第二十九話 逃げなきゃダメだ

 それから、元勇者と弟子たちの日々はまあどうにか平穏に過ぎていき、季節は変わって、夏──。


「なンで、オレが毎回テメェの買い出しに付き合わなきゃいけねェンだよっ!」


 入道雲が伸びあがる空の下、濃緑の森を貫く街道を歩きながら、オリガが大声で不平をいうと、


「いいだろ、月に一回くらい。こっちは毎晩お前の特訓に付き合ってやってんだから……」


 ロンは、空の荷車をゴロゴロ引きながら隣を歩く彼女にしかめ面を向ける。


 今日は、月一回の買い出しの日。

 城にある菜園では採れない穀物や肉、その他の食料や日用品を、街道を歩いて二時間のところにあるネドの町まで調達しに行くのだ。


 現在のロンは週七日それぞれ少女たちの鍛錬に付き合って休日がないので、こうしてオリガに無理をいって毎月第一金曜日を買い出しの日にしてもらっている。


「ソレとコレとは話が別だろがッ!」


 オリガは口を三角にして吐き捨てる。


「オレは、べつにテメェにタダで特訓に付き合ってもらってるワケじゃねェ。ちゃんと代金はこっ、このカラダで払うっつってンだからなっ!」


 少女がこの数カ月でさらにボリュームを増したようにみえる乳房を両手で持ち上げながら怒鳴ると、ロンはそのたわわすぎる誘惑から慌てて視線を逸らした。

 

「だからっ、それはいらないっていってるだろ!」

「ウルセェッ! それじゃオレの気がすまねェっつってンだ! いい加減、さっさと受け取りやがれッ!」

「いやだ!」

「正直になれよッ! 特訓の時、テメェがいつも物欲しそうにオレの胸チラチラ見てるの気づいてンだからなッ! ホントはいますぐ揉みてェんだろ? パフパフチュパチュパしてェンだろ?」

「した──くないっ!」

「へェ……そうかよ。じゃあ、しても問題ねェよなァ?」


 言うが早いか、オリガは胸に巻いていた毛皮をさっと取り払って、ロンの顔の前でひらひらと振ってみせた。


「なっ!? 何やってんだ!」

「アチィから服脱いだだけだ。テメェがオレのカラダに興味ねェなら、視られる心配もねェしなァ?」

「うぅっ……」


 湧きあがる劣情に抗って、ロンは少女の瑞々しい裸体から必死に顔を背けつづける。


「フー、涼しいぜェ。これから毎日この恰好でいるかなァ」

「ば、バカッ、やめろ!」


 狼狽えまくるロンの下半身にチラリと目をやってを確認したオリガは、薄く頬を染めながら誇らしげに微笑んだ。


「なァ、ロン……ここなら、誰かに視られる心配もねェ。ナニがあっても、それを知るのはオレとテメェだけだ。だから、さ……もうラクになっちまえよ。な?」

「い、いやだ……ぜったい……」

「ッたく強情だなァ。わァったよ……テメェは何もしねェでそこに寝転がってりゃいい。オレが無理やり襲った、ってコトにしてやるからよォ。そンなら、テメェの面目も立つだろ……?」


 にわかに大人びた、切なげな顔を近づけてきたオリガの甘い言葉が、ロンの耳朶をなぶる。

 少女の汗で濡れた乳房がむちゅっ……、とロンの腕にじかに触れた瞬間──腹の底からマグマのように熱い欲望が噴き上がり、体内で暴れ狂う。


「……っ!」

「なァ? メンドクセェこと考えるのはやめにして、ヤリてェことヤッちまえばいいンだよ。こーやってさァ……」


 硬直するロンの下腹部に、少女の指先がゆっくりと迫っていく。


(逃げなきゃダメだ逃げなきゃダメだ逃げなきゃダメだ…………っ)


 頭でそうわかっていても、ロンはなぜかその場で棒立ちになったまま微動だにできない。

 理性が下す命令を、本能が拒絶しているのだ。


(マズいっ、このままじゃ本当に、俺は……!)

