深域の中
黒に気分が悪くなるような虹色の虹彩、目の前に広がるそれは怪しく脈動していた。
首都に突如現れたその深域は多くの人を飲み込み、今も成長し続けている。
直ちに鎮圧しなければ、被害は拡大するばかりだろう。
私はその深淵をひと睨みすると、緊張をほぐすため頬を叩いた。
星付きの魔法少女になって以来初めての合同作戦だ、気を引き締めなくては。
デバイスを起動し、今回の作戦概要を再度確認する。
魔法少女八人と魔法騎士十七名による合同作戦。
経験したことのない規模の人員と戦力を割いた大規模作戦だ。
そして私はこの作戦の魔法少女側のリーダーだった。
魔法少女がこれだけの数で戦うのも珍しいというのに、魔法騎士との合同、正直うまく指揮が取れるとは思えなかった。
現に、深域前に集まった魔法少女たちは魔法騎士とは交わらず、少し離れた位置に待機していた。
先行きが不安だ。
とはいえ、こちらは“少女”の集団なのだ、成人や男性が混じった魔法騎士たちとすぐに打ち解けるのは難しいだろう。
ここはリーダーとして先んじて彼らに挨拶をするべきだろう。
「本日はよろしくお願いします。私は魔法少女ピュアアコナイト、今作戦の魔法少女チームのリーダーを務めさせていただきます」
私は一歩踏み出し、会釈する。
そうすると、魔法騎士の中からも壮年の男性が進み出て私へ会釈してくれた。
「ああ、よろしく頼む。俺は佐久間涼、黒獅子合同部隊の隊長だ」
佐久間さんと私は握手を交わした。
リーダー同士が挨拶を交わしたからか知らないが、二つの集団はようやく合流し、交流を始めた。
親睦を深めている時間はないが、お互いの連携のため戦力を把握しておくことは重要だ。
「作戦を共有したいのだけど……」
私がそう言葉を続けようとすると、佐久間さんは手でそれを制した。
「悪いね、俺は隊長なんて肩書きだがただの年長者だ。この隊の実質的リーダーはあいつだよ」
あいつ?
私が彼の示す方向に視線を向けると、集団から離れた位置で一人深域を睨む少年が見えた。
魔法騎士の黒いジャケットを羽織り、腰に独特の形状の刀を挿した後姿。
「おーい、銀狼」
そう呼ばれて、少年が振り返る。
よく知った顔だった。
今日も学校ですれ違った少年の顔。
「銀狼じゃなくて吟朗だ、ぎ・ん・ろ」
魔法騎士のエース、東 吟朗だった。
彼がこの場にいるとは知らず、少し動揺する。
テレビで見たことはあっても、学校以外で彼と顔を合わせるのは初めてだったから。
魔法少女として彼と顔を合わせるのも初めてだった。
今まで何とも思っていなかった、自分の魔法少女コスチュームを少し恥ずかしく感じる。
少し、派手じゃないかなこれ。
「あれ?藍澤さん」
「…………今はピュアアコナイトよ東君」
私がちょっと気恥ずかしく思っているのに、本名の方で呼ばないで欲しい。
そういう思いを込めて彼を睨みつけたが、魔法騎士のエースは学校と同じように朗らかに笑うだけだった。
全く気楽なものだ。
今回の作戦、魔法少女の切り札が星付き魔法少女である私だとすると、魔法騎士のそれは彼なのだろう。
彼の活躍ぶりは私も聞いている、若くしていくつもの深淵を鎮圧した魔法騎士の期待の星。
今回の作戦の難易度を考えれば頼もしい人選だった。
「深域の中の法則が分からない以上、作戦には柔軟さが求められるわ。そちらの作戦は?」
挨拶をすっ飛ばし、作戦についての協議を始める。
知らぬ仲ではないのだ、礼儀は不要だろう。
東君も話を始めると笑顔を引っ込めて真剣な顔になった。
「今回の作戦の鍵はエースだ。勝負はどれだけエースが万全な状態で深獣の前までたどり着けるかにかかっている。僕以外の魔法騎士でエースを護衛しながら深域の中心部を目指す」
エースとはつまり彼と私のことだ。
守られるのが不服なのだろう、そう説明する彼の顔はいかにも不服そうだった。
でも、現実的な作戦だ。
事前に定められた方針でもそうする予定だった。
こちらの作戦もそう変わりはしない。
私は力をセーブしつつサポートに徹する。
深獣の前にたどり着いた時、生き残った魔法少女全ての魔力を私が束ね、ぶつける。
彼らとの作戦の違いは、生き残った魔法少女の人数がそのまま火力に直結するということだ。
だから、私はできるだけ仲間を失いたくない。
それに対して、魔法騎士はエースの銀狼さえ生き残れば問題ない。
一人一人が一騎当千の力をもつ魔法少女とは違い魔法騎士はあくまでも生身の人間なのだ。
銀狼のような並外れた才能の持ち主でもなければ深域の深獣とは渡り合えないだろう。
つまり彼らはエースを無傷で深獣までたどり着かせるのに必要な無数の盾、そう考えて集められた十六人だった。
魔法騎士たちは魂を盗られるのが……死ぬのが怖くはないのだろうか?
