02 折坂|大地《だいち》



 静かだ。人の起きた感じがない。鉄扉の不快音はマウントが軋む音がかき消してくれたようだ。鷹埜たかのは張ってた気が抜けて、安堵のため息をがでると、今朝からはじまった頭痛が、ズキンとうずく。瞬間、目の裏まで陽が刺さったように黄色い光が貫く。


 短いが痛烈な痛みが過ぎた。不思議だが、この頭痛がおわるたび、頭がすっきりしていくような気がする。ぼんやり見ていたありきたりの景色。その意味がわかるのだ。


 弟は、手をひかなくてもついてきてた。寝ぼけがとれてしゃっきり。初めての夜の散歩が楽しいのか鼻歌をうたってる。


 中央路の十字路。ここを左に折れるが階層管理室への近道だ。


「おめぇら。こんな夜更けにどこぉ行く? たいそうな荷物しょって」


 髭の大人とでくわした。すぐ横のトイレからのそりと出てきたのだ。足がすくんだ。吐き切った息がびっくりして詰まる。急停止のあたしの背中に、停まれない大地がぶつかった。

 同じ階層に知らない顔はない。名前は覚えてないけど、列ができた弔問にはこの人もいた。手をぶらぶらさせてるが、その理由は、あまり考えたくない。


「ん。折坂さんとこん子か。母さんはご愁傷さまだったな」


 きょうは、ありそうな状況をずっと考えていた。こういうときはこう。ああいう場合はこれ。といっぱい考えてた。それが全部ふっとんだ。安心した後に驚いたせいで、忘れてしまった。


「……あ……え」


 あたしの声がでない。弱い明りの下でもわかる。男の目がだんだん険しくなる。いわなきゃ、夜中、子供がふたり出歩くても変じゃない理由を。でもなんと答えたらいいかわからない。


「ひっく。ぼくが、泣いてばかりだから、ちぃねえが、おぼさんのところにつれて」


 大地が、ふぇんと、むせび泣いた。さっきまで本当に泣いていたウソ泣きに、男の表情が変化する。眉間のしわがなくなった。目尻がさがった。あたしたしの境遇に同情してくれた。


「そうかそうか。しょうがねぇよ。風つぇぇから外は通るな。気をつけていけよ」

「うん、ありが、とう」


 あたしのショルダーバックと背嚢のなかみは、お泊りセットとでも思ってくれたようだ。納得した男は、ぽんと頭をたたいて、ぶらぶらの手で髭を掻いた。

 角にみえなくなったとたん、あたしは、その場にへたりこんだ。帰りたくなった。部屋を出ていくらもたってないというのに。そんな安全な場所、母さんと一緒に消えたっていうのに。


 手が頭をなでた。こんどは大地のちいさな手だ。頼りないけどあたたかった。


「ちぃねえ。しっかりしなよ」

「うん。ごめん……じゃなくて、弟のくせに撫でるな」

「べろべろべー。ちっちゃいほうが悪いんだー」


 舌をだして逃げていく弟。こんな姉弟ケンカが普通だった。ほんの朝までのことが、遠い昔みたいだ。この子は大切な最期の家族。大切にしなきゃいけない。数分後には捕まってるとしても、最期のときまで護るんだ。あたしの身はどうなっても。


 気持ちが落ちついた。

 あたしは小走りで弟においつくと、おもいきり背嚢を引っ張った。


「ぐぇッ」


 変な声をだした大地に言いきかせる。


「静かに。もう階層管理室だから」


 階層管理室。階層で、たったひとつだけ夜でも明るい部屋だ。逃げ出した子供を捕まえるために、大人が何人も見張ってると聞かされた。


『夜捕まったら帰ってくられなくなるからね』


 母さんはそういって脅かした。ジャンパーの上をなでて、内ポケットにしまった小さな存在を確かめる。母さんがよく見せてくれた大切な絵本。


 蛍光ライトの数倍強い照明が、立てつけの悪い鉄扉から漏れてる。声はないが人の気配を感じる。そっと扉を開けた。


「あのー」


 大きい。倍もある体格の大人ふたりの目が、あたしを動けなくする。



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