俺の心にはこの先台風が吹き荒れるかもしれない

 俺はその日、氏政と『100日後に彼女が出来る氏政』の企画を考えるために彼の住むアパートへと向かっていた。もちろん氏政は夏休み中もこの企画をやる気満々である。


 今日の天気は珍しく曇りでいつもよりは少し涼しい。どうやら台風がこの色彩市に近づいているというニュースをやっていたのでその影響であろう。かすかに雨の匂いもする。早めに企画の内容を決めてしまって寮に帰りたいものである。


 氏政の下宿先は『ブリリア色彩』と言って色彩市のかなり辺境にあるアパートだ。家賃の安さで選んだらしいが、その代わり大学からは結構遠い。歩きで20~30分ぐらいかかるだろうか。


 でもすぐ隣にコンビニがあるのは少し羨ましくはある。夜中に「ちょっと何か食べたい」と思った時に便利だ。寮の近くにはコンビニなんて無いからな。まぁこの色彩市自体が田舎なので市内にコンビニなんて便利なものはそもそも2軒しかないのだが…。


 俺は目的のアパートまでたどり着くと彼の部屋を探す。この『ブリリア色彩』は比較的最近できたアパートらしく、清潔感を感じる白い壁とピカピカに輝いている床が美しい。えっと…確か氏政の部屋は2階の2号室だったかな?


 俺は階段を登って2号室と書いてる扉の前に立つと表札を確認する。表札には彼の名字である『黄田』と書かれてあった。よしよし、ここで間違いないようだ。


 俺は中に入れてもらうべく扉の横にあるインターホンを押す。


 ピンポーン!


 …インターホンを押して数秒待つが彼が出てくる気配はない。それどころか物音ひとつしない。…おかしいな、出かけているんだろうか? 近くにコンビニがあるので昼飯か何かを買いに出かけているのかもしれない。それか寝てるか。


 俺はスマホを取り出すとreinで彼に「部屋の前に着いたぞ」とメッセージを送る。だが結構待っても既読が付く様子は無かった。買い物中であってもスマホにメッセージが届いた事には気が付くはずだ。


 …という事はあいつまだ寝てるな。


 只今の時刻は午前10時過ぎである。いくら夏休みとは言っても少々寝すぎではないだろうか。俺は彼を起こすためにインターホンを連打することにした。


 ピンポンピンポンピンポーン! ピピピピピンポーン!


