第31話 今のところは
往査二日目。
空は分厚い雲に覆われ光は地上に届かない。おまけに湿度も高い。工場団地全体に霞がかかったように、地面から湯気が立っている。何とも言えない不快な湿度が首筋にまとわりついた。
初日に引き続き、今日もずっとエミナは私の傍を離れない。ホテルの朝食会場から、昼食に至るまでずっと先輩先輩と耳障りだ。
たまらず朝一番に、水野部長に嫌味の業務報告を入れた。
「あの子、全然勉強していませんよ。OJTもいいですけど、監査って本人の自己努力が前提なので、教える側も限界があります」
嫌味な釘を刺したが、まあまあ頼みますよと笑ってはぐらかされた。
他人事だなと苦笑。
彼とは配属以来の付き合いだが、あの部長は部長で、場面ごとに適当な相槌を打つだけで、大事なことはいつもはぐらかす。
釈然としない思いのなか原料倉庫の視察に向かった。
見上げるその外観は圧倒される程巨大であった。主力品の売上伸長に伴い、工場は増築を重ねている。今後も更に増築予定であり、敷地面積ぎりぎりまで拡張するのだと言う。まるで生き物ようにダクトが縦横無尽に広がっている。
成長するのは人間だけではない。
機械も建物も組織も同じ。
「以前訪れた時よりすごいわね」
工程の大部分が自動化されている最新式の施設は目を見張るものがあった。
あらゆるものはデータ化され、ネットで繋がれる。
自動スキャンに自動搬出、自動洗浄、自動切裁――
エミナはうっとりした表情で、無機質に動き回るアームを眺めている。
「すごいですねえ」
「最近の工場はIotが進んでいるから、昔のイメージとは随分と違うわね」
「先輩、Iotって何ですか」
「モノのインターネットのことよ。色んなモノをネットで繋いでデータ送受信することで作業を効率化するの。今ここで、詳しく説明しないけど、それぐらい勉強してから往査に来なさい」
「先輩、何でも知ってるんですねっ」
「何でもは言い過ぎだけどね」
「帰りの新幹線で詳しく教えてください。あ、休みの日でも。わたしはいつでも大丈夫なんで」
深いため息が出た。
会社に帰ったらもう一度、水野部長にきつい口調で文句を言わなくてはならない。不勉強を少しも悪びれないエミナは無視して、監査項目に従い淡々と質疑応答を重ねていったところ、大きな不備は見当たらなかった。
「うちは何にも問題なんて発生しないよ」
磯貝工場長はそう言うが、私は確認できないものは納得しない。しかも、聞かない限り彼らは答えない。双方ともに時間の制約もあり、この短期間のなかで自分の直感を信じて、漂う違和感の火元に五感を働かせるしかない。
「自動化により人員が削減されてますが、監視業務が行き届いてますか?」
「問題ないよ、皆協力しながら一生懸命やってるから」
生産現場は仕組みによって成り立っている。あらゆる動き、管理、各工程に携わる人そのものがシステムに組み込まれているため、不整合な部分は早々起きない。変に穿った質問をすると顔を険しくさせるので、やり辛い。
まあ、変に突っかかってきたら、私はその分、目を鋭くさせるけど。
「わああ、こんなの初めて見ました。ここ、すごい」
エミナは、視察というよりもどこを見ているのかわからない。常に焦点がぼんやり。担当者が指差す方向を見ているようで、焦点は遠くを見ているようで。呑気な見学ツアーのつもりか。この世代は学生の延長なのか。
「最近の工場はハイテクなんですねえ」
「段々とロボットに置き換わっていくねえ。未だ試験段階だけど、店頭の売上に応じて生産量が自動的に決められるシステムもあるし」
「へえ~、便利ですねえ。そうなると益々人間の出る幕ではないですね」
「まあ、そうだね。全てがハイブリッドの時代だから」
「なるほど~、出る幕じゃないですねえ」
にやにや笑う二人の間に割って入る。
「試験システムの導入は、既存業者ですか? それとも新規取引ですか?」
「確か、新しくお付き合いする業者さんだと思うけど」
「では、そこの会社の視察はしていますか? データ上の実績だけではなく、コンプライアンス体制は適切か把握していますか?」
この問いに、磯貝工場長は怪訝な顔をした。
一体、何を聞きたいんだと云わんばかりに憮然と「問題ないよ。リーガルチェックも、プロセスも」言い放つ。
「高城さんは何を知りたいの? 我々に何か問題があるの?」
私は理解している。
世の中に完璧なものはないと。
そして、完璧を求めて根掘り葉掘り追及することの不毛さを。
だが、どうしても思い出してしまう。
脳裏に焼き付いた鮮烈なあの光景を。
日常の細かな不備、積もり積もった綻びが事故を引き起こすはずだ。
あらゆるものがそうなのだ。
だから――私は。
ぐっと拳を握りしめ、問題あるのと口元を歪ませる磯貝工場長にこう答えた。
「今のところは」
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