エピローグ

1・モフモフ野郎、反省する

 あの暴風雨の日から1週間が経過した。

 降水確率0%からいきなり発生した局地的なゲリラ豪雨は、全国的に話題となり、SNSでは「地球温暖化のせいだ」「都心のビル乱立のせいだ」「某国の陰謀だ」などと好き勝手なコメントがあふれかえった。

 当然、尻尾を生やした大賀の動画もそれなりに拡散された。けど、こっちはあくまで「豪雨に立ち往生するコスプレーヤー」的な、おもしろ動画としての扱いだった。おそらく、あの場で神森が機転をきかせて叫んだ言葉が、うまく作用した結果だろう。

 とはいえ、それでめでたしめでたしとなるわけがなく、あのあと大賀は関係者にかなりがっつり怒られたらしい。

 そりゃそうだ。感情をセーブできなかったせいで、大勢の人たちに迷惑をかけたんだから。


「ていうか、お前は俺が倒れた理由を『坂沼のせい』って決めつけてたみたいだけどさ、俺、そんなこと一言も言わなかったよな?」

「──まあ、そうだな」


 となると、お前は勝手な推測のもと本社に向かったというわけだ。それも、はた迷惑なゲリラ豪雨を引きつれて。

 俺の指摘に、大賀は「面目ない」とうつむいた。


「あのときの俺はどうかしていた。明らかに理性を失っていた」

「それな。こっちはマジでびびったっての。お前ってもっと冷静沈着なヤツだと思ってたのに」

「自分でもそう思っていた。だが、まだまだ修行が足りなかったようだ」


 大賀が肩を落としたところで、炊飯終了のアラームが鳴った。

 さっそく炊飯器のふたをあけると、炊きたてのごはんの甘い香りが台所いっぱいに広がった。大賀の尻尾が、期待するようにゆらりと左右に大きく揺れる。


「まだだからな。握るのは蒸らしてからだ」

「──わかった」


 そう、俺たちは今、久しぶりにふたりで台所に並んでいる。あの豪雨のなかで交わした「おにぎりを作る」という約束を果たすために。


「具材は何がいい? 梅、鮭、ツナ──」

「ツナが食べたい」

「そう言うと思った」


 まずはツナ缶をあけると、蓋を使って油を切る。で、マヨネーズと隠し味に醤油を少しだけ投入。マヨだけでもいいんだけど、俺はちょっぴり醤油を加えたほうが好きなんだ。

 続いて俺用のおにぎりの具材だけど、こちらは塩分6%のはちみつ梅を用意。本当は実家で毎年漬けている塩分20%のが好みなんだけど、少し前に全部食べきってしまったんだよなぁ。

 味噌汁は、インスタントのわかめの予定だけど、それだけだと物足りないから冷凍しておいた長ねぎと油揚げを加えよう。

 それらの準備をひととおり済ませたところで、俺は炊飯器のごはんをボウルに移した。

 いつもはこのあとすぐに握ってしまうんだけど、今日はサービスでいりごまを振りかける。ざくざくとしゃもじでかき混ぜていると、大賀の尻尾がまたもや左右に揺れた。この揺れ方は、単に「完成が楽しみ」というのとは違う。もう少しソワソワしたような、こいつにしてはどこか落ち着きがないような──


「お前のエプロンなら、後ろのカゴのなかにあるぞ」


 揺れていた尻尾が、ぴたりと動きを止めた。


「いいのか?」

「べつに。好きにすればいいだろ」

「では、お前の分のおにぎりは俺が作ろう」

「いいけど、べちゃべちゃなのはごめんだぞ」


 うちを出ていくときに握ったような、ああいうやつは勘弁してほしい。

 俺の訴えに、大賀はむっと唇を尖らせた。


「お前が教えてくれれば、うまく作れるはずだ」

「ああ、そうかよ」


 しょうがねぇなぁ。

 まあ、料理の腕前は俺のほうが上だもんな。


「それじゃ、これが焼きのりな」

「ああ」

「ツルツルしてんのが表、ザラザラしてんのが裏」

「……なるほど」

「で、こっちのお椀に入ってんのは塩水。くれぐれも手につけすぎるなよ、ごはんがべちゃべちゃになるからな」

「わかった」


 さて、実践。

 まずは、ボウルの塩水を中指ですくって、てのひらに伸ばす。しつこいようだけど、つけすぎは絶対にダメ。たぶん「足りないかな?」くらいがちょうどいい。

 ごはんは、普段のおにぎりよりも敢えて多めで。高校球児が食べるような「いかにも」なデカいやつにしたいから。


「熱っ」


 ちなみに、これが弁当用なら必ずラップの上から握る。直接手で握るのは、衛生上よろしくないから。

 具材の醤油マヨツナはたっぷりと。これも今回はサービスってことで贅沢に。

 あとは、力をこめてグッグッと。本当はふんわり握ったほうが、口あたりがやわらかくてうまいんだろうけれど、大賀が食いたいのは、たぶん合宿のあのかたいおにぎりだ。だから、今回はこれで良し。

 と、ここまで考えたところで、あの屈辱的だった「おにぎり作りの思い出」が、いつのまにか俺のなかで「単なる過去」になりつつあることに気がついた。

 マジか、嘘みたいだ。少し前までは「二度と思い出すものか」って、何度も歯ぎしりしていたのに。


(何がきっかけだったんだろうな)


 時が流れたから? あのときより、もっとひどい出来事が起きたから?

 それとも、こいつがいろいろ気づかせてくれたから?


(それはそれでなんか釈然としない──けど)


 ちらっと隣を見ると、大賀は真剣な顔つきでおにぎりを握っている。あれだけ「塩水は少なめに」って伝えたのに、手は濡れてびしゃびしゃ、当然おにぎりもボロボロだ。

 お前なぁ、それを食うのは俺だぞ。

 交換するの、拒否するぞ。

 けれど、エプロン姿の大賀が、デカい図体を丸めて必死に米粒を固めていることになんだか毒気を抜かれてしまって、結局は「まあ、いいか」と許してしまうことになりそうだ。

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