 ここまでインターホンを連打してようやく部屋の中で何かがうごめくような気配がした。やっと起きたか…。


『ふぁい。どなたでしゅか?』


 明らかに寝起きと思われる気だるそうな声がインターホン越しに聞こえてくる。


「俺だよ。兼続だ。今日metubeの企画考えるって言いだしたのお前だろ? 何でまだ寝てるんだよ」


『「俺だよ」って…。もしかしてこれ今流行りのオレオレ詐欺?』


「なんでだよ!? ちゃんと自分の名前も言ったろ。兼続だ」


『お前…本当に兼続か? もしかすると誰かが兼続の名前を使って俺を騙そうとしているのかもしれない。怪しい…。お前が兼続だって証拠を見せてみろ!』


「は?」


 朝っぱらからめんどくさい奴だな…。証拠を見せてみろって…お前が部屋から出て俺の姿を確認すればすぐに分かる事だろうに。


『お前が本当にマイグッドフレンド兼続なら、座禅を組んで空中浮遊ができるはずだ。それを見せてみろ!』


「そんなこと出来る訳無いだろ!? 俺はインド人か何かかよ!?」


 俺はコイツの前で座禅を組んだことも空中浮遊したことも無いのだが、何故それで俺だと分かると言うのか? 意味が分からない。


『俺の知っている兼続はついさっき夢の中で座禅組んで空中浮遊してたぞ!』


 一体どんな夢見てたんだよ…。そもそもな話、空中浮遊できる人間がこの日本にいるワケがないじゃないか。


『出来ないんだな? じゃあお前は偽物の兼続だ! 警察に連絡する』


「いやちょっと待て、警察に迷惑かけるんじゃない。お前が部屋から出て俺の姿を確認すれば俺が偽物じゃないって分かるはずだろ?」


『ル〇ン三世が変装しているかもしれないじゃないか!』


 めんどくさ…。ル〇ン三世は架空の人物だし、俺に変装した所で何の利益もないだろうに何を言ってるんだこいつは…。


「じゃあ俺が変装してないって分かればいいんだな? 黄田氏政君は大学1年の時に酒に酔って裸でションベンを漏らしました。あとナンパするついでにう〇こを漏らしました。それから…」


 俺はおそらく俺と朝信ぐらいしか知らないであろう氏政がしでかした悪行をつらつらと述べていく。彼の悪行を10個ほど証言したところで部屋のドアがガチャリと開いた。


「おおっ、その姿は我がグッドフレンド兼続じゃないか。良く来た。さぁ、部屋の中に入れよ」


「最初からそうしろよ…」


 朝っぱらからドッと疲れた。俺は精神力が消費されたことによる妙なだるさを感じながら彼の部屋へと入っていった。



○○〇



「朝信は?」


「さぁ? もうすぐ来るんじゃない?」


 metubeの企画は3人で集まって決めることになっている。なので朝信も今日呼ばれているのだが、彼はまだ来ていないようだった。


 氏政の部屋に入ってみると彼の部屋は案の定汚かった。部屋の中は6畳ほどのワンルームなのだが、部屋の床に食べた後のカップ麺の容器や講義の資料が無造作に散らばっている。千夏の部屋といい勝負だな。


「お前なぁ、せめて人を招く時ぐらい掃除しろよ…」


「ごめんごめん、今日朝早起きして掃除しようと思ってたんだけど寝過ごしちゃった。テヘッ♪」


 氏政はペ〇ちゃんみたいな顔をして俺に申し訳程度の謝罪を入れてくる。…その顔は腹が立つからやめてくれ。


「いくら夏休みだからって10時まで寝てるのはだらけすぎじゃね?」


「いやそれがさぁ…最近隣に引っ越してきた人の騒音に悩まされてて眠れないんだよね。夜中になるとうるさくて」


「騒音?」


 彼の事だからてっきり不摂生な生活をしているが故に早く起きれないのかと思っていたのだが…。これまた意外にも切実な理由である。


 騒音か…、確かにそれは困るな。


 騒音を決して軽く考えてはいけない。他人の出す音というのは案外大きく響くもので、騒音が理由で精神を病んだり、最悪の場合は殺人事件にまで発展する可能性のある深刻な問題なのだ。


「それはキツイな…。管理会社に連絡して対処して貰った方が良いんじゃないか?」


「昨日連絡したから対処はしてくれるはずだけどなぁ…」


「ちなみにどんな騒音なんだ? 足音がうるさいとか…TVの音が響くとか?」


「トイレの音がうるさいんだよ」


「は?」


「最近夜中の0時を過ぎるとさ、隣の部屋のから『ブリブリブリブリッ』っていう音とおっさんが『あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛~』って気張る声が響いてくるんだよ。俺その音で笑っちゃってさぁ、全然眠れないんだよね。いくらアパートの名前が『ブリリア色彩』だからって限度があるぜ」


「汚ねぇな…」


「まぁ生理現象だししゃあない。俺もトイレをする時よく同じような声出すからお互い様さ。深夜にやるのはやめて欲しいけどな」


「ああ、そう…」


 眠れないって言うから心配していたのだが…、彼自身は笑っているようだからそれほど深刻ではないのかもしれない。心配して損した。


 俺たちはとりあえず人が座れるスペースを確保するために彼の部屋をある程度掃除することにした。市指定のゴミ袋に床に転がっているゴミをぶち込んでいく。


 そうして10分ほど経っただろうか、ようやっと人の座れるスペースが確保出来たという所でちょうど朝信がやって来た。


「皆の衆、グッモーニングですな。いや、そろそろグッドアフタヌーンの方がいいですかな? それにしても雨がもう酷くなってますぞ! これは帰る時キツイかもしれませんなぁ…」


