第五話 カレーに失敗はあり得ない

 《剣聖》──この世界で剣を極め、最強と呼ぶに相応しい実力を手にした者のみに許される、至高の称号。


 創世神話で、剣神レンドラウルが邪神アザトールを打倒し、世に永遠の光と祝福をもたらしたとされるこの世界では、剣は最も神聖な武器とされており、あらゆる権力の象徴ともなっている。


 ゆえに、種族を問わず力を求める者たちがまず真っ先に手にする武器が剣であり、彼らの頂点に立つ《剣聖》は、民から深く敬愛され(または畏怖され)、時に一国の王すら凌ぐ権力を持つことも珍しくない。


 かくいうロンも、五年前、魔王を討伐した後に《剣聖》を名乗ることを許されたものの、その称号に否応なく付随してくる数多の義務や責任を負うのが嫌で、あっさり辞退した、という過去を持っている。


 そんな、どうしようもなく怠惰で無責任な元勇者はいま──城の薄暗い調理場でひとり、必死に芋の皮を剥いていた。


「みんな育ち盛りだからそれぞれ一回はおかわりするとして、俺のも合わせて十四人前……。くそっ、思ったより大変だぞ、こりゃ」


 大きな寸胴鍋でみじん切りにした大量のタマネギをじっくり弱火で炒めつつ、隣のまな板でこれまた大量の牛肉とニンジンとジャガイモを手早く一口大に切っていく。


 今夜の献立は、まず調理に失敗することがなく、しかもみんな大好きなカレー。

 を選んだまでは良かったのだが、たかがカレーといえども、十四人前となると材料の下ごしらえだけでかなりの時間がかかる、ということまでは考えが至らなかった。


 それゆえ、料理完成の時間は予定より大幅に遅れ──、


「オイッ! いつまで待たせンだ、ぁア?」


 調理場の入口にのっそり顔を出したオリガが、腕組みしながらロンを睨みつけた。


「テメェ、オレたちを飢え死にさせるつもりかよ」

「ちょ、ちょっと待て! あとチョット、もうチョットだからっ!」

「さっきもそう言っただろォがよ」

「いや、ホントにアト少しなんだって! これ全部鍋で煮たらもう完成だから」

「煮たらって……まだ結構かかンじゃねェかッ!」

「あと三十分、いや二十分だ! それまでほら……みんなで鬼ゴッコでもして待っててくれ!」

「鬼ゴッコ、だァ……テメェ、オレたちのことバカにしてンのかッ!」

「うっ、ち、ちが──」

「アチコチ走り回ったらヨケーに腹が減ンだろがッ! こういう時はかくれんぼ、って相場が決まってンだよッ!」

「…………。あー、ウン。じゃあ、それでいいから。ほら、楽しんでおいで」

「するわけねェだろッ! 何が、かくれんぼだ。こちとらガキじゃねェンだぞ! あんまナメてッとブッ飛ばすぞッ!」

「お前、意外と面倒臭いな! ていうか、お前の相手してるこの時間が何よりのタイムロスなんだよ! 早く食べたいならもう邪魔せず向こういってろっ!」


 ロンが思わず怒鳴った時、オリガの背後からカイリがおずおずと顔を出した。


「あの……、すみません……お邪魔なのは重々承知しているのですが……、皆さんが、ちょっと心配だから様子を見て来い、って……」

「カイリ……。悪いな、心配させて。本当にあと少しで完成だから、もうちょっとだけ待っててくれるか?」


 ロンが穏やかな笑顔でいうと、魔族の少女はコクリと頷いた。


「いくらでもお待ちいたします……。わたしは魔族ですので、三日くらい食事を取らなくても全く問題ありませんから。ただ、あの……、イルマさんとエロウラさんが、まだ時間がかかるようなら今夜は出前を取らせろ、って……」

「いや、こんな山奥に出前なんか来るかぁい!」


 ロンが思わず大声でツッコむと、カイリはドレスの胸元からのぞく乳房をぶるりと震わせて、ペコペコと頭を下げた。


「すっ、すみませんっ……わたしもそう思ったのですが、おふたりに言い出せず、本当にすみませんっ……」

「あ、いや怒ってないよ? 大丈夫。カイリは何も悪くないし……」


 ロンが微笑んでみせると、それまで二人の会話を黙って聞いていたオリガが口を尖らせた。


「オイ、テメェ……オレと話してる時よりスゲェ優しいじゃねェか。なンでこんなに差があンだよ? 獣人差別か、ぁア?」

「差別じゃねえよ! 相手が礼節をもって接してきたら、こっちも相応の態度で応えるんだよ! お前も優しくしてほしいなら、もうちょっと態度を改めろ!」

「べ、べつにテメェに優しくして欲しいなンて思ってねェよ! キモチワリィこと言ってンじゃねェ! この、乳揉み変態野郎がッ!」

「そーいうとこだよ、そーいうとこ! あーもうっ、マジで向こういってろよ! いつまでも完成しねえぞっ!」

「あと材料煮込むだけならオレと話する暇くれェあンだろがッ!」

「ぐっ、正論……。ていうか、お前、俺と話したいのか?」

「ばっ!? バッ、バカかッ! ンなワケねェだろがッ!」


 湧きあがる怒りのためか、頬をほんのり染めて歯を剥きだすオリガ。

 ロンは、してやったりの顔でウンウンと頷く。


「そうか、そうだよな。じゃあ、もう俺に用はないだろうから、カイリと一緒に向こういっててくれ」

「ケッ! 頼まれなくてもいってやるってンだよ、バァーカッ!」

「お、オリガさん……先生にそんな失礼な言葉遣いは……」

「ウルセェッ! テメェは黙ってろ、このおべっか使いのヘッポコ魔族がッ!」

「すっ、すみません……っ。では先生、失礼いたします……」


 立ち去る少女たちの背中を見送ったロンは、


「はぁ……すんげえ疲れる……」


 思わず調理台に手をついて、深い深いため息をついた。

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