Fight26:『クエスト・タワー』

 『クエスト・タワー』の扉を潜ると、すぐに1階部分に出た。内部は殺風景なコンクリート張りの部屋でそれなりの広さがあった。窓は付いておらず閉塞感漂う部屋の天井部分にはいくつかのカメラが取り付けられていて、『アリーナ』部分にレンズを向けていた。恐らくあの向こうからグラシアンや他の悪趣味な観客共、そして最上階に囚われているリディアがマーカスの試合を観戦しているのだろう。


「……よう、『ロンリーウルフ』。何だかどえらい事になっちまったな」


「……! ムビンガ……」


 そして一階部分で待ち受ける『番人』。それは……ステージ2では共闘もしたケニア人ボクサー、サムエル・ムビンガであった。腕を組んで神妙な表情で佇んでいる。その顔にはマーカスを倒してリディアを殺すという悦びは見られなかった。


「何故だ? 何故こんな馬鹿げたルールに加担した?」


「……あのリディアは正直可哀想だとは思う。ただ……今を除いて他に、お前にリベンジ出来る機会が無いんだよ。こんなルール……お前は絶対途中で力尽きて死ぬに決まってるからな。だから今ここで俺がお前を倒してやる。安心しろよ。俺が勝ってもリディアを殺すような事はしないさ」


 ムビンガはそう言ってファイティングポーズを取る。確かにムビンガならリディアを殺さないかも知れないが、マーカスはニーナの為にも戦っているのだ。どのみち退くという選択肢はなかった。受けて立つ意味を込めて黙って構えを取るマーカス。ムビンガが口の端を吊り上げる。



「へ……そうこなくちゃな。……行くぜ!」


 ムビンガは両腕を前に掲げたまま低い姿勢で突っ込んでくる。相当な踏み込みの速さだ。マーカスはローで奴の脚を狙って牽制する。ムビンガは素早いスウェーで避けながら、奴自身も牽制のジャブを連打してくる。


 ジャブとはいえかなりの威力だ。マーカスは着実にガードで凌ぎつつ奴の隙を窺う。だが隙を窺っているのは相手も同じであった。マーカスが牽制のローを繰り出そうとした時、それと同時にムビンガが強烈なフックを放ってきた。


「……!」


 自身もローを放っていた最中であった為に回避が間に合わなかった。とっさに腕を下げてガードするが、そこにムビンガのフックが襲いかかり、ガードごとマーカスの身体を揺さぶる。


「ぬぐ……!」


 マーカスは呻きつつも必死で体勢を整える。その間にも容赦なく追撃してくるムビンガ。今度は低い軌道からボディブローを打ち込んでくる。マーカスは再びガードして耐える。攻撃の主導権を握ったムビンガがパンチの雨を降らせてきた。


 一発一発がマーカスのガードを揺さぶり体力を削ってくる威力の凶器だ。それが間断なく攻め立ててくるのだから堪らない。守勢に回ったら不利だ。ましてやこの後も連戦が控えているとなれば尚更だ。


(攻撃こそ最大の防御だな!)


 幸いというかムビンガは自身の攻勢に集中していて受けが甘くなっている。隙は必ずあるはずだ。相手の攻勢に萎縮せずに冷静にそれを見極めるのだ。


 その時中々マーカスのガードを破れない事に業を煮やしたのか、ムビンガが半歩程下がって右腕を引き絞るような体勢となった。これはストレートを放つ予備動作だ。ほんの一瞬の僅かな体勢の変化だが、努めて冷静にムビンガの隙を窺っていたマーカスの目はそれを見逃さなかった。


「ふっ!!」


「……っ!?」


 逆に大胆に距離を詰めるマーカス。ボクサーは相手に密着されると攻撃手段がなくなる。マーカスは強引に組み付いてムビンガの胴体や脇腹に連続して膝蹴りを叩き込む。


「ぬが……!」


 ムビンガは呻きながら拳を打ち付けてくるが、密着した状態では自慢のパンチ力も発揮できない。


「クソが……!」


 ムビンガは毒づいて暴れまわり強引に身体を離すが、膝蹴りでかなりのダメージは与えられたはずだ。奴は苦痛に顔を歪めていた。



「へ、へへ……やっぱりやるなぁ、『ロンリーウルフ』。お前ならもしかしたら本当にこのステージを勝ち上がれるかもな」


「何……?」


 マーカスは訝しんで目を細めるが、ムビンガは再び凶悪な表情になって構えを取る。


「だが……勝つのは俺だ!」


 奴がこれまでにはない踏み込みの速さで突っ込んできた。明らかに防御や回避を考慮していない捨て身の攻撃だ。その証拠に突進しながらムビンガは自身の右腕を限界まで引き絞っている。渾身のストレートを放つ気だ。


「ち……!」


 遅れてマーカスも反応し、大胆に身をかがめる事でムビンガのストレートを紙一重で回避する事に成功した。渾身の一撃を躱されたムビンガの体勢が崩れる。今しかない。


 マーカスは屈んだ低い体勢から伸び上がるようにしてアッパーカットを繰り出す。それは体勢を崩して防御が間に合わなかったムビンガの顎を捕らえて、奴の身体が大きく仰け反った。