「えっ、もう?」


 朝信の報告を聞いて窓から外を見ると、俺が来た時はまだ降ってもいなかった雨が今はザーザー降りになっている様だった。風も強いのか『ピュールルル』という音も聞こえる。


 嘘だろ…。台風来るの今日の夜ぐらいだってニュースで言ってたから折り畳み傘ぐらいしか持って来てないぞ。台風の速度が速まったのか?


「こりゃとっとと企画の内容決めて早く帰った方が良いかもしれないな」


「ですな」


「それじゃあ早速始めるか。第21回『100日目に彼女が出来る氏政』の企画会議を」


 氏政がそう宣言してmetubeの企画の第21回目の内容を決める会議が始まった。



○○〇



「で、21回目の企画なんだが…俺はせっかくだから夏にしか出来ないことをやってみたいと思う」


「夏にしか出来ない事って?」


「海でナンパとか」


「言うと思った…」


 こいつ夏休み前から海でナンパしたいナンパしたいってしつこく言ってたからな。


 どうせ失敗するし撮影する方はツッコミが追い付かなくて疲れるのでいつもの俺ならそれに反対する所なのだが…、今の俺は早く企画を決めて寮に帰りたいという気持ちが強かったので仕方なくそれに賛同する。


「もうそれでいいんじゃね?」


「珍しく賛成するの速いな。朝信は何か意見あるか?」


「我も異論ありませんな。それに我も久しぶりに海に行きたいですぞ!」


「朝信も海に行きたいもんだな。夏はエアコンの効いた部屋でエ〇ゲ三昧かと思ってた」


「こう見えても我は海が大好きなんですな。実家のすぐ前に海があって、小さい頃は夏になると毎日そこで泳いでましたな。クラスで一番泳ぐのも速くて『色彩南小の海豚』と言われていたんですぞ!」


 海豚…普通に読むと「イルカ」だが、彼の場合はそのまんま豚の意味で使われてそうである。


「よし。朝信も賛成っと…。じゃあ次の企画は海でナンパに決定な」


 いつもなら最低でも1時間以上かかる企画会議が今日はたったの5分で終了した。俺が反対しなきゃこんなにも早く決まるもんなのか。でも反対意見を述べないと企画が間違いなく頭のおかしいものになるから反対せざるを得ないんだけどな…。


「それでいつやるかだけど…今週の日曜はどうだ?」


「いいですぞ。我は空いてますな」


 今週の日曜と言うと女子寮のみんなと海に行く日である。まいったな…。その日は無理だ。


「すまん、その日は予定が入ってる」


「兼続に予定があるなんて珍しいな。バイトか?」


「そんな感じ」


 こいつらに4女神と海に行くことがバレると確実にめんどくさい事になるので適当にはぐらかす。


「困ったなぁ。その次の週の土日となるともうお盆だから泳いでいる人が少なくなるんだよなぁ…」


「別に土日にこだわらなくてもよくね? 平日でもいいんじゃないか?」


「土日の方が人が多いと思うから良いと持ったんだが、兼続に予定があるなら仕方ないな」


「今週の土曜は無理なのか? 土曜なら空いてるぞ」


「今週の土曜は俺がバイト入ってるんだよ」


 俺達は相談の末、お盆前に最後のひと泳ぎをしている女の子を捕まえようという目的で撮影を12日にやることに決定した。


「さて、決めることも決めたし帰るか」


 俺は雨がこれ以上酷くなる前に寮に帰ろうと腰を上げて帰り支度を整える。しかしそこで窓の外を見ていた朝信から「待った」がかかった。


「ちょっと待つですな兼続。今は雨がやばいですぞ! ここはもう少し様子を見た方が良いと思いますな」


 朝信にそう言われて窓から外を見てみると雨が凄い事になっていた。雨が強すぎて窓からは落ちて来る雨以外何も見えず、視界がほぼゼロの状態だった。うわぁ…ヤベェなこれ。この状態で帰ると間違いなく事故にあうだろう。


