小森の花嫁
津多 時ロウ
一
曾祖母が死んだ。
上司から押し付けられた終わらない残業。
薄い罪悪感と共に中座してスマートフォンの通知を眺めていたとき、丁度、母からメッセージが届いたのだ。
『お婆ちゃんが死んじゃった』
簡潔に書かれた内容にかえって母の動揺を感じた私は、誰もいない職場に別れを告げて、急いで帰宅した。
最期を看取った祖母からの電話には母が出たらしい。
そしておろおろしながら私にメッセージを送ったのだ。
お婆ちゃんだけでは誰か分からないと、私が家に帰るなり聞いたことで、母は少し落ち着きを取り戻した。
もう30年弱、母の娘をしているが、こういうときの母はどうにも頼りない。
もっとも、200歳まで生きるのではないかと言われていた、あの優しい曾祖母が亡くなったことに、私も少なからず動揺しているのだが。
「あ、
居間で軽く食事をとりつつ、母から通夜式と葬儀の予定を聞く。そして仕事のスケジュールを確認していると、父が奥から出てきていつもと変わらぬ様子で言ってくれた。
お父さんは悲しくないの? と私が問えば、「もちろん悲しいさ。でも、
――それが昨日の夜のことだった。
私たちは今、父の運転で東へと向かっている。
納棺が行なわれる母の実家は、東北地方の小森と言う
自宅にほど近い
つまり、自宅から5時間弱の長い長い車の旅なのであった。
私たち家族の気持ちに遠慮しない群青の空の下、平日の圏央道はそれなりに交通量はあるものの幸いにして渋滞はしておらず、スタートは順調。後部座席の窓から外を見れば道路のすぐ上には、私の気持ちを表したかのような空気の層が見えるが、文明の利器、クーラーの仕事も順調である。
車内にはほぼ会話がなく、窓ガラス1枚を隔てて、私は何やらふわふわと世界から浮いているような感覚に囚われた。いやに現実味がない。本当は夢を見ているのではないだろうか。
……現実味がない。
コンクリートで固められた
「僕と結婚してくれないか」
3年間付き合った同年代の恋人からそう告げられたのだ。
私は、
「検討させて」
と素っ気なく答えた。
別に彼のことが嫌いなわけではない。同じ会社に勤める彼の評判は優秀ではないが悪くはない。給料も年相応に貰っている。性格も言動も
けれど、ピンとこないのだ。
響かないのだ。
どれだけ言葉を交わしても、どれだけ体を重ねても。
確かに好きであることは間違いない。一緒にいると幸せな気持ちになれる。瞳の奥を見つめたくなる。その唇に、肌に触れ、体温を感じたくなる。
けれど、
けれども、
触れれば
結婚という儀式を行なうことで、もし私が違和感の正体に気付いてしまったら――
恐いのだ。
彼のすべてを知ることが。
私のすべてを知られることが。
「
東北道に入っていたことも分からなかった私の耳に父の声が優しく響く。
ふと空が視界に入れば、遠くに雨雲の気配を感じた。
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