私には彼らの覚悟はとても推し量れなかった。
『死ぬよ。たくさん、たくさん死ぬよ。私の時みたいに』
私の耳元で亡霊が囁いた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
廃墟と化した街並み。
その中を私たちは歩いていた。
昨日は結局藍澤さんの家に泊まってしまった。
なんだか、自分を虐めた相手と一緒に寝るのは緊張したけど、疲れていたのか思いの外すぐ眠れた。
今は、今回の作戦の目的地である第13封印都市を目指している。
私たちがいるこの場所はもう第13封印都市の範囲内だ。
ビルの隙間から見える空は黒く染まっている。
あまりにも巨大な深域が前方の空を覆い隠していた。
あの深域が発生して以降、この地域一帯は侵食危険地区として避難勧告が出ている。
ここに住んでいた人々はいまだに自分たちの街に戻れぬ生活を送っていた。
前方を歩くアコナイトに続いてそんな寂れた都市を歩く。
もう拘束は解かれていた。
私はアコナイトに力を貸すことにしたのだ。
正直彼女の隣にいるのはまだ複雑な気分だけど、今回の作戦に協力することにもう異論はない。
昨日彼女が話してくれたこと、それはアコナイトという魔法少女が歪んだ経緯だった。
双子の妹の喪失、そして共魔の力の真実。
共魔の力とは、単純な魔力の共有なんかじゃない。
共有相手の願いをも自身へと取り入れる力。
それを使って数多の願いを背負った彼女は、自身の願いを見失ってしまった。
私を虐めたのは、数多の願いに共通する優越感を満たしたかったから。
それを満たすことで、彼女は魔法少女アコナイトとしての力を保つことができた。
誰も傷つけずに力を失うか、一人を傷つけ力を保つか。
前者を選べば誰も傷つけずにすむ、でもそれはこれから魔法少女として救うはずだった命を見捨てるということだ。
私は魔法少女の地位に責任なんて持っていない。
でも星付き魔法少女である彼女は違う、沢山の人を救ってきたし、救うはずだった。
だから、彼女は私という生贄を選び、魔法少女として戦うことを選んだのだろう。
「許して欲しい訳じゃない」
と彼女は言った。
だからそれは許しを乞う言い訳なんかじゃなかった。
「これは私の罪で、あなたは私の勝手な事情に巻き込まれただけ」
だからあなたは何も悪くない、そう……言われた。
彼女の葛藤なんて私には分かるはずもない、ただ想像することしかできない。
ただ、彼女は私が嫌いだった訳じゃないんだな……と思った。
私は彼女に憎まれていると思っていたから。
出雲日向として最後に彼女と対面した時、彼女は殺意を持って私を睨みつけていたように感じたから。
「嫌う訳ないじゃない。もしそうだったとしても、私にあなたを嫌う資格なんてない」
それを聞いて、少しほっとした。
人を嫌うのも、嫌われるのも、とても疲れることだから。
まだ彼女を見ると、あの時の記憶がフラッシュバックする。
でも……もう彼女を嫌わないでいいのかもしれない。
前を歩く彼女に視線を向ける。
アコナイトに変身した彼女は昨日の疲れた様子が嘘みたいに背筋を伸ばし、綺麗な所作で歩いている。
でも真実を知った今、それが全く違うように見えた。
……………………………
…………………
……
魔法少女たちが集合場所に選んだのは深域近くの学校だ。
私たちがついた頃には、もう何組かの魔法少女たちが校庭に集まっているところだった。
その中の一人が、私を見て挙動不審な様子で駆け寄ってきた。
「し、し、知らない人いっぱい。怖い」
ひっつき虫のように私にへばりつく包帯だらけの少女。
サイプラスは今日も人見知りを発揮しているようだ。
私はというと、色々なことがありすぎて陰キャを発揮しているどころではないのが現状だ。
アカシアも私を認めたのかこちらに手を振っている。
でも、私の隣にいるのがアコナイトだと気がつくとギョッと目を見開いた。
まぁ事情を知らなければ意味不明な組み合わせだよね。
どうやら私とアコナイトの関係は知れ渡っていないようだ。
