chapter2-1:魔性の女

仕事終わり、人気の酒場。

明日は休みだし、ちょっと飲み過ぎても問題ないだろう。

いつもの料理に、少し度数の高いお酒を並べて。

喧騒を聞きながら、ゆっくりと嗜む。

お酒が脳に回ると、ふわふわと。

全て考えなくていいような心地になるから。

全てを忘れられるような気がするから。

でも。

一番忘れたい感情だけは、忘れられないのだ。

「こんばんは。お嬢さん」

柔い思考回路の中に、刺すような声。

グラスから口を離して、声の主を見てみると。

「隣り、いいかい?」

白銀の長い髪をたおやかに揺らし、ふわりと微笑む紫目の女性が立っていた。

その目に、視線が釘付けになってしまったので。

「えぇ、どうぞ」

そう言って、相席を許可した。

「ありがとうね」

席なんて、他にも空いてる。

わざわざ私の隣りに来た理由なんて分からないが。

「どうしたの?悩み事?」

席について、開口一番。

「……悩み事っていうか……考え事と言いますか……」

思考を読み取られたのではないかと、錯覚するほどに。

随分と的を得た質問だった。

「お姉さんに話してごらん?楽になるかもよ?」

そう言って、彼女は笑う。

全てを見透かすような、紫の瞳。

「実は……」

考えるよりも、口が先に開く。

「私、職場の上司が……好きなんです」

「あら。いいじゃん!」

「でも、私の事をただの部下としか見てくれなくて…………」

グラスに残ったお酒を、一息に飲み干して。

「こんなにも、恋い慕っているのに……」

グラスと言葉を、テーブルに叩きつけるように置いた。

「行動に移したりは?」

「してます。華麗に流されるんですよ」

そもそも、流されなければ、ここまで悩んでないのだ。

「じゃぁ、いっそ思いきっちゃったほうがいいんじゃない?」

一番理解していたけど、どこかにしまい込んでいた自分の言葉が。

カラン と、氷が溶けるように、彼女の口から放たれた。

「君は可愛いんだし、勇気を出して、気持ちを伝えたら?」

真っ直ぐに射貫いてくる視線が痛いほどに。

「もしフラれたとしても、私が慰めてあげるよ」

氷のように、涼やかで透明な声。

「その者への恋心なんて、忘れちゃうくらいに、ね?」

手が伸びてきて、するりと触れられる。

火照った顔に、彼女の冷たい手が心地よかった。

頬を撫でられ、唇がなぞられて、顔が近づく。

白銀の長い睫毛が、紫の瞳に影を落としているのがよく見えた。

「フォォォォォルゥゥゥゥゥ!!!!」

酒場の喧騒を劈く、大きな声。

慌てて入り口の方を見やれば。

「え、い、インズイさん?!」

噂をすればなんとやら。

インズイさんが、肩で大きく息をしながら、私達の方を見ていた。

「あぁ……君……」

二色の瞳が、心配そうに細められ。

「やっぱりか…………」

そう言いながら、彼女の方を見た。

やっぱり。とは、どういうことだろうか。

「あぁ!君、インズイんところの部下ちゃんか!!」

対して彼女は、いつの間にか私から手を離し。

満面の笑みでお酒を煽り。

「じゃぁ、可愛いに決まってるわ!!そりゃそうだ!!」

流れるような動作で、また私に触れてきた。

思い出した。

〔君みたいなかわいい子は、あの子の標的になっちゃうからね〕

あの子とは、末妹の事。

つまり。

彼女が、インズイさんの妹。

ウーロック家四姉妹の秘匿されてる(と言われている)末妹。

……申し訳ないが、似てるところなんて、一切ないように見えた。

「そうやってお前は!!酔う度酔う度、女の子に声かけて手を出して!!」

インズイさんの手が、彼女の手をぱしり と払う。

「えー。可愛い子いたら口説くのは紳士の嗜みじゃん?」

「お前は淑女なんだよ。大人しくしろ」

傍から見たら。

私を取り合っているように見える。の、かも知れない。

他の客の爛々とした視線が、四方から注がれているのが肌で理解できるほどに。

「てか、私、インズイに言われたくないんだけど」

彼女は、子供のようにほんの少し頬を膨らませて抗議を始めた。

「この子、インズイが口説いたんでしょ?」

「声をかけた。な」

「で、思わせぶりな態度で揺さぶってるんでしょ?」

「いや思わせぶりではないよ。普通の対応じゃん」

あれが、普通の対応だというのか。

呆けた私。

「でたよ、魔性の女……」

呆れた彼女。

「その言葉、そっくりそのまま返すから」

呆れたインズイさん。

一体なんなんだこの空間は。

周りの者よ、見ているのなら助けてほしい。と、切に願うも。

私を挟んで姉妹は会話を続ける。

