第一章⑩ 森の外

「おめでとう、ございます……。こんなに魔法が使えるようになっていたなんて、驚きました」


 鳥型の魔獣を見事討ち倒した俺への、魔女様先生からの賞賛のお言葉だ。


 しかし、そう言う魔女様の顔はあまり嬉しそうではないというか、少し寂し気な表情をしていた。

 やはり、俺とのデートにはあまり乗り気では無いのだろうか。


 それでも、俺は現に鳥型の魔獣を倒して、きちんと魔獣を倒せるだけの魔法を習得した事を、自分の実力を証明した。

 約束は約束だ。


「じゃあデート、約束だからな」


「はいはい、わかりましたよ」


 魔女様は子供の様にはしゃいで再三確認する俺に対して、どこか呆れた様にあしらいながら、とてとてと小さな歩幅でこちらへ歩いて来た。


「ん?」


「ご褒美です」


 そして、少し背伸びをして、子供を褒める母親の様に、優しく頭を撫でてくれた。

 この歳になって頭を撫でられるというのにはくすぐったいものがあるが、悪い気はしない。


 しばらく享受させて貰おうと思っていたが、しかし彼女の興味は別に有った様で、頭に置いていた手をすぐに手を放して、


「でも、教えた魔法とは随分と違う使い方をしていましたね?」


「ああ、魔女様の魔導書に無い魔法はまだ使えないけど、やり方さえ覚えれば、応用は出来るからね」


 俺はまだ攻撃魔法を教わってはいなかった。

 しかし、魔法の仕組みは教えてもらっていたから、命令を組み合わせた応用の仕方は分かる。

 だから、魔女様に教わった日常で使う魔法に、教わったものとは別の命令を与えて行使したのだ。


 例えば『光源』は普段は家の灯りに使う様な魔法だが、さっきの様に与える命令を変えて発動時間を変更するだけで、目晦ましのフラッシュに早変わりだ。


 それに『身体強化』は強くかけすぎると身体に負担をかけて、最悪自分がお陀仏になる魔法だ。

 俺は魔女様の様に全速力で風の様に走ったりは出来ないが、ほんの少しに出力を弱めれば、俺にでも使うことが出来る。


 いつもティーセットをふわふわと台所から食卓へ運んでくる『物体浮遊』の魔法。

 俺はこの魔法の“空間を移動させる”という性質を活かし、その速度を変えただけだ。

 与えた命令には“ふわふわとゆっくり飛ぶ”か“勢いよく加速して飛ぶ”の違いでしかない。


「もう。簡単に言ってくれますね?」


「まあ、全部魔女様のおかげだけどね」


 魔女様は「ふうん」と顎に手を当て少し考える素振りを見せた後、


「ちょっと、教え過ぎたかもしれませんね」


 と、困ったように笑って見せた。



・・・



 そんな魔獣討伐からしばらく経った後。

 今日は待ちに待った魔女様とのデートの日だ。


 本当はその翌日にでも決行したかったのだが、魔女様からは「まだ心の準備が……」と焦らされ続け、今日に至る。


 と言っても、俺はこの世界について何も知らないので、今日のデートプランは魔女様たっての希望の下、全て魔女様に丸投げした。


 だからと言う訳では無いが、心のではなくても、いろいろと準備してくれていたのだろう。


 俺だって、何が合っても良い様に、色々とこの日に向けて準備はしてきたつもりだ。

 魔法だってあの日よりももっと上達したし、沢山の種類を覚えた。


 なんと言っても、もう地下に有った魔女様の書いた魔導書は全て読破してしまったのだ。

 勿論、その中には強力な魔法も沢山有った。


 勿論折角のデートなので俺もお洒落をして挑みたいところではある。

 しかし、俺の所持している服はこの世界に来た時に着ていた前世からの持ち込み品と、魔女様から貰った適当な部屋着しか無く、デートへ着ていく様な上等な服など持っていなかった。