アコナイトはそんな視線など気にせず、にこやかに微笑むと魔法少女たちの輪の中に入っていった。
流石に手慣れているなぁ……長年疲労や葛藤を隠し続けただけあって、その顔に張り付いた笑顔は実に自然だった。
「アコナイトさんと知り合いだったのか。意外だね」
「ぁ、あぁ、クラスメイト……なんだよね」
へぇ、と興味深そうにアコナイトを見つめながらアカシアは私にひっつくサイプラスをベリっと剥がした。
もうちょっと丁寧に扱ってあげて。
まだ集合時間には少し早いけど、魔法少女たちは続々と廃校に集まってきていた。
「ぁ、精霊」
サイプラスの呟きに顔を上げると精霊たちが列をなして廃校の上空を飛んでいた。
蛇、虎、犬、鼠、馬、総勢五匹の契約精霊たち。
一度にこんな数の精霊を見たのは初めてだ、何匹かは見たことないやつもいる。
精霊たちは校庭の朝礼台の周りに円を描くように整列した。
精霊たちが囲むその朝礼台に、一人の魔法少女が立つ。
オレンジ色のコスチュームを纏った魔法少女、星付き魔法少女イノセントマリーゴールドだ。
「やぁ、少し早いけどもう全員集まったみたいだね。始めようか」
そう言って、マリーゴールドは手をかざす。
七色の光と共に水晶が現れる、あれが彼女の武器なのだろうか。
「これより、第13封印都市奪還作戦を開始するよ!」
その言葉に魔法少女たちは雑談を止め、皆真剣な顔つきになる。
私も、唾を飲み込むと手を握り締めた。
これから始まるのだ、多くの人を不幸にしたあの深域を鎮圧する戦いが。
首都奪還……この作戦の行方によって、この国の未来は大きく変わる。
重すぎる責任が私たちの肩にのしかかっていた。
「今作戦の指揮は未来予知の力を持つこのイノセントマリーゴールドが受け持つ」
予知の力を持った魔法少女の存在に皆がざわめいた。
予知、クレスがアイリスと言い合っていた時、その言葉が確かにあったのを覚えている。
予知で見たからこそ、私の力が必要なのだとクレスは言っていた。
つまり、その未来を予知した人物が彼女なのだろう。
「私が指揮不能な状態になった場合は、この深域での戦闘経験があるピュアアコナイトが指揮を担当する、アコナイトがやられればバイオレットクレスが、クレスがやられればパステルアカシアが指揮をとること」
非常時の作戦の指揮の担当者の伝達。
未来予知の力を持つ魔法少女がそれを告げる、その意味。
今言った魔法少女が戦闘不能になる未来もありえるということ。
「今告げた四人、そしてブラッディカメリアを含めた五人の魔法少女がこの作戦の鍵だ。この五人全員が行動不能になった場合のみ、作戦失敗とする。その場合は各自自分の命を最優先に深域から離脱してくれたまえ」
作戦失敗。
その言葉が呪いのように私にまとわりつく。
予知までして、あんなことまでして私の力を手に入れたのに、成功が確実ではないのか。
魔法少女たちの真剣な表情も、険しくなる。
行動不能、それはすなわち深域に囚われるか、死か。
絶対成功する、そんな耳当たりの良い言葉を吐いて士気を盛り上げることは簡単だ。
でも、この封印都市がそんな生易しい存在ではないことはみんな分かっている。
だからこそ、彼女は作戦に必要なことのみを淡々と告げた。
場違いな希望なんて必要ない。
私たちはそれぞれの胸に願いを抱いているのだから。
マリーゴールドの説明が終わると、五匹の契約精霊たちが浮かび上がった。
パプラがちらりとこちらに心配そうな視線を向けたのを感じる。
大丈夫、私は。
パプラに、自分に、そう言い聞かせるようにまた強く手を握り締める。
「それでは、封印を解くネ。無事に帰ってこいネお前ら」
精霊たちが一斉に光を放つ。
それと同時に、深域を囲む杭の輪郭線が歪む。
かつて私が見た封印杭より遥かに巨大なそれが空気に溶けていく。
封印が、解かれた。
黒い半円が脈動する、その振動で地面が揺れた。
今まで見てきた深淵のどれとも違う邪悪な何かが花開いた。
魔法少女たちの命運を賭けた作戦が始まる。
私は…………生きて帰ってこれるのだろうか?