「第一、うちはフォルみたいに、手を出してない。清い関係」

インズイさんの手が、<そういう意味>で私に触れたことは無い。

だから、より一層、初対面でも<そういう意味>で触れてきた彼女の手が。

熱情的に思えてしまったのだ。

「上司と部下の関係だよ。それ以上でもそれ以下でもない」

秋の夜、冷え込んだ空気の温度の声。

心に、深く深く届いてしまった。

私だけの片思いだって、分かっていたはずなのに。

「じゃぁ、私がこの子に手を出そうが」

彼女の腕が、私を抱き寄せる。

雪のように冷たい肌の温度なのに、痛いくらいに熱くて。

「インズイには関係なくない?」

氷の視線が、射貫こうとするも。

「絶対ダメ。許さない」

即答。

それだけ私の事を、大切にしてくれているのか。

それだけ貴女にとっての、大切な部下なのだろうか。

「……何を嫉妬してるの?」

「…………。なんでだろうね」

複雑な表情を隠すように、インズイさんは私達に背を向ける。

その瞬間、長い髪が微かに頬を撫でてきた。

こういうところが、本当に。

無自覚だとしても、惑わせてくるからタチが悪いのだ。

「家の鍵は閉めるから。帰ってくるなら気を付けて。おやすみ」

それだけ言って、ゆらりと酒場を後にしてしまった。

「なんだよ……。へんなの」

彼女は、残っていたお酒を一息に煽り。

「君は、間接的にフラれちゃった感じだけど、大丈夫?」

また私に声をかけてくる。

確かに、あの状態だけなら、私は間違いなくフラれてしまった。

「フラれて無いですよ」

でも、違う。

「私の言葉で、インズイさんに思いを伝えてないですし」

自分の口から伝えなければ、意味が無いのだ。

「断られたらそれでおしまい。それだけです」

インズイさんの口から返事を聞かなければ、理由でないのだ。

「だから」

お酒を一息に飲み干して。

「貴女に何を言われても、私がインズイさんに言うまで、フラれて無いです」

涼やかな紫の瞳を、しっかりと見据える。

切れ長の目が、大きく見開いて。

「君、強いねぇー!!」

それから満面の笑み。

ばしばし とそれなりに強めな力で背中を叩かれた。

「恋する女の子は、本当に可愛いねぇ」

その手が肩に回って、抱き寄せてくる。

「強くて、輝いて、眩しいよ」

瞬きの音が聞こえてしまいそうなほど近く。

その距離まで、また顔が近づいて。

「宝石みたいだね」

どこまでも優しく、愛おしそうに微笑んで見せてくる。

その瞬間。

あぁ、『魔性の女』という名がよく似合ってる。と、直感で理解できた。

そしてそれは、何よりインズイさんの妹であることを裏付けていて。

「口説いてるんです?」

「うん!」

子供の様に、無邪気な笑顔と返事。

「手出しはしないから、もう一杯、付き合ってくれない?」

すぐに、大人の妖艶な笑みと誘い文句。

ころころと、表情も雰囲気も変わるんだな。

「いいですよ。えっと……フォル……さん?」

呼ばれていた名前を呼べば。

「フォルだよ。今後ともよろしくね」

ひらひらと蝶が飛ぶように手を振ってくれた。

「私はよくここに居るから、来たくなったらおいで?」

「会いに来ようとはしてこないんですね」

「立場上、それは無理な話かもね」

彼女は肩をすくめて、少し困ったように笑う。

秘匿された末妹は、仕事の立場上困るから。と言う事だったのか。

私の知らない部署が、まだまだ他にもあるんだな。

「君が今夜の事を秘密にしてくれるなら」

氷のように涼やかな声。

「お望み通り、会いに行ってあげようじゃないか」

酔う程綺麗な、言葉と熱視線。

数多の女性が頷きたくなる気持ちも、分からなくはない。

だが。

私の心は、生憎あの方だけのものなのだ。

「インズイさんに怒られますよ」

私の言葉で断るよりも。

こっちの方が効きそうだと思い呟けば。

「そりゃ困るな。やめておこう」

予想していた以上に、あっさりと彼女は引き下がる。

姉に敵わない妹。を体現したような口ぶりに、思わず笑ってしまった。

ただ、先ほどのインズイさんのの言葉が脳を支配する。

あれは、きっと。

〈私〉が〈フォルさん〉に盗られてしまうのを恐れているより。

〈フォルさん〉が〈私〉に盗られてしまうのを恐れているようで。

あぁ、そんなにも妹が大切なのか。

これじゃぁ、敵うわけないかもな。

「すみません。もう一杯、同じの良いですか?」

「お、行くねぇ!じゃ、私もー!」

酩酊の中に、置き去りにしてしまえたら。

そんな願いで、もう一杯。

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