「俺、ちょっと田んぼの様子見てくるわ!」


 氏政は何を思ったのかいきなりドアを開けて外に出ようとする。


「分かりやすい死亡フラグ止めろ!? それにお前田んぼなんて持ってないだろ…。いきなりどうしたんだ?」


「いや、台風の時ってこういうのお約束かなって…」


「農家の人にとっては死活問題なんだからネタにするのやめろよ…」


 あの人たちは田んぼに植えてるものが無くなると収入がなくなるからな。文字通り必死だろう。


「台風の進路予想のサイトを見ますと今現在色彩市はちょうど暴風域の圏内にいるようですぞ。台風の進行速度が思ったより早かったみたいですな。しかしその分通り過ぎるのも早いみたいなので台風が通り過ぎるまでここで待機するのもアリだと思いますな。昼過ぎには色彩市を通り過ぎるみたいですぞ」


 朝信がスマホをポチポチとしながらそう答える。


 うーん、個人的にはこんな汚い部屋にはあまりいたくはないのだが…、自分の命には代えられないか。しょうがない。台風が通り過ぎるまで氏政の部屋で待機させてもらおう。


「氏政、スマンが台風が通り過ぎるまでここで待機させてくれ」


 俺は再び氏政の部屋にドカリと腰を落ち着ける。


「俺は全然いいぞ。あっ、でも昼飯とかはでないからな。今冷蔵庫の中スッカラカンだ」


「別にいいさ。1食ぐらいは我慢できる」


「そういえばお前昼飯はいつも山県さんの手料理食ってるんだってな。羨ましいぜ! 山県さんって料理上手なんだろ?」


「別にいつもじゃねえよ。美味い事には同意するが」


「かぁー!!! お前さぁ、いったい前世でどんな徳積んだらそんなことになるんだよ?」


 俺も女子寮に住むことが出来たのは凄く幸運だと思っている。もしかすると一生分の幸福を使ってしまったのかもしれない。


「そういえばさ、兼続は女子寮の4女神とは何か進展とかあったりしたのか?」


「進展?」


「同じ寮に男女が住んでるんだから何もないはずないだろ? ココだけの話だから言ってみ? お前は誰狙いなんだよ?」


 ああ、そう言う事か。まったく、俺と女子寮の4人は別にそういう仲ではないと言うのに…。俺はあの4人の問題を解決するために女子寮に呼ばれただけなのだ。


 それに口の軽いこいつにそんなことを言おうものなら明日には大学中にその話が広まっている気がするので絶対に言わない。


「別に俺は誰も狙ってないよ」


 彼にはそう返したが、俺の頭の中では最近の女子寮の4人とのやり取りが回想された。


 美春先輩には彼女が好きな人が出来るまでの間練習台になって欲しいと言われたし、千夏にはバストアップのために胸に揉んで欲しいと言われている。秋乃には彼氏が出来た時のためのデートの練習に付き合って欲しいと言われているし、冬梨にはこの前大切な友達だと言われた。


 あれ? 思い返して見ると俺と女子寮の4人との仲って凄く深まっている気がする。…もしかしてフラグ立ってる? …いや、やっぱり気のせいだろう。常識的に考えて今までモテなかった俺が急にモテるようになるはずがない。自意識過剰だと逆に嫌われてしまうので気を付けなければ。


 俺はあくまであの4人の問題を解決するために女子寮にいるのだから信頼を裏切るような事をしてはならないのだ。例えこの先波乱に満ちたことが待ち受けていようと、台風のように強い雨風が吹こうと1度引き受けたからには成し遂げて見せるぞ。



○○〇


次回の更新は7/14(水)です


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