―――――――――――――――――――――
「ねぇ、本当に何もしなくていいの☆」
魔法少女たちの集団が深域へと入っていく、その様子をあたしたちは黙って眺めていた。
彼女たちの集合していた廃校から少し離れたビルの屋上に陣取って。
カメリアちゃんをアコナイトから取り戻すのなら今が最後のチャンスだろう。
だけど、あたしたちは動かなかった。
「しょーがないだろ、予知野郎の助言に従うことにしたんだから」
そう、あたしたちはイノセントマリーゴールドの予知に従い、カメリアちゃんを助ける道を選んだのだ。
あたしたちが作戦に介入するのはもう少し先になる。
この決定を下したのは師匠だ。
正直あたしたちは師匠と違ってまだマリーゴールドのことを信用しきれずにいる。
でも、あたしはマリーゴールドを信じる師匠を信じることにした、だから不満はない。
キャンディちゃんはこの選択にまだ納得いっていない、それもあっての苦言なのだろう。
「カメリアは無理やり連れてこられたように見えなかった。だから……大丈夫」
自分に言い聞かせるみたいなシアちゃんの呟き。
上から見ていたけど、確かにカメリアちゃんは自分の足で歩いてここまで来ていた。
その顔には何かを決意したような表情が浮かんでいた。
昨晩何があったかは知らないけど、彼女はアコナイトに協力することにしたみたいだった。
それが自分の意思なのか、それとも洗脳されたのかは分からないけど。
もし彼女とアコナイトが仲直りしてくれたのであれば、あたしとしては争う理由はなくなる。
そういう意味でも、やはりここで介入すべきではないだろう。
カメリアちゃんたちが作戦を開始したということは、今のところ予知通りことは進んでいそうだった。
「師匠」
「んー?」
「結局師匠の願いって何なの?」
シアちゃん、今それ聞くんだ。
昨日、空気を読まないギャグで茶化されたというのにめげないね……
「多分、この戦いが私の魔法少女として最後の戦いになると思う。だから教えて欲しい」
「シアちゃん……」
そんな言葉は聞きたくなかった。
薄々分かっていた、願いの力を失った魔法少女の行方、ハイドランシアという魔法少女の運命なんて。
でも……聞きたくなかった。
あたし、シアちゃん、キャンディちゃんで始めたチームだった。
キャンディちゃんは師匠の元へ行ってしまった。
それでシアちゃんも止めてしまえば、あの頃のメンバーはあたし一人になってしまう。
それが、悲しかった。
キャンディちゃんもシアちゃんにも悪気がないのは分かっている。
ただ、最高のチームを目指して三人で手を取り合ったあの日から、ずいぶん遠いところにまで来てしまった。
「…………分かった」
もう茶化せる空気じゃないと分かったのか、師匠が肯く。
師匠だってそんな言葉聞きたくなかっただろう。
多くの魔法少女を教えてきたこの人は、一体どれだけの教え子の引退を見送ってきたのだろう、その苦痛はあたしには想像もつかない。
「ただし条件がある。絶対辞めるな。どんなに弱くとも、願いが砕かれようと、それで限界を決めるな。この戦いに無事に生還して私に元気な姿を見せろ!そーじゃねーとヤダね」
師匠……
何人もの引退を見送ったとしても、彼女はそのどれ一つにも納得がいっていないのだろうな。
そう感じられる言い分だった。
師匠らしく、横暴で自分勝手な条件。
でもそれは仲間を大切に思っているからこそのわがまま。
「分かったわ、約束」
シアちゃんがどこか不服そうな、安堵したような顔で肯く。
あたしも、安心してしまった。
あたしじゃ、シアちゃんを引き止められないと感じてしまっていたから。
不甲斐ないリーダーだな、あたし。
「あ〜、さっさと終わらせたい、って願いは嘘じゃねえんだよ」
師匠が頬を掻く。
それが嘘じゃないっていうことは、急ぐ理由の方が嘘だったのだろう。
あの乱暴な戦い方はやはり急いでいたのか。
だとしたら師匠はなんで急ぐのかな?
