十三 異邦の隣人

 ライムンドは途方もないほどに期待をしていた。


 何せ、彼の信仰する神たる精霊と言葉を交わし、実力もある旅人が浄化魔法を目の前で使ってくれるのだ。これほど心躍ることもなかなか無い、と子供のように内心そわそわしながら灰色の少年の背を見た。


「――、――」

「……詠唱?」

「なんだ、お前もわかんねえのか」


 ええ、とライムンドは頷いた。そうか、とルイスはひげの生えた顎をさすると、精霊術士サマだってあんな聞き取れねえ詠唱はしねえし、と独り言を落とす。


 確かに発声しているのに一つも聞き取れない、という奇妙な現象に首をかしげる。


 しかし、術の行使そのものは順調らしい。

 ふわりと浮き上がった翠緑の魔力が風の実体を伴う。

 竜巻のように渦巻く風の中心にいる春斗は涼しい表情のまま、無造作に棍を振った。


「――――……」


 詠唱はやはり聴き取れない。


 風は一瞬だけ立ち止まり、次の瞬間春一番のような激しさを持って辺り一帯を吹き抜けた。


 思わず腕で顔を守り、向かい風で苦しくなった息をするように顔を下へ向ける。踏ん張っていなければ吹き飛ばされそうな風だ。


(風属性の浄化魔法ってこんな感じでしたっけ……!)


 そろりと目だけを少年に向けるが、灰色の旅人の様子はさっぱり変わらない。口が僅かに動いているあたり、何かやはり詠唱をしてるのだろう。


 そのとき、やっと気がついたらしい、春斗は後ろを振り返るとぎょっとした顔をした。


「――!すまん、けがはないか」


 なにか聞き取れない言葉で虚空を怒鳴りつけてから、こちらへ春斗が駆け寄った。怒鳴り声とともに暴風が収まって、隣でルイスが大げさに息をついていた。


「風の浄化魔法ってこんな……こんな嵐みたいな感じだったか?」

「違うのか。違うよな」


 春斗は自分で確信しているらしく、眉を寄せて顔を片手で覆っていた。すまん、と再び詫びの言葉を口にする。


「いえ、ぶっつけ本番で振ってしまったのは私に責がありますし、何より浄化魔法自体は成功していますから」


 フォローを入れたものの、春斗の顔は暗い。


 ライムンドの言葉は本心から来るものであったし、何より恐ろしいのはその出力だ。


 浄化魔法は一種の精霊術に分類される、非常に習得難度の高い魔法である。そもそも発動するのにもライムンドのような神官であったり、余程深く信仰している神がいたりしなければならないのだ。この時点で、魔法を極めることを命題に置く魔法使いは条件を満たせないことが多い。


 春斗の場合、力を借りる守護神と縁があったから問題が無かっただけなのである。

 それに、とまだ余裕の残る少年を見ながら思う。春斗は息もあがっておらず、あれだけの出力の魔法を使いながら疲れは一切感じていない様子だった。


「はじめて使う術でこの出力と制御なら文句なしだと思います。正直、不発かかなり弱い出力になると思っていたもので」

「ああ、あの術式だと確かに体内の保有魔力が少ない連中はそうなるだろうな」

「……驚きました」


 はて、と春斗が首を傾けた。


 一度見ただけの魔法をここまで解析できるものだろうか。


(田舎の神官といえど、さすがに彼が異常であることだけは分かります)


 さすがは守護神様に目をかけていただける旅人様、とよく分からないところに着地しながらも、ライムンドはにこやかに笑顔を浮かべた。


 さすがに暴力のような浄化魔法が炸裂しただけあり、辺り一帯はきれいに浄化されきっていたようである。念のためルイスとライムンドが確認をしてから帰ることとなった。


 帰り道、ルイスはまじまじと春斗の方を見てから、もったいねえな、と言った。


「お前、どっかギルドに所属してるって感じじゃねえよな」

「そういえばそうですね。それだけの実力なら引く手数多だと思いますが……」


 二人分の視線が注がれた春斗は酷く気まずそうに目をそらす。要はどこにも所属していないらしい。


 ルイスはそれについて特に不審がることも無く、なら討伐ギルドはどうよ、と早速自分の巣を勧めていた。


 その様子に思わず苦笑を浮かべて、ライムンドは別の方向へ頭を働かせていた。


(『異邦の隣人』……いえ、まさか)


 灰色の少年は困ったような目でライムンドを見ていた。実力はあるが口は上手くないらしく、ぐいぐい勧誘するルイスに押されているようだった。


「はいはい、勧誘は村に着いてからにしましょうね」

「別に魔物もろくにいない道なんだしいいだろ?」

「ブラックスキンベアーにすみかを追われただけです。万が一我々の姿を他の旅人様が見て、ここが安全な道だと勘違いしたらどうするのですか」

「いや、そもそもうちの村にそんな旅人こねえだろ」

「行商の方とかも来るじゃないですか!」

「そいつらは十分星見の草原のやばさが分かってるだろうが」


 ぎゃんぎゃんと言い合いながら思考は別のところで回っている。それはそれとしてめったに旅人なんて来ないとか言わないでいただきたい。旅人を守護する神に仕えながら、そうそう旅人に会えないという状況をライムンドは非常に嘆いていた。


 それはさておき、とライムンドは表情だけはむくれながら考える。いや、実際むくれてはいるのだがそれは別にいい。


 異邦の隣人。この世あらざる場所からやってくるという何者か。


 おとぎ話の勇者や魔王、長く語り継がれる賢王や錬金術師といった存在は、実は彼らなのでは無いか、とささやかれていた。


 本当のことだと信じるには突拍子も無くて、しかし迷信や嘘の類いだと断じるには証拠ともいえる史料が残ってしまっている。


 普通で無い、という一点を見るならば彼も――ライムンドは灰色の旅人を見やる。


 春斗は眉を下げて、心底困ったような顔を浮かべたままだ。討伐ギルド、ギルドか、とうんうんうなっている様が少しだけ可哀想に見える。


(それこそ『まさか』ですね)


 くすりとライムンドは笑みを浮かべて、その考えを頭の端に追いやった。考えたところで答えは出ないし、仮に彼が『異邦の隣人』であったとして、何が変わるだろうか。


 何も変わらないのなら、あえて答えを求める必要も無い。


 そんなことよりも旅の話が聞いてみたい、とライムンドは春斗とルイスの仲裁に入りながら考えていた。

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