花魁道中奇譚~逢花寒月編~

諦念

序章

序章

 花魁道中おいらんどうちゅう――江戸花魁の祖とも云える勝山太夫のように外八文字で道中を美しく練り歩く吉原の花 逢花おうか花魁。


 今日の客は誰か、明日の客は自分か、金と権力がモノをいうそれが吉原。


 遊女の嫉妬、禿かむろの羨望、客の欲情、楼主の監視の目。


 それらを一身に受ける道中、逢花は顔色一つ変えずに美しい姿のまま吉原を廻ると金月楼きんげつろうに戻る。


 今夜の客を座敷に案内する禿が部屋の外から逢花に声をかける。逢花は紅を差した唇の端を上げる。

 座敷の襖を禿が開けて、逢花は日本髪を結い漆と金の簪を飾った頭を下げる。


「今夜の出逢いは前世の御縁でありんしょう」


 ふんだんな金糸で模様を織った打掛うちかけと幅の広い派手な帯に身を包んだ逢花の盛装は吉原一の花魁であることを証明する。


 今夜、初めて会う客は大層な身分を隠したお忍びらしい。一度大金を払ってもそれは前金として、逢花は顔さえ見せず・・・・・・ましてや座敷に上がらせるなどしたこともなかった。

 他の廓の気位の高い花魁であれば二度顔を見せて大金を叩かせ、三度目でようやく客の願いが叶うというが、この金月楼きんげつろうは大層話が違って身体を売らず芸や心を売り、そのなかでも逢花おうか花魁はある噂によって吉原一の花魁になった。


 その噂を知ってか知らずか一度目でどれほどの大金を注ぎ込んで自分の座敷に上がるその客に逢花は俄然興味が湧いた。

 下手を打ってはいけないと思いつつも、好奇心は抑えられない。


「顔を上げよ」


 品を感じる男の声に逢花は身構えた。これまでも武家や紅毛人、南蛮人、黒船の賓客を相手にしてきたが、それとは格が違う、高貴な身分だと肌で感じた。


「今世の名は逢花おうか、逢花花魁でありんす」


 逢花は顔を上げ、艶やかに微笑んだ――がその顔は一瞬時が止まった。


 小汚い修行僧のような出で立ちに対して不釣り合いな容貌。美しい濡れ羽色の長い髪の先を紫の紐で結び肩に下ろし、切れ長の目は妖しく光り、白粉を塗った肌のようだが粉っぽさはなく透明感があることからそれが本来の色とあれば目を見張るものがある。袈裟から覗く手足はすらりとして、背の高いわりにひょろりとしている。

 これまで数多の男を客にとったが、その中でも目を惹いた、紅毛人の客が息子自慢しに連れてきた碧眼紅毛の美青年と並ぶ美しい男だ。紅毛人が華美であるならばこの男は妖艶な美しさを持っている。


 しかし、逢花はその容貌に驚いたのではなかった。


 ど、どうしてあんたがここに。


 その言葉は喉元でひっこめた。なぜなら、男はまだ逢花を昼間の人物と同一人物・・・・であると知っているはずがなかったからだ。


 座敷に上がり隣に座った男を逢花は警戒する。


「どうかしたか?」


「い、いえ主さんがこれほど色男だと緊張しちまいまして」


 逢花は慣れた手つきで男に盃を渡し、酒を注いだ。男は口元に盃を持っていき、上品な所作で呑む。その姿に逢花は見惚れてしまった。

 顔は極上ね。


「嬉しいね。昼間は悲しいことを言われてしまってね。なよっとした身体は江戸の男らしくはないって、まあ江戸の男ではないけれどその言葉が心に留まっていてね」


 客が入れば自信に満ち溢れていた逢花の口元が引きつる。

 それは昼間、自分が彼に放った言葉だったから。もちろん彼を貶して言ったわけではない。江戸の男らしからぬ容貌と修行僧のような出で立ちから推測して、ただ口にしただけだった。


「へ、へえ。なあに、男の色っぽさは江戸の男だけじゃありんせん」


「ははは、君は良く分かっているね。に教えて欲しいもんだ」


 男の反応から逢花が昼間のであることを疑ってはいないようだ。


「そうそう、あちきほどの女の目に適う男なんてそうそうおりんせん。ほら主さんもっと酒を呑みんしょう」


「うん。いただこうか」


「ささ、どうぞ」


 逢花は近くに置かれている膳から酒瓶を取ろうと身を捩った。

 すると、男は逢花の脇に腕を潜らせ顔を近づかせた。逢花は驚いて男を見上げる。


「やはり、近くで見ると美しい花だな」


「え?」


「花に逢えば花をたし、月に逢えば月をたす」


 男は禅僧のような言葉を口にする。

 花に逢ったらその花を一心に観賞しよう。

 なぜ月まで言ったのか、それは自分に向けたのだと気付いて逢花は恥じらう花のようにしなりと目を伏せた。


「なるほど、美しい花だ。なら良く味わうことにしよう、なばな・・・


 昼間に自分が教えた偽名を男は満足気な顔で言った。


寒月かんげつさん」


 つい、彼の名を口にしてしまった。


「吉原の花 逢花おうか、花の名は菜花なばなか。うん、金色の着物が良く似合う」


 偽名に込めた真意に寒月は気づいただろうか。逢花は菜花・・に隠した彼へのあてつけをいまさら後悔した。

 もう二度と逢うとは思っていなかった。すぐに旅に出るのだとばかりに、たまにある逢花の人を馬鹿にした皮肉が口を滑ったのだ。

 

 それに、逢花は楼主から大層な身分のお忍びと聞いていたけれど、たしかに彼の身分は大層であると推測したが、それは実家に戻ればの話で昼間の彼にはそれほどの金目の物を持っているように見えなかった。

 なんの目的があってここに来たのか、逢花は寒月を訝しむ。

 しかし、彼の妖光を放つ目は笑みで閉ざされた。


 逢花の背筋に悪寒が走り、嫌な予感がした。

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