春に狂(くる)う

転生新語

プロローグ

 男女だんじょちがって、女子同士どうしが愛し合えば、その行為は長時間ちょうじかんとなる。射精すればわり、という男のセックスとは違うのだ。小休止しょうきゅうしはさみながら、後輩である少女の体を私はむさぼり続けていて、頭の中では別の事を考えていた。少し集中力が切れたのかも知れない。


 今は三月で、お彼岸ひがんがあったからか、ぼたもちおもが頭に浮かんだ。お彼岸ひがんの時期は三月と九月で、春の供物そなえものあんで作られたぼたもち、秋の供物そなえものつぶあんで作られたというのが一般的らしい。まあこまかい事はどうでもいい、こういう些事さじが気になるのは職業病しょくぎょうびょうなのだろう。


 とにかく、ぼたもちというか、お彼岸ひがんの話だ。たいしたおもではくて、母親から「仏壇ぶつだん供物そなえものを置きなさい。ご先祖せんぞさまよろこぶから」と毎年、私は言われ続けて。その指示に私は一回もさからわなかったが、納得した事は一度も無かった。馬鹿馬鹿ばかばかしい、ただの迷信めいしんではないか。


 世の中には迷信めいしんとしか思えない文言もんごん数多かずおおくあって、『人と人はかりえる』というのも、その一つだ。そんなわけいだろうと私は思う。かりえるのなら何故なぜ、世界から戦争がくならないのか説明してほしい。


「何? かんがごとぉ……?」


 私のしたで、あまったるい声で後輩の少女がいかける。つい手が止まってしまった私をめていて、おびに私は動きを再開した。うれしそうな声を出して、彼女は裸体らたいねさせる。


「何でもないよ。貴女あなたいても理解できない事だから」


ひどぉい……」


 ひどいと言いながら、彼女の中にはよろこびしかい。この後輩こうはい少女のおろかしさが私は好きだった。彼女は私の事を理解しようとしないし、私も彼女の内心ないしんを理解しようとは思わない。結局、人は自分の主観しゅかんを押し付け合って生きているのだ。それが私の考えだった。

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