1-01  始まりの朝

 一般の人々によって口承される噂話――――『都市伝説』。


 多くの奇々怪々の街談巷説の中で現在、僕の住む『水影市』の学生たちの間で

 秘かに囁かれているものがあった。


『――――この街に魔法使いが潜んでいる』


 何処から発生したのかどうやって広まったのか不明なこの話は当然、

 同じく水影市内の大学に通う僕の耳にも入っていた。


 だがその時の僕は知る由もなかった。

 その噂が本当で、魔法は僕の傍にありふれていたことに。



 その日、僕は一年間通い慣れた大学の帰り道だった。

 普段通りの時刻に普段通りの順路。


 いつも違ったのは誰一人としてすれ違う人がいなかったということくらいで、

 特段変わった様子はなかった。

 しかしそれが僕の運命の分かれ道だったことは紛れもなかった。


「――――」


 僕は自身の鼓動が跳ね上がると同時に自身の吐息が漏れ出た音を聞いた。

 目の前の街灯の下には美しい女性の死体。


 オレンジ色の独特な電灯に照らされた女性の腹部からは多量の血が出血として

 流れ出し、地面を発色の良い紅色へと染めていく。


 歳は二十代前半から後半といったところだろうか。

 美しい金髪の間からは整った鼻梁や艶のある艶かしい唇が垣間見えその人物の

 明瞭さを物語っていた。


『あら貴方――――どうしてこんなところにいるのかしら』


 彼女に駆け寄ろうとする僕に、目の前の暗闇から出てきた人物が語り掛ける。

 咄嗟のことに僕は足を止め視線を移す。


 僅か数メートル程しか離れていないはずの距離で見えるのは胸元から下のごく

 一部分のみで、顔は見えない。しかしその声色から女性であるということは

 何となくだが理解できた。


『私を追いかけてきた彼女の仲間、という訳ではなさそうね。

 そもそも君からは何の魔力も感じない。只の一般人か』

「ッ――――!?」


 数瞬の後、僕の腹部に痛みが走る。

 内臓が損傷したのか叫び声よりも先に口から吐血し呼吸もままならなくなる。


『ふっー、貴方も不運ね。まさか人よけの結界内に迷い込んでくるなんてね』


 すると彼女は地面に横たわったままの死体を一瞥する。


『それじゃあね、リリスまたね』


 その言葉を最後に闇の中の彼女は姿を消す。

 と同時に僕はその場に膝から崩れ落ち地面に伏した。


「ごぶっ…………こひゅー」


 胃から逆流した血液が口元から漏れ出し呼吸をするたびに空気が漏れ出た音を

 響かせる。


 どうやら何かしらの方法で腹部を貫かれたらしく、流れ出た血が街灯下の

 女性のものと混ざり合う。


「――――ぁぅ」


 すると何処からともなく声が聞こえてきた。

 それは死体だと思っていた眼前の女性からの声だった。


「すま、ないな青年。どうやら巻き込んでしまったらしい――――」

「――――」


 僕は彼女の言った言葉の意味が分からずただ静かに彼女に視線を向ける。

 視界が下がったことで僕の瞳が彼女の双眸を捉える。

 すると同時に彼女は地面にベタリと突っ伏すと僕の手を握る。


「だがこれも何かの縁。私の魔力、君に譲ろう」


 彼女の手に力が入る。

 が、既に僕は腹部の出血による痛みで意識が朦朧とし体中の感覚がマヒしてきて

 いたせいか、彼女の温もりはもう感じなかった――――。



    ◇



 次に僕が目を覚ましたのは、自室のベットの上であった。


「…………ッ」


 窓の外から差し込む日の光と時計のアラームにより目を覚ますと、掛布団を放り

 出しながら飛び起き、まるで海面から顔を出した時の様目一杯に口から酸素を

 取り込んだ。


「ハァハァハァ――――」


 そうして呼吸を整えることしばらく。

 僕は夢で開いた風穴を確認するかのように腹部を弄ってみる。


 だが、そこには傷口はおろか、あれだけ鮮明だった痛みや出血による生暖かさは

 微塵も感じ取れなっかった。


「傷がない――――まさか夢だったのか?」


 にしては随分とリアルだったな…………なんて思いながら額に掻いた汗を拭い

 ベットから起き上がる。そして顔を洗うために洗面台へと向かう。


 するとそこで初めて、微かではあるが水の流れる音が聞こえてくるのに

 気が付いた。


「(なんの音だ?)」


 僕は恐る恐る洗面台への扉を開ける。

 すると案の定、聞こえていた水の音は大きくなった。だがそれは洗面台から

 聞こえていたものではなく、お風呂場から聞こえていたものであった。


 最初は水の配管が緩んだかで水が出しっぱなしにでもなっているのかと思ったが

 そうではない。お風呂場からは擦りガラス越しだが確かに何者かの気配がする。


 しかし僕は一人暮らしの貧乏学生。

 同棲する彼女はもちろん、ルームシェアをするような友人はいない。


「(まさか不審者か――――?)」

「(どうする、このまま出てくるのを待つか。それともこのまま警察に

 電話するべきか?)」


 自慢ではないが、僕はまだ成人ではあるものの二十歳になっていないので、

 お酒もまだ飲んだことがない。だから記憶がなくなるまで泥酔し、無意識に

 自宅に人を連れ込むなんてことにはならないはずなのだ。


 と、そうこうしているうちにシャワーの音が止まる。


「(まずい!)」


 僕は焦りからか急いで洗面所を後にしようとする。

 しかし、運の悪いことに僕の着ていた服の裾が扉の取っ手に引っかかりその場で

 盛大に転んでしまう。


 ガンッ――――!


「痛っッ!!」


 廊下側の壁に頭を強打し、視界が歪む。

 と同時にお風呂場から出てきた一人の少女と目が合った。


「…………」

「……………………」


 一瞬、時間が止まったような感覚と共に脱衣所に静寂が訪れる。

 しかしすぐに目の前の少女により無言が破られた。


「大丈夫かい青年?」


 彼女はタオルで身体を拭きながらなんてことはないと言わんばかりに

 こちらを見つめ、その整った顔立ちで嫣然と微笑む。


「わ、悪い、覗くつもりじゃなかったんだ!」


 あまりにも現実離れした現状に、数多の処理が追い付かずどういう訳か謝罪が

 口に衝いた。


 それに対し少女は怒ることも恥じることもなく着々と着替えを済ませていく。


「別に構わないわよ。私の方こそ勝手に風呂を借りて済まなかったね」


 すると彼女の着替えていく服装を見て僕は先ほど夢で見た美しい女性を

 思い出した。何故なら少女が身に着けているそれは、紛れもなく夢で見た彼女と

 同じ服装であったからだ。


「君は一体――――?」

「おや、もう忘れてしまったのかい」


 そう言うと彼女はぶかぶかのシャツに身を包んだ状態でこちらへと振り返る。


「私の名は夏目リリス、君を助けた魔法使いだよ――――」

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