「へッ、ようやく素直になったみてェだなァ……。時間はあるんだ。ジックリ、タップリ愉しもうぜェ……」


 悪戯っぽくいいつつ、みずからも呼吸を荒くしはじめたオリガが、ついにロンのズボンに手をかけた──その時。


「待ってくださぁぁあいっ!」


 はるか後方から、どこか控えめな少女の叫び声が届いた。

 と同時、それとは対照的に猛然と街道を爆走する騒々しい足音が近づいてくる。


『っ!?!』


 ロンとオリガは驚いたネコのようにばっと反射的に身体を離し、同時に後ろを振り向いた。

 ふたりの視界に入ったのは──、血の色のロングドレスを纏う豊満な肢体と、艶やかな銀髪、それに山羊のそれに似た黄金の角をもつ、魔族の少女。


「……カイリ?」

「なンで、アイツが……ッ!」


 カイリは、あっという間にふたりの元までたどり着くと、息も切らさずに背を丸めて立ち、いつものオドオドした様子で口を開いた。


「あ、あの……わたしも、買い出しに連れて行ってくださいませんか……?」

「えっ、ど、どうして?」


 ロンは、まだすこし顔を赤くしたまま、ぎこちなく訊く。


「その……いつも先生とオリガさんだけにお任せするのは悪いですし……わたしも、一度人間の町をゆっくり見てみたいと思っていたので……」

「ああ、なるほど……。でも、その、君は──」


 眉を寄せて言いにくそうにするロンをみて、カイリは頷く。


「わたしが魔族だから町の人たちが警戒する、とおっしゃりたいのですよね……?」

「まあ、うん……そうだ」


 ロンは、正直に答えた。


 五年前の戦争では、この国も多くの犠牲者を出している。

 戦争は終結したが、当時魔族に愛する者を殺された人々の恨みや憎しみは、簡単に消え去るものではない。

 魔族の少女が呑気に町の通りを見物などしていたら、それをよく思わない者は大勢いるだろうし、些細なことで不幸なトラブルを招きかねない。


「わたしもそう思って、これを持ってきたのです……」


 いうと、カイリは、おもむろに手にしていた茶色の布を開いてみせた。

 それは諸国を旅する商人たちが好んで着るような厚手のローブで、彼女がそれを羽織ってフードを目深にかぶると、二本の角がすっぽり隠れてカイリが魔族であることを示す部分は見えなくなった。


「これなら、どうでしょうか……?」

「うん、バッチリだ!」


 真夏に厚手のローブを着ているのはやや不自然ではあるものの、それだけで彼女が魔族であると勘づく者はいないだろう。


「では、わたしもご一緒させてもらっていいでしょうか……?」

「ああ、一緒にいこう」

「よかったです。……ところで、その──」


 ほっとした顔のカイリは、次いで、オリガにやや困惑したような眼差しを向けた。


「オリガさんはなんで、おっぱいを丸出しにしているのでしょうか……?」

『っ!?』


 至極当然の疑問をぶつけられて、ロンとオリガは同時に顔を引きつらせる。


「呼吸がやけに荒いですし、頬が紅潮していて、多量の発汗もあります……。まるで、つい先程まで、おふたりがここでいかがわしい行為に耽っていたかのような……」

「なっ、何を言ってるんだカイリ!」


 ロンが見事に裏返った情けない声で叫んだ。


「そんなコトあるわけないだろうっ! なあ、オリガ?」

「ソッ、ソーダヨッ! ンなコトあるワケねェヨッ! オレが、よりにもよってコイツとなンて……」


 オリガもおかしな口調でいいつつ、地面に放り投げていた毛皮を拾って素早く胸に巻きつける。


「ちょ、チョット背中を虫に刺されたような気がしてヨ……コイツに見てもらってたンだヨ……な?」

「そ、そう! 虫刺され! 毒があるヤツだったらすぐに手当しないといけないからなっ!」

「なるほど、そうでしたか……」


 すぐに納得したらしいカイリは、まもなく視線を落としてため息をついた。


「申し訳ありません。わたしったら、なんと下衆な勘繰りを……。我ながら本当に愚かで、救いようもありません……。やはり、こんなわたしに、この世界で生きる資格などない。いますぐ今生に別れを告げて、とこしえの闇に沈んでしまいたい……」

「いやっ、いきなり落ち込み過ぎだよっ!」


 おそろしく昏い影を背負ってうなだれる少女をみて、ロンは焦る。


「俺たち、べつに気にしてないし! ほら、せっかく三人になったんだから、ピクニック気分で楽しくいこうよっ。あ、そうだ、町で駄菓子買ってあげるよ駄菓子。欲しいモノ、何でも三つ……」

「いいんです……わたしなんて、そこらの枯草でもしゃぶってるのがお似合いなんです……」

「オイ、ロン! オレにも駄菓子買ってくれよッ! あの、スゲェ甘くてベタベタしてて、口に入れるとパチパチするヤツッ!」

「お前はちょっと黙ってろっ!」

「はい、黙ります……この罪深い口は、もう二度と、永遠に開きません……」

「いやカイリのことじゃないからっ! ほら喋って喋って! 君のこと、もっと聞かせてっ!」


 種族も性格もまったくちがう三人は、ひと気のない朝の街道をなんだかんだにぎやかに進んでいく。

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