タイムハナノホール

 へっくしょん。

 私は押さえる間もなく朝食の並ぶ食卓へと飛沫の散弾をぶちまけた。手に持ったティッシュペーパーは行き場がなくなり、かといって捨てるわけにもいかないのでとりあえずテーブルを拭くために使った。

 しかし、我ながら大きいくしゃみだ。風邪でもひいたのか、あるいは古来から謂われるように何者かが私のうわさをしているのか。何せ鼻から百円玉が飛び出してテーブルの上で回転運動をするほどのくしゃみである。よほど私をこき下しているのかはたまた絶賛しているのか。

 と、ここで一つ疑問が湧いてくる。はて、百円玉が現れた。

 確かにくしゃみをした瞬間に私の鼻から勢いよく飛び出してきたがこれは一体どういう仕組みであろうか。私が起床してからそれほど時間が経っているとは言えない。かといって未だ寝ぼけているというわけでもない。仮に私の脳が完全には覚醒しきっておらず夢と現とが地続きになっている場所にいるとして。だからどうして私の鼻から百円玉が出てくるのだ。

 いや、私と百円玉とは全くの無関係とはいえない。何を隠そう私にはある特技がある。鼻の穴に小銭を入れることができるのだ。幼少期から鼻を指でほじってしまう癖があり、鼻の軟骨が人より柔らかく穴を広げやすいのである。

 一見くだらなく見えるこの芸だがなかなかどうして評判が良い。忘年会だか新年会だか忘れてしまったけれども以前なにがしかの飲み会で皆思い思いに酒をあおり、宴もたけなわといったところで顔を真っ赤にした部長が私に何か芸をしろと言ってきた。私はほれ来たぞ、とまるで罠を張った猟師のように心の中で微笑んだ。部長がこのように部下に対して無茶ぶりをするのは恒例のことであり、そろそろ私がその役目を仰せつかるだろうと身構えていたのだ。私は「それでは僭越ながら芸を一つ」と事前に用意した台本を読み上げるつもりで言った。私は部長から百円玉を二枚拝借し、見事それを鼻に入れて見せた。普段冗談を言ったりしない私の芸はその場に笑いを生み、さらには部長から二百円をまんまとせしめることに成功した。

 そういえばこの芸の練習中にうっかり百円玉を一枚失くしたことがあったのを思い出した。失せ物は忘れたころにやってくると言うけれどまさか鼻の穴から現れるとは吃驚仰天である。もちろんそれとこれとが同じ百円玉とは思えないけれども、もしかするとこの百円玉は時を超えてやってきたのだろうか。

 いけない、朝食が冷めてしまう。と、ここでもう一度失礼。

 へっくしょい。 

 すると今度は小さく筒状に丸めた紙が出てきた。

 今日は忙しいというのに奇天烈極まりない厄介な日である。だがこういう時こそ冷静にならなければなるまい。もし仕事中にくしゃみをして再び何かが飛び出てきたことで作業に支障が出れば問題である。なので私は一連の事態に対応するためにひとまず紙を観察した。少々鼻水に濡れていて汚かったが何か文字が書かれているようである。

 開いて見ると手のひらサイズほどある罫線入りの紙には『鼻の穴、タイムホール』とだけ書かれていた。

 このことから推察するに私の鼻の穴が過去と未来とをつなぐ不思議な穴になってしまったということである。そんなまさか。おっと失礼。

 はっくしゅん。

 再び紙が。そして、そこには私以外には知るはずもない過去の秘密が簡潔に書かれていた。私はどきりとして紙を凝視した。よくよく見ればこの紙は私が普段使っている手帳のそれに似ているし筆跡もかなり見慣れたものに思える。

 いよいよこれは本当かもしれないと思い始めたところでこれまた失礼。

 へっくしゅーん。

 『19日 馬券 12‐3‐5』。

 私は半信半疑、やや期待多めの心で指定の日に指示通りの馬券を買ってみた。

 結論を急ぐようで大変申し訳ないが、この馬券は見事に当たっていた。それも当然、事実その紙は未来の私が過去の私へ向けて書いてよこしたものなのだから。

 私は未来の私と幾度かの文通とくしゃみを通して私の鼻に関する詳細を知ることができた。私の右の鼻の穴は未来に、左の鼻の穴は過去へと通じているのである。その能力を使い未来の私は小さく丸めたメモ紙を鼻の穴に詰め込むことで私に有益な情報を送ってくれたのである。

 私もこの鼻の穴の有用な使い道を幾つか考えてみた。何せ過去や未来に干渉することができるのだ、上手くやれば大それたこともできるかもしれないと考えるのは当然であろう。しかし結局のところ、いくら私の鼻の穴が人より大きいとはいえその穴の大きさを超える物を送ることは不可能であるし、やはり宝くじの当選番号や当たりの馬券がどれかというようなことをメモして送るぐらいのことしか思いつかなかった。未来の私も同じようで、過去の人間が知ることのできない秘蹟のようなものが送られてくることは無かった。

 私は宝くじや競馬や競艇やらの結果をこまめに確認しそれらを記した紙を左の鼻の穴に入れる。ときおり右の鼻の穴からくしゃみと共に出てくる紙を確認しそれに準じたものを買う。これが私の新しい習慣となった。

 それを続けていると目に見えて生活に変化が起きてきた。あるとき私は8枚切りのトーストを咥えていたと思ったら6枚切りになっていたのである。あれと思って一口食べると外はサクッと中はふわっとしたかなり質の良いトーストだった。なるほど過去の私の金回りがよくなった影響がでているのか。先ほどまでホームセンターのソファーに座っていたのに今はベルベット生地のソファーに座っている。瞬きをしたらテレビ画面のサイズが一回り大きくなった。観葉植物を置いていたところには巨大な水槽が出現した。預金通帳は確認するたびに増えていく。

 まるで狐に化かされたかのように気付けば私の生活は向上していく。過去の私が豪遊するのに負けじと私もいろいろ買いそろえた。きっと未来の私は急に高層マンションに住むことになりさぞ驚いていることだろう。

 なんて素晴らしいのだろう。私はこの生活に慣れ、ついには仕事もやめて自堕落な生活をしている。使えきれないほど貯金がありいくらでも増やせる手段を持っていればこうなることは自明であろう。なかには私の不真面目さを指摘しその能力を活かして社会に奉仕すべきだと非難する方が居られるかもしれない。だがそれはあなたの鼻の穴がタイムホールになっていないから言えることであろう。もし、私のようにならない自信のある人物がいるならばぜひともお会いしたいものだ。鼻の穴がタイムホールになった方はご一報願いたい。

 とまあ、こんな生活に慣れ切ったある日、あら失礼。

 へっぶし。

 今度は何だろうか。私は慣れた手つきで紙を確認した。

 『くしゃみ、至急、止めろ』

 いきなりどういうことだろうか。これまでさんざんやり取りをしてきたのに今度はくしゃみをするななどと。未来の私は何を考えているのか。そもそも何かを送られてくるからくしゃみをするのに私に止めろとは筋違いな話である。

 はっくしゅん。

 はっくしゅーん。

 『くしゃみ、まずい、緊急事態』

 へっくしょい。

 『くしゃみ、病気が』

 はっくしょん。

 矢継ぎ早にメモが送られてくる。一体何が言いたいのかもっと明確にしてほしいものだ。ともかく解読はあとにしよう。なぜだか頭がぼーっとして整理がつかない。なんだか身体もだるくなってきた。頭が痛い気もするし寒気もするような。くしゃみも止まらない。

 一旦寝てから考えよう。

 はっくしょーん――

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