chapter1-1:長女 サキネ

一つに結んだピンクの髪が揺れて、赤色の大きなたれ目が一度瞬く。

「で、今日の仕事はなんだい?」

子供のような懐っこさと、純真無垢な表情で。

上目遣いに問いかけてくる。

上司とは思えないその姿は、今だに慣れないでいて。

「早急に片付けたい仕事の後に、射撃場での訓練指導です」

手に持っていた資料を、彼女に渡す。

「了解だよ!」

資料を流し見て、一つ大きく息を吐く。

そして、きちんと止められたワイシャツの襟元。

わずかに見える、首筋に刻印されている紋章に手を当ててから。

滑らすように、地面に手のひらをかざす。

「開門せよ。ピアチューオ」

呪文を唱えれば。

視界一面をピンクの花弁が覆いつくす。

微かな花の香りと、視界の色が落ち着けば。

そこは夜の人間界、どこかの街の裏路地だった。

「場所は?」

先ほどとは違う、凛とした声色と表情。

赤色の瞳が輝いているのが、余計に恐怖を掻き立てた。

「この裏路地を出て、左、三つ目の曲がり角を左です」

平静を装いながら、返答。

「この辺りは袋小路の道が多いので簡単ですよ」

「そっか……まだ仕事あるし、早く終わらせようか」

ちらりとこちらを見やった瞳は、すぐに前を向き。

彼女は一人、ふわりと歩き出した。

「了解です」

その背を追いかけるように、自分も足を踏み出す。

悪魔たるもの、瞳が闇夜で輝くのは当たり前。

それゆえに、人間達は恐れおののき、恐怖に顔を引きつらせる。

けれども自分は。

春の日差しの暖かく柔らかな雰囲気から。

息をするのもままならないほどの凍える雰囲気になった。

その温度差が、酷く恐ろしく思えたのだ。

「居た。あれだよね?」

思考を巡らせていると、そんな声がかかった。

「え、ええ。アイツです」

突然声をかけられて、驚いたが。

そもそも、仕事中に関係のないことを考えるのが悪い。

自分を落ち着かせるように、納得させて、返事をする。

「あ、こちらに気づいたみたい……ですかね……」

男が、逃げようと背を向けたのが先か。

「逃げるのは、だめだよ?」

サキネさんが、武器を取り出したのが先か。

彼女が首元の紋章に手をかざしてから、制服のジャケットを翻すと。

数多の銃が宙を舞う。

「約束は、ちゃんと守ってね?」

その銃口が、全て男の背を捉えた。

「全砲門、斉射」

弾丸は、容赦なく男を貫く。

僅かなズレもない〔たった一つの銃声〕で、男は肉塊と成り果てた。

「よしっ!おーわり」

大きく伸びをして、無邪気に言う。

「あとは、さくっと魂持って帰ろうっか」

肉塊を踏みつけながら進み、本来の心臓の辺りを掴んで。

鮮血滴る『魂』を抜き取った。

「これは……まぁ、放って置いてもいいよね?」

振り返り、困ったように微笑んでくる。

その一連の流れを、ただただ見ている事しか出来なかった。

「……どうしたの?」

スラックスの裾が汚れるのなんて気にせずに。

ぺちぺちと血濡れの地面を歩いてきて、自分の顔を上目遣いに覗き込んできた。

光る赤色の瞳。

先ほどまでの行動に対する恐怖心か、彼女に対する劣情か。

「いやっ……容赦ないんだなって……思いまして」

見つめきれなくて、目を逸らしてしまった。

「容赦あったらダメじゃん」

何を当たり前のこと。と、言うように。

満面の笑みでからからと笑ってみせてくる。

「でも……」

一度視線を伏せて。

「うちはこれでも、優しい方かもね」

再びこちらを見て笑う姿は、少し困ったようだった。

「閉門せよ」

路地裏に『魂』を掲げて呟けば、ドアのような黒いだけの空間が現れる。

そこを一歩くぐれば、もうラプラスだ。

「自覚があるんです?」

「あるっていうか……相対的っていうか……」

会話を止めないように。

『魂』を引き渡し、手続きと書類を片付ける。

「末二人の妹達の方がとんでもないから……」

ペンを持ったまま、また困ったように微笑んでみせた。

なるほど。

先ほど見た表情は、妹に手を焼く姉の表情だったのか。

