第六十七話 逆々転々
肉が歪み、骨が砕け、内臓が潰れるむごたらしい音が、冷えた広間に響きつづける。
「ハッ! さすがだな、ロン・アルクワーズ! しぶとさだけは伝説級だ!」
興奮したサーレイに一方的に嬲られるロンは、すでに全身の骨を十本以上折られ、臓腑も三つほど潰されている。
流血も尋常ではなく、サーレイ自身が返り血で真っ赤に染まっている。
すでに致命傷を負っているのは間違いない。
このまま放っておいても、夜まではもたないだろう。
それでも、ロンは、立っている。
己がつくった血溜まりの上に、辛うじて。
「しかし拍子抜けだ。我ら魔族が恐れ続けてきた男を殺すのが、こうも容易くてはなっ!」
直後に放たれた鋭い蹴りで、ロンの左大腿骨が粉砕された。
「ぐ……っ」
しかし、まだ倒れない。
ふらつきながらも片脚でどうにか身体を支え、まだ潰れていない右眼で相手をしっかと捉えている。
驚嘆すべきことに、この絶望的状況にあってもロンの眼にはまだ闘志が宿っている。
ひとつの揺るぎない確信が、そこには、在る。
すでに己の勝利に酔いしれているサーレイは、それに気づけない。
けれど、アラナは気づいた。
(先生は、まだ、諦めていない。いまも何かを、信じつづけている……)
それが何なのか、まもなく思い至った。
(そうかっ……そうなんだ)
そして、少女の心にちいさな希望の灯がともる。
(勇者ロン・アルクワーズはもう……ひとりじゃないっ!)
「これほどまでに愚鈍で脆弱な
サーレイは、ふいに攻撃の手をとめて、いまや死にかけの元勇者を冷たく見据えた。
「神の剣を振るう者……剣神の転生者……、魔族が怯えつづけた伝説も、いざ相見えてみればこの程度のもの。この手で貴様を殺すため、ひたすらに己を鍛え続けたこの五年も、まったくの無駄だった」
つまらなそうにいいつつ、手についた血を振り落とす。
「私が魔王となった暁には、アンヴァドールの全軍を率いて
すっかり集中を解き、筋肉を弛緩させ、全身隙だらけ。
周到な策略家であるサーレイの心理に、これまで微塵も無かったものが生まれている。
油断である。
「……ふ」
ロンは、端から血を流しつづける口にかすかな笑みを浮かべた。
この広間に近づいてくる気配──ずっと信じつづけた希望を、彼だけが捉えている。
「俺さえ殺せばこの世界が手に入る、とそう考えたのか……。愚かだな」
「なんだと……」
「サーレイ。お前は見誤った」
呟いて、まだかろうじて動く左手で相手の腕をがっしりと掴んだ。
その力は驚くほど強く、サーレイは咄嗟にそれを振り払うことができない。
(こいつっ! 一体、何を!?)
そして──、かつて伝説をつくった元勇者は、力強く宣言する。
「この世界の主役は、もう…………俺じゃない!」
同時────。階段の出口から、四つの人影が勢いよく飛び出した。
「なにっ!?」
すべては、刹那の出来事。
一番ちいさな影──エルフ少女が真先に放った真空刃が、アラナの側で油断しきっていた
「ぎゃっ!」
カリダが短い悲鳴とともに吹っ飛び、一撃で戦闘不能になったのを確かめると、ウィナはアラナを庇う位置に舞い降りて、元気よくいった。
「アラナはもうだいじょうぶだよーっ!」
「しゃァッ!」
応えて、オリガが二人の仲間──カイリとキヤとともに、迷わずサーレイへと突っ込んでいく。
「よくもワタシのマスターを……絶対に赦さんッ!」
ロンの無惨な姿を目にした瞬間、少女たちの纏う闘気が爆発的に膨れあがる。
あざやかな形勢逆転。
サーレイにとっては、まさに青天の霹靂である。
いきなり窮地に立たされた彼は、
「おのれ……っ」
力任せにロンを蹴り飛ばしてどうにか身体の自由を取り戻したが、時すでに遅し。
少女たちは見事な連携で素早く三方から敵を囲み、同時に渾身の剣閃を繰り出す。
相手にもはや逃げ場はなく、防御も不可能。
勝負あった──。
その一瞬、誰もがそう思った。
「ヲラァアアッ!!!」
サーレイの両腕と右脚、三点に振り下ろされた刃は、彼の黄金の鎧を容易に斬り裂いた。
そして、その下で剥きだしになった肌も、やすやすと────
斬れなかった。
『っ!?!!』
三人の刃は、何にも守られていないはずの男の地肌に触れた瞬間──そこでガギン、と耳障りな金属音を発して、完全に停止した。
「は……っ?」
オリガが、思わず間の抜けた声を出す。
無理もない。
それは、己の眼でみても到底信じられぬ、超常。
少女たちは悪夢染みた光景を前に混乱し、身動きできなくなってしまう。
形勢は、逆転などしていなかった。
「フハハハハハハハハッ!」
ひとり高笑いしたサーレイは、直後、その圧倒的膂力で長剣をぐるりに一閃させ、三人の少女をまとめて弾き飛ばした。
『ぐぁっ!』
それぞれ三方の壁まで吹っ飛ばされた少女たちは、驚愕と恐怖に目を見開いたまま、その場で硬直する。
「貴様らに我が四天王が倒されることも、想定していた……」
サーレイは、愉しくてたまらぬという顔で少女たちを睥睨する。
「そして、そうなっても私の完璧な勝利が揺るがぬよう、万全の策を講じてある」
語りつつ、右手の中指に嵌めた黄金の指輪を掲げてみせる。
ちいさな黒玉のはまった指輪はいま、不気味な暗黒色の光を放っていた。
「あの指輪は、まさか……っ」
カイリが、絶望の滲む声で呟く。
「これは、アンヴァドールで受け継がれる
次いで、サーレイは到底信じがたい言葉を口にした。
「つまり、どう足掻いても、貴様らの剣ではこの私に傷ひとつつけることは出来んということだ」
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