 故に、俺は消去法的に前世からの持ち込み品の方を着て、魔女様とのデートに挑む。


 ズボンの両のポケットには財布とスマートフォン、あとおそらく家の鍵と思われる鍵の束が入っていた。


 スマートフォンは当然電源が入らないし、まあ入っても電波が通っていないので意味はない。

 家の鍵も自分の家がどんな鍵穴だったか、というかどこに住んでいたのかすら覚えていない。

 そして他の世界の貨幣など、この世界では価値が有るはずもなく。


 どれもこの世界では全く約に立たない代物なので、今となってはどうでもいい事だろう。



 そんなこんなで、デートに向けて身支度をしている時。

 当日になった今のタイミングで、魔女様がおずおずとまた不穏な事を切り出してきた。


「えっと、今日はあなたに謝らないといけない事がありまして……」


「えっ。“やっぱ無し”は無しにしてよ? 結構楽しみだったんだから」


「いえ、そうではなくてですね……」


 では、何の謝罪だろうか。

 今になってやっぱり「今日も無しで」なんて言われるとちょっと凹むのだが、曰くどうやらそういう訳ではないらしい。


 彼女は言い淀み、少し悩んだ後、


「実際に外へ行ってからの方が、早いと思います。なので、また後でお話しますね」


 と、その場では謝罪の内容を聞くことが出来なかった。


「そっか。じゃあ楽しみにしとくよ」


 俺はもう何が出ても驚かないぞ、と覚悟を決めた。

 

