第11話 千歳緑色

「大丈夫だよ。このくらいなら任せて」

「……ありがとう」

 作ったような笑顔を僕に向けた後、彩音は次に僕の手当てをしてくれた。

 痛むところにペタペタと湿布や絆創膏を、シールのように貼り付ける姿がどこか子どものようで笑いを零す。しかし笑うと痛みが走り、その姿を見た彩音が僕を笑う。痛みとは反して、楽しい雰囲気になってくれたようだ。手当も一通り終わり、スマホでピザを注文した後は、足跡の付けられた服の洗濯だ。

 脱衣所で彩音には僕の服に着替えてもらった。サイズの合わないパーカーと部屋着として使っていたスウェットタンスから抜き出し、着させた。配達を待っている間、彩音の服を洗濯機に放り込み、ボタンを押す。コートは洗濯できないからと、簡単に汚れだけ取ってクリーニングに出すこととした。僕の服は後回しだ。


 ゆっくりとテレビを観ながら彩音の話を聴くと、今日出会ったあの男女は学校でもかなりの問題児だったらしく、地元はこの辺りではないから、どうしてこの辺りにいるのかも不思議だそうだ。

 そして、僕がお祖父ちゃんの元でカメラのことを訊いてきた話もした。彩音は目を丸くして驚いていた。そんなこともあるんだね、と言って話している間に、インターホンが僕らを呼びつける。お金を払って、ピザの匂いをうかせながらリビングへ向かい、僕らは箱を開いて手を合わせた。

「すごい良い匂い!」

 四種類飾られたLサイズのピザを一枚、ふたりで分け合う。まるで誕生日プレゼントを貰った子どものような笑顔を、僕の隣で隠しきれていなかった。そんなどこか可愛らしいと思える存在が、僕には非日常を味合わせてくれている。


「おいしすぎる……」

 ピザを口いっぱいに詰め込む真っ白な頬は膨れていて、指先に付着したパン生地が特別な生活感を出している。

「そうだ、ずっと訊きたかったことがあるんだけど……」

 口の中のものを飲み込んだ後に、何? と返され、僕は続ける。

「初めて会った日、どうして僕が後ろにいるってわかったの?」

 ふふっ、と小さな笑いを漏らすようにして、彩音は一口、お茶を喉に流し込んだ。

「なんだ、そんなことか。私、色がわからないでしょ? だからその分、音とかに敏感になったんだ。それに周りからは嫌な目で見られるし、場合によっては何か投げつけられるし。だから、誰がどこで私のことを見てるのか、だんだんわかるようになってきたんだ」

 彩音は笑いながら話してくれたが、僕にはかなり衝撃的なことだった。


「苦労の末にできた能力……って感じだね」

「うん。あ、これも食べてみるね」

 本人は気にしていない様子だったが、一般人が普通に生活していたら、絶対に身につかない力だ。

「あともう一つ、いい?」

「ん?」

 僕は洗面所で一度手を洗い、これまでに届いた手紙の束を広げて見せる。

「たくさんの手紙、ありがとう。けど、僕も返事をそろそろ書きたいんだけど……」

 再び口の中に含んだピザを飲み込みむと、手を洗いにいった後でペンを僕に要求した。紙は自分のバッグからレシートのようなものを取り出して、その裏面に住所を書き綴っている。

 手紙でしか目にしていなかった綺麗なフォントだ。疑っていたわけではないが、紛れもなく本人の文字だと確かめられた。


「あ、ごめん、紙あるよ」

 テレビ横の棚からルーズリーフを取り出そうとするが、腕を掴まれ止められた。

「大丈夫だよ。これで。これがいいの」

 わざわざレシートの裏を選ぶ理由がわからなかったが、本人がそう言うなら、と思い僕は何も咎めなかった。

「はい、書いたよ」

 ペンの走った痕跡は、どこかで聞いたことがある地名だ。

「ここ……二駅くらい先だよね?」

「うん、そうだよ。眼科は近くにもあるんだけど、変な噂とかもあんまりされたくないし、必要最低限の買い物以外は大体数駅先まで行くの。貴方と初めて会った日も、いつものお医者さんに一応、ありがとうと伝えに行ったの」


「ありがとうを伝えに?」

 彩音はそれ以上には話さず、残り食べちゃおうよ、と話題を流すようにピザを持ち上げて口にした。

 その後、服の乾燥が終わらないことから、今日は僕の服を着て帰ってもらうことで話がまとまった。ただ、帽子の洗濯の仕方だけわからず、どうにもできていなかった。これもかなり汚されてしまっている。

「帽子なんだけど……」

「いいよ。ここまで洗濯してくれてありがとう」

 服は後日会ったときに手渡すことになり、服のコーディネート的にも、おかしくなさそうなものを貸した。コートも靴の跡が消えず、電車に乗るとなおさら目立ってしまいそうだということで、メンズ物にはなってしまうが僕のものを着てもらうことにした。


「ありがとう。これ……何色なんだろう……」

 何気ない一言が、哀情として胸の奥に、ずんとのしかかる。純粋に人のためにここまで自分が考えることが、今までなかった。だからこそ、僕はこの人の支えになり、助けたいと考える。

「途中まで送るよ」

 嬉しそうにはにかんだ彩音の笑顔が、とても印象的だった。

「ありがとう」

 ピザの隠されていた箱もそのままに、僕らは家を出て扉の鍵を閉めた。靴の先をトントンと地面に叩いて、アパートの階段を降りる。駅に向かう道の途中にあった公園に、僕らはふたりで目を奪われた。たった一つの街灯と、硬そうなベンチ。その他の遊具は街灯の光が届かない場所に集まっている。

「ねえ、少し空でも見ていかない?」

 ライトに集められる夏の虫のように僕らはそのベンチへ引き寄せられる。腰を下ろすと、ズボン越しでも冬に冷やされた金属の冷たさが身体へ伝わる。白い息が街灯に照らされ、空へ逃げていくのがよく見える。


「ピザ、美味しかったね。私、初めて食べたよ」

 寒そうに膝の上で指を絡ませて語る姿は、嘘一つないことが教えてもらわずともわかった。隣で顔を空へ向ける姿は、まるで冬にだけ現れる雪女のような風格だ。しかしその美しい見映えも、この人には苦しいものなのだろうとひとりで思う。

「初めてだったんだ。また食べよう。僕もピザがすごく好きだからさ」

 嬉しそうな表情を浮かべ、彩音は小さく頷いた。

「あと、貴方のお部屋、灰色っぽいものがなかった気がする」

「うん。できるだけ白いもので統一してるんだ」

「どうして?」

 彩音は僕の目を見つめて、尋ねた。

「白はさ、何色でもないから、何色にでもなれると思うんだ」

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