ぽつぽつと雨が降るような会話を交わしながら。

何本か道を曲がれば、練習の銃声が響く射撃場。

「おう!ようやく来たか」

そこに待機していた先輩が、自分達を見つけ、駆け寄ってきてくれた。

「予定よりちょっと遅くないか?」

口の端から、タバコの煙が零れ落ちる。

「すみません。前の仕事がちょっと引き継ぎうまくいかなくて……」

苦言を零した自分。

「え?あれでうまくいってなかったの?」

心底不思議そうに首を傾げたサキネさん。

「相変わらずだなぁ!サキネさんは!!」

豪快に笑った先輩。

「え?あ、うん!そうだよ!いつものうちだよ!」

何を言われたのか分かっていないけど。

それでも否定することなく、先輩の言葉にそう返したのだった。

「こんな感じの性格なんだ!慣れてくれ!」

「は、はぁ……」

呆けた自分を置いていくように、先輩とサキネさんは歩いていく。

「おまえらー。サキネさんの登場だぞー」

先輩の声に、射撃場に居た者たちは、全員手を止めた。

「やめてよー。うちそんなに大したことできないってばー」

照れたように笑いながら、サキネさんはレプリカの銃を手に取る。

「訓練とか教えるとかって言ってもさー…………」

顔だけをこちらに向けたまま、引き金を引いた。

「教えることなくない?」

一切ブレることなく、弾丸は的の中央へ。

それをどうやるのか教えて欲しいんだ。

しかし、言い出せるわけもなく。

何とも言えない空気の中、彼女は銃を置いて。

「みんなちゃんとできてるんだから、それでいいじゃん!」

ニコニコと、自分たちの事を褒めてくれたのだ。

褒めてくれるのは悪くない。

可愛い子に褒められるのなら尚更だ。

が、訓練指導にしては、あまりにも足りなさすぎる。

「サキネさん」

「おん?なんだい?」

それを分かっていたのか、先輩は。

サキネさんに、おもちゃのような小銃を手渡し。

「この銃で、アレ撃ってくれません?」

この射撃場で、一番遠くにある的を指した。

「いいよ!」

満面の笑顔で、即答。

相当な自信が無ければ、できないことだ。

「だから、構えて、撃つ」

先ほどと同じように、流れるように引き金を引く。

迷いなど、一切なかった。

「これだけだよ?うちに教えられる事なんてないんだってば」

ピンクの髪がゆっくりと翻り、こちらを見てまた笑うのだ。

その動作は、あまりにも≪強者≫のもので。

「だから!!それが出来たら!!苦労しないんですってば!!」

心の底から叫んでしまった。

「えぇ?!何言ってるか分かんないよぉ…………」

彼女は困惑し、今にも泣きそうになりながら縮こまってしまう。

「あぁ!違うんです!!困らせたかったわけではないんです!!」

必死になだめ、弁明したところで、ようやく落ち着いてくれた。

タイミングをうかがっていた他の者達が、彼女に質問攻めを。

その隙間を縫うように。

邪魔にならないよう、少しずつ後ずさり、何とか中心から抜け出した。

「困らせるなよ」

こちらの様子をずっと見守っていた先輩は。

タバコの煙と苦笑いを浮かべ、軽く頭を叩いてくる。

「す、すみません……」

「まぁ、ああ言いたい気持ちは、痛いほど分かるがな」

その手は、乱雑ながらもわしわしと撫でてくれた。

「天才がゆえに、考えずにやるタイプなんだよ」

ふいに言葉が途切れ、代わりに一つ息を吐き。

「俺らとは、そもそも立ってる場所が違うんだ」

言い聞かせるように、言葉を紡ぎなおした。

自分を見ているはずの目は、何も見ていない。

諦めた【人間】の目と同じで。

「なんというか……。銃扱ってる時だけ、別人格なんじゃないかって思いますね」

「それはわかる」

しかし、それも一瞬。

すぐにいつもの先輩に戻ってくれた。

「……そうだ。いい事教えてやるよ」

タバコの火を消した先輩は。

「いい事?」

「サキネさーん!」

聞き返すより早く、先輩は彼女を呼ぶ。

「はーい!なんだい?」

「お菓子、持ってませんか?」

「勿論!いっぱいあるよ~」

笑顔で両腕を振って応答してくれた。