 魔女様は出掛け支度として、いつもより装飾の多い外行き用の可愛らしい服を身に着けていた。


 そういう服も持っていたのか、と改めて見惚れてしまった。

 やはりその美しい容姿なら、何を着ても似合うだろう。


 そして、魔女様は家を出る直前に、腕にかけて持っていた大きめの綺麗な布に「『形状変化』、『認識阻害』」と小さく呟き、その布に魔法をかけた。


 布だったそれは淡い魔法の光に包まれると、たちまち形を変え、ローブの様な羽織物に早変わりした。


 この魔法は『認識阻害』――①フードを被っている間発動 ②周囲の人間を対象 ③ランダムな他人に誤認する、と言ったところか。

 俺は魔法の発動を見て、魔法式を頭の中で思い浮かべ、何となくの魔法の構造を思い描いた。


 しかし、どうやら俺はその魔法の対象外になっている様だ。いつもの魔女様の姿に見えている。

 折角デートする魔女様の顔を見られないのは寂しいし、どこかで逸れたら分からなくなってしまうので、俺にはちゃんと認識出来る様になっているのはありがたい。


「魔女様、それは?」


「私の姿を隠すために『認識阻害』のローブを作りました。前の奴は汚してダメにしちゃったので」


「ああ、有名人だもんね」


「そうですね。私の姿を見たらきっと国中大騒ぎですよ」


 そう言って彼女はまた寂しそうに笑って見せた。

 ただのエルフならそう珍しくはないのだろうが、“黒髪のエルフ”となると話は別だ。


 ローブを上から羽織ってしまうと、折角の魔女様のお洒落姿をあまり見られなくてちょっと残念だ。


 しかし、本の挿絵にもなっているくらいには有名で目立つ容姿だ。

 姿を晒したままその辺をほっつき歩いてると、それは“私は災厄の魔女です”と自己紹介をしながら歩いている様な物。


 魔女様がデートに乗り気じゃ無かったのも、その辺りに理由が有るのだろうというのは想像に難くない。


 しかし、魔女様の言からするに、少なくともこれから行く所にはちゃんと国らしい。

 それを聞くと、俄然楽しみになってきた。



・・・



 この世界に来てから初めてまともに浴びる陽の光の眩しさに、俺は目を細めた。

 冷たくひんやりとした森の中に居ては、決して感じる事が出来ない類の暖かさが俺たちを包み、俺はついに森の外へ出てきたのだと実感する。


「空気が、美味しい……」


 森の中で得た知識での、外の世界の初めの印象は“瘴気に包まれ魔獣の闊歩する世紀末”だったのだが、今眼前に広がる光景はそれに該当しない。


 空は快晴、明るい陽射し。

 深呼吸をすると身体の中を通り抜ける澄んだ美味しい空気、草木が生い茂る自然豊かな平原。


 そして、きっと件の国だろう。

 遠くには大きな城壁がちらりと見える。

 瘴気も魔獣もどこへやらだ。


 まあ、正直そんな気はしていた。

 これはある程度予想の範疇だ。

 魔女様はそんな俺の反応に対して、


「そうですね、いい天気です」


 と胸が痛んだ様な、申し訳なさそうな、そんな儚い表情で笑い、空を見上げていた。


「とりあえず、新王都へ向かいましょうか」


「ああ、向こうに見えるアレか」


「ええ。あそこがこの辺りで一番大きな国です」


 森の外の状況も含めて、魔女様には聞きたい事が色々と有る。

 しかし、焦る事も無い。

 目的地へ着くまでの間にでも、いくらでも話は出来るだろう。


 ここまで遠くでも、その一片がちらりと見える程の大きな城壁。

 その先に有るであろう、魔女様曰く“新王都”をひとまずの目的地として。

 俺たちは魔女の森を背中に見送り、二人並んで、ゆっくりと歩いて行った。



 王都へ向かう道中。


 行商の荷馬車だろうか、重い荷を積んだ様な重厚な音を響かせながら、ゆっくりと馬が荷台を引いている。

 馬車の上では、朗らかな笑みを携えた大柄の気の良さそうなおじさんがその手綱を握っていた。


 ついに第一村人との遭遇だ、他にも人間が居たのか。

 と内心喜びながら、やはり第一印象は大事だと思い、俺は馬車とすれ違う直前に、「こんにちは」となるべく明るいトーンの声で挨拶をした。

 しかし、


「――、――?」


 ――え?

 今、なんと言ったのか。

 俺の聞き間違いだろうか。


 行商のおじさんは俺の挨拶に馬車を止め、こちらを振り向く。

 そして、少し驚いた風に、こちらに何かを語りかけて来た。


 こちらに向かって朗らかな笑顔で話しかけてくれいるが、その口から発される音は今まで聞いたことがない。

 つまり、早い話がこの行商の喋っている内容を、俺は一つも理解できなかった。


 というか、これは明らかに、喋っている言語が違う。

 

 これは俺が魔女様と会話をする時に使用している、俺の第一言語である日本語とは違うものだ。

 一瞬知らない外国の言葉だろうか、と思ったが、すぐに思い直す。


 いや、ここは異世界だ。

 これは日本語でも英語でも無く、きっと異世界語なのだろう。


 ちゃんと考えてみれば当然だ、形成する文化の全く違う異世界で、使用する文字も違う。

 だというのに、喋る言葉は元居た世界と同じなんて、そんな都合の良い事が有るはずがなかった。


 これは想定していなかった。

 何が出ても驚かないと覚悟していた心が、早速揺らいだ。


 普段魔女様とそつなく会話出来ていたせいで、それが普通だと思い込んでいた。

 いや、きっとそう思い込まされていたのだろう。


 あまりに自然に魔女様が日本語を操っていたものだから、そこに思い至らなかった。


 魔女様はちらりとこちらを一瞥した後、行商のおじさんといつもの聞き慣れた日本語ではなく、異世界語で何かを話していた。


 話をしていたのは数秒くらいだ。

 何となく表情や雰囲気で内容を察せなくもない。

 きっと俺が変な言語を喋っていた事か、たった二人で何もないこの辺を歩いていた事への言い訳を、適当に誤魔化しながら話している様な感じだろう。


 この行商にはきちんと『認識阻害』が機能している様で、魔女様を見ても驚く事なく、至って普通に接していた。


 そして、話を終えた魔女様がお辞儀をすると、行商のおじさんは荷馬車を走らせて元の進行方向へと去って行った。


「えっと、魔女様……?」


「あはは……、えっと、ごめんなさい……」


 この胸の痛む様な、儚い表情の魔女様を見たのは今日何度目だろうか。


 この謝罪は「言葉が通じないのを秘密にしていてごめんなさい」ということなのだろう。

 そして、それは「それを気付かれない様に自分は日本語を話してカモフラージュしていて」であり、それはきっと「俺の記憶を使って」なのだろう。


 魔女様が森の外へ出たくなかった理由の一つ、きっとそれがこれだ。

 自分の取り繕っていた嘘の露見を嫌っていたのだ。


 ある程は“魔女様はいくつか嘘を吐いているのではないか”と予想していた。

 しかし、早速これは予想の範囲外だ。


「まさか、言葉が通じないとは思ってなかったよ」


「わたし、日本語上手でした?」


「何も違和感無かったから、今の今まで気付かなかった」


 そう言うと、魔女様はまた少し寂しそうに笑う。


「他にも秘密にしてた事とか、有る……よね」


「はい。沢山、有ります。いっぱい謝らなくちゃです」


「出来れば、全部知っておきたいんだけど……」


「今日はその為のデートでも有りますから。大丈夫です、きちんとお話しします」


 秘密はまだ沢山有るらしい。

 しかし、俺はそれを強く責める事は出来なかった。


 魔女様が何故嘘を吐いてまで、俺をあの森の中に繋ぎとめようとしていたのか。

 その理由を考えると、胸が痛む。


 魔女様の秘密。

 そして、魔女様の嘘。

 その理由。


 かつて、魔女様言っていた。

 ――「私もずっと独りは寂しかったので」と。


 俺は、ちゃんとその寂しさを埋められてあげられていただろうか。

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