺よりでかいかもな」
巨大な鳥影を眺めて、春斗はかすかな足音に目をゆっくりと細めた。
そんな春斗の様子に気がついたらしいヴィヴェカが首をかしげる。いくら聡いと言っても足音で誰かを判別できるほどではないらしい。
正直、そちらの方が子供らしくて安心すると思ったのは内緒の話である。
「――いた!」
息を弾ませた灰色が青の草原を駆け抜けてくる。
春斗は小さく笑みの形に口元をゆがめて、それから、やっと現れたもう一人の春に声をかけた。
「遅かったな」
「十分急いだんだよね、これでも。私は君と違って魔法も何も使えないんだから」
そう言いながら春乃の声は明るい。眉を下げて、抗議するような言葉はかすかに弾んでいた。
ヴィヴェカは何度か春斗と春乃を交互に見て、それからやっと状況を飲み込めたらしく、ぱっと顔を輝かせた。
「春乃だ!春乃、春乃もたび、するの?」
無邪気な声が草原を跳ねる。春乃はヴィヴェカの言葉に困ったような表情を浮かべず、代わりに満面の笑顔を持って答えた。
「もちろん!」
*
春乃はルイスの制止を振り切り、ライムンドの見送りを受けて星見の草原に飛び出していった。
ルイスはにこにこと手を振って見送ったらしいライムンドの背中を認めると、怒りをなんとか抑えつつ理由を問うた。
彼女は弱い。
魔法がつかえないのはもちろんのこと、槍も弓も不得手だ。強いて言えば剣が多少扱えるが、それだけ。未だアイアンの五でとどまっているランクを考えれば、彼女が未熟であることが分かるだろう。
ライムンドという神官はそれを知っているはずだ。だというのに、なぜ危険地帯に向かう春乃を止めなかったのか。
「だって彼女、魔導具でがっつり武装してましたから」
「……魔導具?戦闘につかえる魔導具って、クソ高いだろ。んなもんどうやって調達したんだ?」
「さあ。その手段は私には預かり知らぬことですけれど」
ライムンドは神官らしい穏やかで慈愛に満ちた表情を浮かべて、星見の草原の深くを青い目に映して言う。
「あれは地図を捨てた人間の顔でしたから――私などには、とても止められませんとも」
声に含まれた感情は、羨望か憧憬か、あるいは嫉妬だろうか。
酷く穏やかな声音にルイスは大きく息を吐いて、やすやすと死ぬような装備じゃないんだなと念を押す。ライムンドは苦笑を浮かべてその問いを肯定した。
ならばいいだろう。ルイスは無鉄砲とも言える彼女が走ったであろう道を視界に納めて、若いってのはいいねえ、などといかにも年寄り臭い文句を吐いた。
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