「よし、行くか」

「は、はぁ?」

よくわからないまま後をついていくと。

いつの間にか銃が片付けられたテーブルの上。

「今日はクッキーなんですね」

「うん!いっぱい種類あるけど、どれも美味しいよ~」

綺麗にラッピングがされたクッキーが、所狭しと並んでいた。

一体、今の今までどこにしまっていたのか。

と、問いかけたくなるが。

数多くの銃を持ち歩いているのだから、今更気にするような事ではないのだろう。

「これ、手作りですか?」

休憩に。と、群がる者達にまぎれて彼女に聞けば。

「そうだよー。妹たちのね」

クッキーを差し出してくれながら、答えてくれた。

なんだ。サキネさんの手作りでは無いのか。

「沢山お菓子も料理も作ってくれるし、本当にいい子達なんだよ!」

少し残念ではあるが。

お菓子の味に、絶対の保証があるのはその笑顔をみれば明らかだ。

「出たよシスコン」

「シスコンじゃないよ!当たり前のことを言ってるだけだもん!!」

もしゃもしゃとクッキーを頬張りながら言う先輩に。

少し怒るようにサキネさんは言う。

「はいはいわかってますよー」

「絶対分かってないでしょ。それくらいはうちにも分かるよ」

ふくれっ面のまま背を向けてしまい。

綺麗にクッキーが無くなった机の上に、また銃を並べ始めた。

「……と、まぁ」

その後ろ姿を面白そうに眺めていた先輩は。

「こんな風に、お菓子がもらえる」

口の端についたクッキーを拭いながら、決め台詞のように自分に言ってきた。

「そんな休憩ポイントみたいな扱いでいいんですか……」

「美味いのは事実だからな」

手に持ったままのクッキーの袋を開けて。

試しに一枚齧ってみる。

有名店のような豪勢な味。と、いうわけではない。

だが、庶民的で素朴な味。と、いうわけでもない。

今までに食べたことのない、不思議な味わいだ。

「そんなに細かく考えなくていいんじゃないか?」

「え?クッキーの味についてですか?」

「違ぇよ。サキネさんの事についてだ」

クッキーをつまむ手が止まらない自分を、先輩は慈しむ様に微笑みかけて。

「慣れろ。って言っただろ?これから慣れていけばいいんだよ」

随分と優しい言葉をかけてくれたのだった。

「ところで……」

「なんだ?どうした?」

「先輩は、サキネさんの妹達に会った事はあるんですか?」

この街で知らない者はいないとされるほどの四姉妹だが。

生憎、自分はサキネさんしかあったことがない。

それに、他の三人がどんな名前なのかさえも知らない。

料理上手。なんて、今さっき知ったばかりだ。

「あー。二番目と……三番目は何回かだけはな」

いつの間にか持っていたタバコに、火をつけながら答えてくれた。

「え。意外ですね。もう全員に会っているのかと……」

「仕事で関わらなきゃ会えねぇよ」

空に昇る煙を見つめ。

「ちなみに、四番目は名前すらも分からん」

何でもないように、言葉にしてきた。

「え……?」

呆けた自分をよそに、タバコの火を消す。

「サキネさんも、意図的に名前を呼ばないようにしてるっぽいんだ」

言われてみれば、確かにそうだ。

妹が。と聞くが、一度も名前を聞いたことがない。

それらしき名前を口走っていた事はあるが。

おそらく、二番目と三番目なのだろう。

「それだけ大事なんだろ。一番下の子だし」

「そんなもんなんですかね……?」

「なんというか、サキネさん。妙に【人間的】なところあるからな」

先輩は、今だ残る煙を吐きながら、からからと笑っていた。

「そうだ。お前、妹に会ったことないって言ってたな?」

「はい。そうですけど……」

急にどうしたのかと思えば。

「丁度いい」

凛とした声で。

「二番目だけは、ちょくちょく会えるんだよ」

ある方向を指さした。

「アレが、ウーロック家の次女だ」

先輩の指した先は。

いままで、射撃場に居なかった女性を捉えていて。

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