第九話 本物と偽物
「うーん……。どうしてって言われてもなあ……」
中庭に立つロンは、困った顔でまた頭を掻く。
アラナは、その切れ長の大きな眼で相手をしっかと捉えたまま、逃さない。
「先生が、かの魔王ヴァロウグを倒した勇者であることは知っています。世界をあまねく闇で覆い、生きとし生けるものすべてを絶望に陥れた最凶最悪の魔王を、あなたはたったひとりで討伐し、この世界に平和をもたらした……」
「……」
「歴史に名を残した数多の勇者たちの中にも、あなたほどの偉業を成した者はいません。そんな偉大な方が、英雄の中の英雄が、こんなところで何をやっているのですか?」
少女の声音には、はっきりと相手を責める響きがあった。
ロンは、少女の張りつめた表情をただじっと見つめるだけで、何も応えない。
「世界はたしかに平和になりましたが、悪逆無道な魔王によって深く傷つけられた人々の心は、いまもなお癒えてはいません。彼らはいまも、新たな魔王の出現に怯えながら日々を生きているのです。そんな人々を救い、勇気づけられる者がいるとすれば……それは先生、あなたをおいて他にはいません」
「……」
「魔王を倒した勇者というのは、民衆にとってはただの英雄ではなく、この世界の善なる光の象徴、明日への希望そのものなのです。あなたがこの世界で勇者としてあり続けるだけで、か弱き者達は安寧を得て、未来を信じて生きることができるのです」
「……はあ」
ロンは、おもむろに腕を組んでため息をついたあと、はっきり嘲りを含んだ声音で吐き捨てた。
「知ったことじゃないな」
「えっ」
アラナは、いきなり頬を打たれでもしたような顔で固まった。
ロンは、優しさのカケラもない、冷ややかな声音で続ける。
「俺がヴァロウグを倒したのは、この世界に平和を取り戻して人々を救いたかったから、とかそんなご立派な理由じゃない。なんとなくあいつにムカついたから、ってただそれだけだ。魔王を倒したら周りの奴等が勝手に俺を勇者と呼びはじめたけど、俺はそんな面倒なモノになったつもりはないし、これからもなるつもりはない。そんな義理はないし、義務もない。新たに出現する魔王なんて、俺の知ったことじゃない。君の理想には程遠いかもしれないけど、俺はこの先もこの城で人知れず、のんびり、まったり生きていくよ」
「…………っ」
唖然としていたアラナは、やがて、その澄んだ緋色の瞳に清冽な怒りを宿らせた。
「失望しました……幻滅しました。わたしが、この五年間ずっと憧れて続けてきたひとが、まさか、こんな身勝手で、無責任な男だったなんて……。誰よりも強大な力を持ちながら、それを善や正義のために使わず、こんなところでただ空しく腐らせて、日々をひたすら無為に生きていくだけなんて。……ええ、そうですね。あなたに勇者を名乗る資格はない。わたしも、もうあなたを勇者とは認めない」
「ああ。それでいいよ」
少しも怒らず、あっさり頷いたロンをみて、少女はますます悔しげに口を歪めた。
「もう、あなたには何も期待しません。偽物のあなたに代わって、わたしが本物の勇者になります。なってみせます。世の人々を希望の光で照らし導く、真の勇者に」
「よーし、頑張れ。君がここで俺より強くなって《剣聖》になれたら、きっとその真の勇者とやらにもなれるだろうさ」
「ええ。わたしは、必ずここであなたより強くなってみせる」
「その意気だ。俺もこの仕事を請け負った以上は、君を《剣聖》にするために全力を尽くすよ」
皮肉っぽく、軽薄な口調でいうと、ロンはそのまま少女に背を向けて歩き出した。
アラナは、その瞳からこぼれ落ちたモノを汗とともに拭い去ると、キッと前を向き、たった今まで憧れだった男の背中を睨みながらその後を大股でついていった。
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