「あ〜と、その、なぁ」
でもそこまで答えておいて、なぜか師匠は言いにくそうに唸っている。
いつも猪突猛進な師匠らしくない。
初めて見る師匠の顔だった。
なんだかカメリアちゃんみたいだ。
というか最近あたしの周りでカメリアちゃん化する人多いよね。
「弟の誕生日だったんだよ!だから、早く家に帰ってやりたかった」
一息にそう言い切ると師匠は息をついた。
誕生日、ということは師匠が魔法少女となった日は、彼女にとって特別都合の悪い日だったんだ。
さっさと終わらせて家族の待つ家に帰りたい、それが師匠の願いか。
何というか、破天荒な師匠に似合わず常識的な願いだ。
まぁ魔法少女に夢を見ていないところは師匠らしいけど。
というよりこんな優しい願いなら、別に隠す必要ないんじゃないかな。
「いい願いじゃない☆なんで隠していたの?」
キャンディちゃんもあたしと同じことを思ったみたいだ、首を傾げている。
師匠はというと恥ずかしそうに頭を掻き毟っていた。
「いや、ブラコンだと思われたくないじゃん」
「え、ブラコンなの?」
「………………」
無言。
あ、そうなんだ……
あたしたちは何となく察した顔になった。
家族仲がいいことはよろしいんじゃないでしょうか。
「終わり、この話はおしまい」
師匠は誤魔化すように大きく咳払いをした。
「願いなんて、適当でいいんだよ」
師匠、他の魔法少女が聞いたら卒倒しそうなことを言い出す。
それじゃあたくさんの魔法少女が弱体化しちゃうよ。
まぁ確かに師匠が願いを大事にしているところって見たことがないけど……それって師匠の才能の所以じゃないのかな。
師匠の魔力総量は膨大なんだし。
「大切なのは、あの日の願いを思い出せるかってことだ。それに今は関係ない」
その言葉はシアちゃんに向けられた言葉だった。
願いを壊された“今”は関係ない、そう師匠は言っている。
でも、そう割り切ることなんて無理だ、師匠だって弟さんを失えば同じように力を失うんじゃないのかな。
私には今が過去に関係ないなんてとても思えなかった。
「魔法少女ミスティハイドランシアはどこまでいってもミスティハイドランシアでしかない」
強くなっても、願いを失っても。
他の魔法少女になることはできない。
当たり前なことを師匠は言った。
当たり前だけど大事なこと。
「お前はピュアアコナイトにはなれない。そんなことはお前も分かっていたはずだろ。ならお前が憧れたのは、なろうとしたのは何だ?願いの本質を忘れるなよ」
「私……は…………」
シアちゃんの瞳がぐらりと揺れる。
何かを、思い出すように。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
轟音が辺りに鳴り響く。
「フレアッ!」
閃光が闇を切り裂き、私たちを包囲する影に大穴を開ける。
首都を覆った深淵。
魔法騎士と魔法少女が力を合わせ、たどり着いたその内部。
影の群れの向こう、にそれはいた。
痙攣する黒い何か。
深獣は既存の生物の姿を形取る。
狼だったり、鳥だったり、虫だったり、そのバリエーションは様々だ。
そして知能の高い動物を模した深獣ほど、上位の個体である傾向がある。
しかし、その何かは特定の姿を持っていなかった。
足、手、翼、触覚、様々な動物の部位を模倣しながら、それは形を変えていた。
深域の主、それはまるでキメラのように様々な肉体を持った異形だった。
黒い肉が痙攣しながら何かになろうともがく。
二足歩行の何か。
それはまるで人型になろうとしているかのようで…………
ゾワリと鳥肌が立つ、根源的恐怖に発狂しそうだった。
「何人……残っているの?」
私は周りに視界を走らせる。
私のそばで戦っている魔法少女は五人、銀狼を囲んで戦っている魔法騎士がたったの九人。
魔法少女二人、魔法騎士七人がこの場にいなかった。
深域の中は暗く、影が蠢いている。
