第12話 山吹色
「何色にでも……?」
首を傾げると、白髪の毛先が揺らめいた。
「そう。僕は世間では大学生、歳を訊かれれば十代、家族構成となれば長男。けど僕は、僕自身をどういった人間って決められるのが嫌なんだ。会社に入れば会社員、歳を重ねれば老人、何か一つの決められたものでしか見られないなんて、つまらないと思うんだ」
彩音の僕を見つめる瞳が、どことなく大きく開いた気がした。
「いいね、なんだか」
そういうと、脚を伸ばすのを自分で確かめるように、俯いた。
「私は何かなりたいものはあるのかな……。強いていうならば、貴方は何て呼ばれて、何色になりたいの?」
僕は顎に手を添えた。うーんと唸って、自分の中で質問をぶつけ、答えるのを繰り返して言葉を返した。
「強いていうなら……、小説家……とか……色は白かな」
「小説を書きたいの? どうして白?」
その質問に、僕はスマホをポケットから抜き出す。乾燥した空気に冷やされ、氷のような冷たい画面に指先を走らせ、僕はあるサイトを開いてみせる。
「小説家っていうのは、これのことだよ。この小説投稿サイトに小説をアップしてるんだ」
彩音にスマホを渡し、街の頭上に浮かぶ小さな星々を眺める。ただの大学生が書いた物語など、誰も興味を示さない。それを踏まえて、僕は自分の作品を提示した。
「すごい。これ、ちゃんとした物語だ……」
「そりゃちゃんとした物語だよ。いろんな人に見てもらいたくて、書いてるんだから」
慣れない手つきで、人差し指を画面を下から上に滑らせる。その姿はまるで電子機器に触れたことのない子どものようだ。
「これは、どんな物語なの? ジャンルは?」
問いただすような質問に、半ば嫌と思いつつも答えた。
「なんだろう。恋愛……なのかな……自分でもわからない。ただ面白みのないものだと思う。人生は退屈だと感じる人の物語だから」
自分で言っていることが嫌いだった。反響がないことに言い訳をつけているようだったからだ。物語だからと作品のせいにして、誰かに話すときの保険としていることに、自分でもちゃんと理解できている。
「うん、あらすじだけ読ませてもらったけど、あんまり面白そうな人物じゃないね」
今までに話してきた人には、そんなことないよ、と言われてきたことから酷く驚いた。お世辞でも面白そうと言ってもらえると感じたからだ。
「あぁ、うん、そうだよね」
「だからすごいなって思ったよ」
え? と反射的に言葉が漏れた。
「だって、人生は退屈と感じる人物の物語で、『この小説は面白そう!』って思わせるよりも、本当に面白くなさそうな出だしの方が、作品として成り立ってるんじゃないかな」
今までに考えたこともなかった思考だった。作品を作り、自己満足で終わって、売れなかったらそのときの言い訳だけ思いつく僕とは、ものの捉え方が大きく異なっている。そして再び彩音は口を開いた。
「けれど、やっぱり人に見て欲しいなら、始まり方は面白いと感じさせるべきだと思うな。そういった人生のストーリーの中で、どう見応えがあるかを人は求めると思う」
そのアドバイスは的確だと感じる。彩音の言うことはもっともだ。僕は僅かに温もりの残ったスマホを受け取る。
「ありがとう……そうしてみるよ」
「ううん、ごめんね、上から目線みたいになっちゃって。私自身も、小説は滅多に読まないし、恋愛小説なんかは特に読まないの」
どうして? と首を傾げて尋ねる。
「恋愛なんて今までしたことないから共感できないし、それに……」
不意に彩音の言葉が詰まる。
「それに?」
最後の一言を復唱した。一呼吸おいて、答えてくれる。
「小説って、ハッピーエンドの流れで最後まで読んでみたら、結局悪い終わらせるものもあるじゃない。そういったのが、どこか引っ掛っちゃって」
「確かにね。じゃあそれも踏まえて、考えてみるよ」
彩音の大きく吐いた白い息が、風のない公園の中で舞い上がる。僕らはそれを目で追った。
「見て、今日の月。街の上にあるね」
うん、とだけ言うと、また言葉を掛けられる。
「今日の月は、どんな風に見える?」
「どんな月……か……」
一呼吸置いて、下弦の月よりも少し膨れた月に顔を向けたまま、声を返した。
「未完成な月……かな……」
「貴方にはそう見えるんだね」
僕が見る彩音の姿は、横顔が多かった。どこか寂しさはあるが、綺麗なまつ毛や鼻筋に見惚れてしまう。
「彩音には何に見えるの?」
「……そうだなぁ……満月が正面、新月が後ろ姿だとしたら、振り向ききれていない月……かな」
「いいね、なんだかお互いに同じものを見ているはずなのに、見え方が違って」
彩音は僕に安心したような表情を向けて、口角を上げた。
「こんな冬、初めて過ごした。……寒くなってきたから歩こう?」
公園から足を出して、再び歩き始めた道の途中で彩音は立ち止まる。僕らは互いの顔を確かめるように向き合った。
「ここまででいいよ。後はゆっくり歩いて行ける。ありがとう」
榛色の瞳が僕を刺すように向けられた。その目尻は優しく垂らされている。そして汚れ一つない左手のひらを左右に振って、柔らかな声を残して歩き出してしまった。
「じゃあまた、イブにね」
「……うん、気をつけて」
そうか、次の火曜日というのは、二十四日だったのか。
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