第56話 少年の過去
少年は薄々勘づいていた、彼女の命のタイムリミットを。間違いなくそれは刻々と迫り、医者も、どうしようもない、と匙を投げていた。
少年自身もまた、ただ祈ることと、少女に毎日会いにいくことだけが、出来ることだった。
見舞いなどもはや、少女の病魔の前には気休めにもならない、それでも彼女の姿を最後まで瞳に焼き付けると同時に、少女の励みになればと、少年は毎日病室に通っていた。
「ヒナタさん! 今日もきたよ!」
少年の声に、少女は顔を輝かせる。
「カイくん……」
しかし、声には力がない。それが、彼女の死の近さを物語っているような、そんな気がした。
それがどうしようもなく、少年は辛かったが、顔に出してはいけないと、頬に溢れそうになる涙を堪えた。
── 一番辛いのはヒナタさんなんだから。
そう自分に言い聞かせた。
「今日さ! 面白い漫画があったから持ってきたんだ!」
「本当……! 読ませて読ませて!」
いつものように、そんなたわいない話を弾ませようと、少年は笑顔を作り出す、自分のだけじゃなく、少女にも、陰りのない笑顔が生まれるようにと。
「今日、天気、いいね」
少年は言う。
「うん、そうだね……」
少女が頷く。
「今日も星が見れるといいね」
笑顔を取り繕う少年。
「そうだね……」
少女も笑った。
「明日も見れるといいなぁ」
「みれるさ!」
少年はそう言いつつ、心のどこかで、本当にそんな明日が来るのか、と、問いかけが反響した。
「みれるさ、絶対に……」
その時だった、少年は、その自身が放った言葉で、ついに、心のダムを崩壊させた。
「あ……」
頬に暖かいものが流れたのを少年が知った時、思わず彼は言った。
「ごめん……」
それは、自分の不甲斐なさ、そして何よりも、自分より泣きたいはずの少女の前で、自分が先に泣いてしまう。彼女に心配をかけさせてしまった、というその事実に、少年は謝った。
「あ、こっちこそ、ごめん、な、泣かせちゃった……!?」
「違うんだ、ヒナタさん、ごめん、ごめん! ヒナタさんの方が辛いのに……」
「……もう……! 大丈夫だよ……! 私、強いもん!」
だが、どこまでも、少女は強かった。少年が考えるよりも遥かに。屈託のない笑顔を再び彼女に贈るつもりが、そんなことをしなくても、彼女は笑った。
彼女だけは信じているのだ、また再び治るのだと。
「そう、だね……!」
少年はただ泣いた。泣いてしまった。どうして。彼女はここまで、努力をしている。だと言うのに、神様は彼女を見捨てたのだ。
─────────────
そして、無力感を抱えたまま、病室に戻った少年は、再び、もうすぐ退院する病室の中で、少女の無事を祈り続けた。神様が少女を見捨てたなら、もはや誰でもいい、化け物でも悪魔でも、少女の命が繋がるなら、と。
そんな日の夜、少年は異変に気がついた。月が窓から病室を照らす、ほのかに明るい病室に影がさしたのだ。
突然の明暗の変化。そのわずかな変化に気がついた少年は目を開けた。
少年の病室の窓は開けられ、窓のフチに膝をかがめて、その者は座っていた。
真っ黒の影の塊ような、目と鼻のない、しかし白い歯を見せて笑っていることがわかる顔。
黒い蝙蝠のような翼に、闇が張り付いたような体表の身体。
言い表せるとしたらたった一言。少年その一言を思わず呟く。
「悪魔……」
「その通りだ、ガキ、話が早いな」
笑ったままの下弦の三日月のような歯を見せつけたまま。口を動かすことなく、悪魔はそう発声する。
少年は恐怖した。ただ目の前にある、異常の存在を。
見た目もそうだが、得体が知らないその悪魔。一体、何が目的なのか、わからない。
だからこそ恐ろしい。少年は、震える体を抑え、起き上がった。
「何が、目的だ」
もし、この病院になんらかの危害を加えるならば、やることはひとつだけだ。
── ナースコール!!
少年は、恐怖で鈍る体を必死に動かして、ナースコールのボタンを探す。
視界の端に映る、紐付きの端末。それに少年は手を伸ばした。
「おっと」
だが、ナースコールの端末は、バチリと音を立てて。ひとりでに、弾かれ、床に落ちた。
「余計なことをするなよ……ガキ、俺はお前の願いを叶えにきてやったんだぞ?」
ナースコールは壊された。もはや助けも呼べない。焦る少年は、その悪魔の言葉に体が固まる。
そして恐る恐る悪魔の方に振り向くと、三日月の笑みが、さらに大きくなった。
「ガキ、あの女のガキを助けたいんだろ?」
少年は体をこわばらせながら、悪魔に問うた。
「ヒナタさんを助けてくれるの?」
悪魔は、肩を揺らし、笑う。そして言った。
「助けられる、だが、その代わりに……」
悪魔は少年の胸に指を指す。
「お前の命をもらう」
一瞬、少年の胸に、痛みが走る。
「僕の命……」
「そうだ、迷うか? だろうな、自分の人生ほど大切なものはない」
そうだ、自分にも家族はいる。父さんや母さん。この病院から出たら、キチンと学校にも通いたい。
友達と外に出て遊びたい、たわいもない話で盛り上がってみたい。
まだ自分の知らない世界を見たい、感じたい。
でも、と少年の心に声が響く。その世界にヒナタさんはいない。
あんなに努力している子が。
──初めまして! 私、界ヒナタ! あなたの名前は?
見知らぬ僕に優しくしてくれたあの子が。
── カイくんって言うんだ! じゃあ、名前わかったからもう友達だね!
卑屈だった、僕を変えてくれた。希望を見せてくれたあの子が。
── いつか病気が治ったら、一緒に、外で遊びに行こう!
少年の決意は、自然と口から出ていた。
「いいよ、僕の命の代わりに、ヒナタさんを助けて」
悪魔はニヤリと笑った。
少年の病室に風が吹き込む、その風に連れ去られるように、少年の体は一瞬で跡形もなく消えた。
残ったのは温もりを残したベットだけだった。
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