私たちはその影を蹴散らし、ここまでたどり着いた。
初めのうちは順調だったが、影は次第に形を変え、襲いかかってきたのだ。
しかもその影は私たちを学習しているのか、どんどん強くなっていった。
そうして一人、また一人と人数が欠けていってしまった。
ここまでたどり着くために払った犠牲に目眩がする。
だが、それに憂いている暇はない。
外傷が軽度であるならば、魂を盗られただけであれば、今ここで深獣を倒せば救える。
「クレス!みんな」
私は一番の相棒に手を伸ばす。
クレスが私の手を取り、その反対の手で他の魔法少女の手を取る。
魔法少女たちが手を取り合っていく。
そうして魔法少女たちの輪ができた。
両手を通して私たちは繋がった。
今、みんなの願いを一つにする。
共魔の力が、みんなの願いを徴収する。
私の中に覚えのない願いが、憧れが、欲望が、流れ込んできた。
一瞬、自分が誰かどうかすら分からなくなる。
そんな情報と感情の濁流が私を襲う。
目眩、吐き気、襲い来る苦痛と自我が崩壊していく恐怖。
それを感じながらも私は意識を黒い何かへと伸ばす。
大丈夫、倒すべき敵は見失っていない。
「……いけ」
私の中で渦巻く複数の魔力が光となり、痙攣する深獣へと真っ直ぐ伸びていく。
白い光と黒い獣が重なり……
全てが白く染まった。
閃光。
爆音。
黒い肉が飛び散り、深獣の黒く粘質な体液が降り注いだ。
痙攣する黒い肉塊、その左半身が消し飛び肉体は大きく抉れていた。
それを、確認して私は地面に膝をつく。
苦痛が限界だった。
肩で息をしながらも、深獣を睨む。
霧散していない、まだ生きている。
その黒い何か魔障壁は私の想定した以上の強度だった。
「お願い……銀狼!」
私はもう出し切ってしまった。
だから、私はもう一人の切り札へと助けを求めた。
彼は、私の言葉を聞くまでもなく走り出していた。
刀が閃く。
鋭い斬撃が深獣の上半身と下半身を切り離した。
深獣が宙を舞う。
宙を舞ったその上半身を追い、魔法騎士のエースも地を蹴る。
振りかぶられたその刀は、深獣の頭部へと狙いを定めていた。
ごぼ
肉が蠢く音。
宙に浮いた肉塊が、突如として形を変えた。
その深獣は今まで一切攻撃らしい攻撃をしてきていなかった。
反撃は一切なく、ただやられるだけだった肉塊が動いた。
警戒するには十分な事態だった。
でも、そんなことは銀狼も分かっていた。
彼の刀はもう振りかぶられている。
どんな反撃が来ようと、その前に彼の刀が深獣を真っ二つにするだろう。
そのはずだ。
そのはず、だった……
それが反撃だったなら。
「出雲さん?」
彼の刀が止まる。
肉塊は、私のよく知る少女へと姿を変えた。
まるで本物と見紛うばかりのその姿に、彼の目が見開かれる。
一瞬の隙、だけどどうしようもないぐらい致命的な隙だった。
出雲日向の姿をしたそれが、縦に裂ける。
二つに裂けたそれはまるで口のように大きく開き…………銀狼を飲み込んだ。
「あ…………」
その場にいた誰もが、言葉を失った。
そのあり得ない光景に。
粘着質な音を立てて、それが地面へ落下する。
魔法騎士のエースを飲み込んだ肉が、立ち上がる。
吐き気を催す光景だった。
それはまだ中途半端に出雲日向を模していた、だがその姿には縦に裂け目が入り、人を飲み込んだせいでぶくぶくに膨らんでいた。
「東……君…………?」
言葉を失う私たちの前でそれはニタニタと笑った。
あれは……だめだ、この世にいちゃ。
まだ中に東君がいるというのに、私は嫌悪感に促されるままに手を伸ばした。
それを消すために。
それと目があった。
「お姉ちゃん」
それが微笑む、今度は私の妹の顔で。
記憶の中の妹の声と寸分の違いもない声音で私を呼ぶ。
「ぁあ……あぁあああ……ぁ」
口から意味のない呻き声が漏れた。
身体に力が入らず、地面に手をつく。
その顔、声から逃げたい、そんなものを私に見せるな。
やめて。
やめろ!
