第46話 永遠

 どこか諦めるように、彼は告白した。

 彼の奥さんは、その一人だと。


「馬鹿な……」


 思わず、そう吐き捨ててしまった。


「小雪さんは流石です」

「流石? なにが」

「小雪さんがユニバキッチン往査で指摘されたことは的確でした」

「指摘……」


 思い出す。あの往査で私が行ったことを。


 膨大な資料、データ、証跡の海から、それを突合させて結論へと結びつかせる。

 機械のように記憶をアウトプットしようと藻掻くほど、自ら喉に包丁を突き刺して絶命する男の不気味な笑みが、脳内を寄生虫のように這い回り邪魔をする。

 私があの時、指摘したのは――


「仕入れ差異――ね」


「はい、その通りです」


 ユニバキッチンは売上の割に仕入れが多すぎる。

 管理が杜撰で済めばいいが、最悪なケースとして――

 まさか。


「横流ししていたの?」


 秋山君は視線を落としてふっと笑う。


「ええ、そのまさかです。横流していた顧客は従業員からうちの社員、果てはヘビーユーザー。大量に廃棄された原料を齧った害虫。そして――」

「そして……?」


 秋山君はぐっと拳を握る。



「そのなかに妻もいました」



「妻……秋山君の亡くなった……」


「瑠香はあの店が気に入ったみたいで、暇を見つけては足繁く通っていました。そこから、徐々に見えるものと見えないものの境界線があやふやになり、見えないものたちに惹かれるように。無性に焦がれていました。ここじゃないと」

「ここじゃない……」


 妹の記憶が蘇る。

 赤い、寂しい、夕闇に陰るその横顔が血に染まる。


「秋山君はそれでいいの?」

「いい……というのは、どういう意味ですか」

「だって、今も見えるんでしょ。彼らが、死に誘う存在が。常に、あなたのそばに」

「ええ」とこちらを向いた。その瞳は、どこにも焦点が合っていなかった。


「いますよ」


 この言葉に私は身震いする。

 やはりいるのだ。

 私のすぐ傍に。永遠に沈み込むような眼窩をした彼らが。


「自分や奥さんが、そのようなものに侵されたことに納得なんて出来るの? だって、既に奥さんは――」


「瑠香は僕の全てでした」


 彼は遮るようにそう断言した。

 そして、力強い言葉に引っ張られるように一歩前に出た。


「僕はずっと焦がれていました。どうやったら瑠香は心も体も自分のものになるのだろうかと。元々、天邪鬼的な性格で何事にも皮肉を言い、どこかで僕を下に見ていたから、いつも不安だったんです。おかしいですよね、好き同士だから結婚したのに。ずっと、瑠香は僕の手のなかから零れてしまうと常に不安だったんです。だから、瑠香の言動がおかしくなるにつれて、内心僕は彼女より優位に立てると心のどこかで安心感を覚えたのかもしれません。だから、あの時も僕は彼女に適当に大丈夫だ、なんて言ってしまった。医者からも見放されて、誰からも。でも、そんなのは間違っていたんです」


「それは、あなたの優しさからくるものよ。何も間違って――」


「違うんです」


 再び大声で遮られる。

 そのまま振り返り、彼は私を見下ろす。

 太陽を隠し、巨大な影が立ち塞がる。


「僕は勘違いしていた。大切なのは彼女を治すことじゃない。原因を突き止めることでもない。そもそも、治りもしないし、原因なんてどこまでも不明で、確実に防げる手段もない。どこまでも根本的な原因は不明です。そんなものに固執しても仕方ない。大切なのはこの世界を恐れることなく、彼らと一体化することなんです。この世界こそが正しいんだと保証することこそが重要なんです」


「一体化ってなにそれ。あなたが見えてる化け物たちと一緒の生活をしろってこと? へたしたら死んでしまうのよ」


「大丈夫です。死ぬことはありません。二つの世界が近づく程、永遠になれるんです」


「ごめん、よく意味が」


「瑠香はここにいます。瑠香は僕を心の底から愛していました。瑠香も、こっちにおいでって、横流しされた特注スパイスをいつも料理に混ぜて食べさせてくれた。どんなに体調が優れない時だって、一日も休まず、明美味しい?って。おかげで、僕は瑠香といつも一緒です。いつも僕の傍に。僕らはいつまでも離れることはありません。死ぬまで、いや、死んでも、いつまでも」


 そう言って右手を宙に広げる。

 その仕草はまるで隣にいる大切な存在を私に紹介するかのようで、彼はとても誇らしい顔をしていた。



 突風が吹き、上空を漂う雲の塊が太陽を覆う。


 瞬間、地上に降り注ぐ光は消え失せた。


 この産地を取り囲む木々が、激しく幹や葉を揺らす。


 森の奥。

 上空。

 あらゆる場所に潜んでいる獣たちの鳴き声が反響し、心を激しくかき乱す。


 ああ、ああ――

 とあらゆる歪から何かを求める声が染み出してくる。


 風にのって、私にも彼らの声が聞こえた。


 それは遠い記憶。



 ――早く導いてくれないか?



 早く、早く、早く、早く。

 僕を、私を、俺を。


 導いてくれ――


 耳を塞いでも無駄だった。


 呻きが、怨嗟の叫びが、濁流の如く次々と意識に流れ込む。

 胸が苦しい。首を絞められたように気道が圧迫される。寒くもないのに震えが止まらず、両手で肩をさする。鐘が鳴るようにいつまでも死んでいった者達の叫びが鳴り響く。



「なんで、小雪さんは見えないんですか?」



 やがて、私にも見えるのだろうか。

 この世のものではない存在が。

 声が聞こえた。




 ――明は私のもの。わたしたちの世界はあなたが保証すればいい。



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