契約があったとしても


 同じ頃。



「……ソフィー様、その……」


 ユリウスは部屋の中を見回す。

 リブニッツ伯爵家、屋敷内の小さな控室。


 使用人が全員出払ったのを見て、ユリウスは鏡の前に立つソフィーへそっと話しかける。


「あら、もう様付けはいいじゃないの。夫婦になるのよ」

「そんなこと、言われましても……それに夫婦と言っても……」


 これは政略結婚、いや契約結婚だ。

 だから、ユリウスには結婚するという実感が、ここまで来てもまだ、なかなか湧いてこない。



「……もしかして、あたしとの契約のこと気にしてる?」


 ……!

 痛いところを突かれたような気がする。


 ユリウスはどんな顔をしていいかわからなくなり、ソフィーに目を向けた。


 

 ――そのソフィーは、相変わらずの余裕たっぷりな顔つき。


 緊張とかしないのか。そうユリウスが思うぐらいには、ソフィーの立ち振舞いは今までと全く変わっていない。



 ……底知れないとは、こういうことなのか。


「それは……そうですよ。いくら望まない結婚だからって……」


 

 契約。


 ユリウスが、伯爵家からの急な結婚の申し出を受け入れたのは……いや、大人の意向とあらば受け入れざるを得なかったのだが、自分でも決心がついたのは、ソフィーと交わした二人だけの秘密の契約があったからだ。


 少なくとも、ユリウスは一切口外していない……使用人にも、両親にも、もちろんシャルにだって……そんな契約である。


 これから結婚する二人が交わすものとは、思えない契約内容。


 それも、結婚を申し出たはずのソフィーから出てきた提案だ。



 ……はあ。

 未だにユリウスには、ソフィーという人間が全くわからない。


 貴族の付き合いで、世代の近い顔見知りの女子は数人いる。

 けど彼女たちとは全く違うのだ。


 彼女たちが世間話にキャッキャッとしている中で、それを上から見下ろしているような。


 頭の中の考えがわからないという意味ではシャルもだけど、彼女ともまた違う。


 年の差以上に、目の前の女子とは差がある……ユリウスの直感がそれを脳内に刻みつけていた。



「……いいじゃないの。あなたにとっても良い話なのだから。だから、承諾したのでしょう」


「……」


 そうなんだけども。


 自分はこれで嬉しい。正直、無性に身体を動かしたくなるぐらいには嬉しい。誰にも言わない、言えないけど。



 でもシャルなんかには比べるまでもなく、それほど良いわけでもないユリウスの頭でも、交わした契約の不思議さはわかる。

 ソフィー様、あなたはそれでいいのか……?

 



「ユリウス様、ソフィー様、そろそろでございます」


 男爵家使用人の声がする。


「さあ、今日はあたしたちのために用意された場。パーティーの主役よ? 楽しみましょう」

 そう言って部屋の入口に進み出るソフィーは、白いレースが長く伸びるドレス姿。

 普段のツインテールではなく、真っ赤な髪を下ろしてドレスの白と色を調和させている。


 その横顔が浮かべた笑みから、ユリウスは目を離すことができなかった。



 あの笑みには、なにか意味があるような……

 


 ***



「ユリウス様、ソフィー様、ご入場でございます」


 その声に、大広間の全員の視線が一点に集中する。楽器奏者によって紡がれていたBGMが変化する。

 付き合いのある貴族と談笑していたモーリスも、それに耳を傾けながら珍しい野菜を使った料理を味わっていたシャルも、声のした方向を見つめる。


 直後、大人の背丈の倍以上はある大きな扉が開き、パーティーの主役である二人が入ってくる。



 さて、シャルは貴族の婚姻の儀に参加したことはない。ついでにいうと、野乃だった頃の前世も結婚式に行ったことはない。


 だから、実際の見た目以上に、正装に身を包んだ新婚の二人は新鮮で、綺麗に見えた。


 紺色の礼服をきっちりと真っ直ぐ着たユリウス。

 エルビットと遊んでるときの彼からは、想像もつかないほど大人の顔つき。


 白いドレスと赤い髪がよく映えるソフィー。

 こちらも14才とは思えない落ち着きぶりだ。

 

 ……大学生だった前世のわたしでも、あんな顔できないぞ。

 それとも、ウェディングドレスというのは、こうも人を変えるのか。



 ――いや、あるいは。

 結婚するということは、こういうものなのだろうか。


 

 自然に手を繋いで、大広間の中央をゆっくりと歩く二人。


 今この瞬間、二人よりも幸せな人間はきっといないだろう、そうシャルは思ってしまった。


 

 ……特にユリウス。

 ソフィーよりほんの少し先を歩いて、エスコートするように歩を進める姿は……例え、左足と左手が同時に前へ出ていても……かっこよかった。


 ユリウス様をかっこいいと思うことがあるなんて……これは、なんて魔法?


「お父様。お二人の衣装も、商会で用意したのです?」

「ユリウス様の方はな。ソフィー様の方は、多分伯爵家お抱えの服飾師の物だろう。……なんだシャル、気になるのか?」


「いえ。……素晴らしい衣装だったもので」

「そうか。ああいうの、着たくなったか?」


 シャルが横を向くと、モーリスがニヤけているように見えた。

 ……なんで?


 

「ユリウス様、ソフィー様、この度はおめでとうございます」


 大広間の一番奥の席に腰を下ろした二人に近づき、他の参加者同様にモーリスとシャルも改めて言葉をかけに行く。


「……モーリスさん、ありがとうございます」


 ユリウスの皿には、たっぷりと乗ったステーキとパン。

 食べるのに夢中だったユリウスが、モーリスの言葉に反応するまで少し間があった。


 慌ててユリウスがナプキンで口を拭うと、パンくずが皿の上にいくつかこぼれ落ちる。



 ……うん、いつもの元気なユリウス様だ。

 貴族とはいえ11歳になったばかり。わんぱくでよろしい、とシャルの中の20歳の野乃が反応する。

 日本ならまだ小学生男子だ。美味しい料理を目の前にして食欲が出ないわけがない。



「ユリウス様、ソフィー様、おめでとうございます」


 モーリスの陰から出てくるようにして、シャルも笑顔の表情を作る。


 

「……ああ、シャル……」


 ユリウス様、なんだかさっきから顔が赤いな。

 リコピナスの熱々スープを一気食いでもしたかな?


「……ありがとうな。……来てくれて」

「ユリウス様には、弟ともどもお世話になっておりますので。それに、ペリランド商会の娘として、セーヨンの街が変わるかもしれないこの機会に立ち合わないわけにはいきません」


 それに、ベース法を広める機会にもなる……とまでは、さすがに口には出せなかった。


「……ああ……」

 シャルの言葉に対して、ユリウスは何か言いかけて……口が止まる。


「……ユリウス様?」

「いや、なんでもない」



「……ふふ、二人はやはり仲が良いのね」

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