辺りから悲鳴が上がる。
影が私たちを包囲するように迫っていた。
「しっかりしろ!!」
「…………クレ、ス?」
チームメイトに激しく肩を揺さぶられる。
彼女はとても険しい表情を浮かべていた。
「銀狼がやられた、作戦は失敗だ。ここから離脱する」
「銀狼?……失敗?」
オウムのように彼女の言葉を繰り返す。
その言葉を理解することを脳が拒んだ。
「生きて帰るの、私たちで、そうでしょ!」
頬を叩かれる。
生きて…………
俯く私の視界に何かが写った。
黒い体液の中に沈んでいく刀。
そうだ、もう……彼はいない。
ここまでにたどり着くまでに皆疲弊している。
このままここで戦い続ければ全滅だ。
それを回避できるのは私だけ、星付き魔法少女のピュアアコナイトだけだ。
「クレス……あなたの願いを貸して」
クレスの腕を掴み、立ち上がる。
悪夢のような撤退戦が幕を開けた…………
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「アコナイト、大丈夫?」
心配そうなクレスの声に私は肯く。
彼女も顔色が悪い、きっとあの日を思い出しているのだろう。
あの日、結局生きて帰れたのは魔法少女三人、魔法騎士二人の計五人だけだった。
私たちはあまりにも多くのものをあそこで失った。
あの深域の法則は結局なんだったのか。
脳の中身を覗かれた、そうとしか思えなかった。
そうでもしないと、あれが私の妹の姿をとったことに説明がつかない。
それが私の弱点だったから、私が攻撃できない対象だったから、あれは妹を形取った。
だとすると、あれが日向を形取ったのはどういうことだったのか。
当時の私は考えた。
そうして答えを導き出した。
耐えがたい真実を。
その日、私は初めて自らの手で日向を殴った。
今まで虐めを主導しても決して自ら暴力を振るうことはなかったというのに。
ささやかな優越感を満たせればよかったから。
でもその日、私は明確な敵意を持って日向を殴った。
彼女の目が恐怖に染まるのも気にせずに。
そうして、魔法騎士のエース銀狼は世間から姿を消し、出雲日向が学校へ来ることはなくなった。
全部、私のせいだ。
私の許されざる罪。
「ようやくお姉ちゃんの好きな人と再会できるねー」
亡霊が私の耳元で囁く。
そうね。
どんな形であれ、彼は私の目の前に現れるだろう。
もはや彼も私の弱点の一つなのだから。
その覚悟はもう出来ている。
私は過去を殺しにきたのだから。
なんの躊躇いもなく、深域へと足を伸ばす。
ヘドロを潜るような不快な感触、それと共に私の身体は深域の中へ侵入する。
そこは、記憶にあったかつての景色と大きく変わっていた。
「…………遊園地?」
陽気な音楽が、私たちを迎えるように鳴り響いた。
―――――――――――――――――――――
第13封印都市奪還作戦
作戦概要
本作戦はピュアアコナイトとブラッディカメリアの能力を用いた無限魔力による攻撃によって深域内の深獣を鎮圧するものです。参加魔法少女は予知の能力を持つマリーゴールドの指揮に従い行動してください。また、第13封印都市の深域はこちらの考えを読んで姿を変えます。目に見えるものは信用せず、各自指揮に従ってください。
星付き魔法少女:2名
魔法少女:10名
*以上で作戦を遂行します、増援はありません。
*作戦開始から1週間経った時点で帰還する魔法少女がいなければ作戦失敗とし、参加魔法少女は行方不明扱いとします。
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