「ふっ!」


 そこに渾身のミドルキックを脇腹に叩き込んだ。確かな手応えがあり、ムビンガは横っ飛びに吹っ飛んで倒れた。


「げは……! がぁぁ……!!」


 ムビンガは血反吐を吐いて悶絶する。これ以上の戦闘継続は不可能だろう。決着だ。だが……



「……最後の一撃、ワザと・・・躱しやすいストレートを打ったな?」



「……! ぎ、へへ……何の事だ? 俺はお前を、殺すつもりで、渾身の一撃を放っただけ、だ。躱してカウンター出来たのは、あくまでお前の、実力だ……」


 ムビンガは上体を起こした姿勢で血を吐きながらも口の端を吊り上げた。だがマーカスには確信があった。ムビンガがワザと負けた・・・・・・という事に。


「勘違い、するなよ……? お前が弱けりゃ、本当に、殺すつもりだった。だが……お前なら、勝ち上がれる、かも知れねぇ、と、思ったのさ」


 ムビンガはそう笑って上体を倒した。そして2階へと続く扉を指差した。


「さあ、早く、行けよ! そんで、必ず勝って、リディアと……娘さんを、助けて、やんな……!」


「……すまん、恩に着る!」


 マーカスは短くそれだけを告げて2階への扉を潜っていった。コンクリートの螺旋階段が伸びており、その先は2階のみに続いていた。当たり前だが非常階段のように一足飛びに最上階まで行ける構造にはなっていないようだ。


 マーカスは覚悟を決めて2階の扉を開ける。部屋の作りは1階とほぼ同じような感じで、やはり天井にはいくつものカメラが設置されていた。そして2階に待ち受ける『番人』は……



「来タナ! オ前ヲ殺シテ俺ガ『トロフィー』ヲ貰ウ!」



「……!」


 拙く訛りのある英語で宣言するのは、過去に倒したパクやリーに近い人種の東洋人の男だ。ナンバー『6』の日本人、ケンジ・オガという選手だ。


 こいつは確か『日本拳法』とやらを使うらしいが、当然ながらマーカスに詳しい知識はなかった。なのでぶっつけ本番だ。オガが一直線にこちらに向かってくる。マーカスは即座に迎撃態勢を取る。


 オガは縦に構えた拳を低い姿勢から打ち出してくる。かなりの速さだ。だが軌道は単純なのでマーカスはガードで捌き、反撃に牽制のジャブを連打する。オガは的確な防御でそれを捌いてくる。日本拳法とは打撃系の格闘技のようだ。ボクシングとカラテを織り交ぜたような多彩な打撃技だ。


 ならばとにかく攻撃あるのみだ。相手は東洋人なのでフィジカルの差で圧倒できる可能性が高い。オガが下から突き上げるようなアッパーカットを繰り出してくる。マーカスはそれを半歩下がって躱すと、反撃にストレートを打ち込む。


 オガはそれをガードで受けるか思いきや、何と回避しつつマーカスの腕に組み付いてきた!


「何……!?」


 マーカスは慌てて身を引こうとするが、オガは離さずこちらの脚に自身の脚を引っ掛けて全体重で押してくる。脚を引っ掛けられたマーカスは踏ん張りきれずに倒れてしまう。オガはそのままマーカスの腕を取って関節技を仕掛けようとしてくる。


(こいつ……日本拳法というのは打撃だけではないのか!)


 どうも組み技もある総合格闘技のような武術であったらしい。総合格闘技でいう腕ひしぎ十字固めのような関節技を極めてくるオガ。このままでは不味い。右腕に凄まじい牽引力が掛かる。このままだと右腕の靭帯と関節を破壊される。


 マーカスが暴れたために左腕は押さえられておらず自由だった。彼は左腕に力を込めて、思い切りオガの股間・・を殴りつけた。


「ギ……!!」


 オガの力が緩む。その隙に強引に腕を引き離して立ち上がる。試合では間違いなく反則だが、生憎これは表の試合ではない。余程の事が無ければ『反則負け』はないだろう。



「ふぅ……ふぅ……!」


 マーカスは必死で呼吸を整える。右腕に鈍い痛みが走る。完全に破壊される事は免れたが、それでも少し痛めたらしい。だが今は頓着している暇はない。オガは何とか立ち上がったようだが、まだ股間を押さえている。相当な痛みだったらしい。ご愁傷さまだ。


「ふっ!!」


 当然その隙を逃すマーカスではない。強烈なローを奴の脚に蹴り込むと、オガが悲鳴を上げて体勢を崩した。間髪を入れず奴の頭を鷲掴みにして、下から膝蹴りでその鼻面を蹴り砕いた。


 オガは盛大に鼻血を噴き出しながらもんどり打って倒れ込んだ。手応えはあった。その証拠に奴は痙攣をしているだけで起き上がってくる気配はない。KOだ。



「ぐ……!」


 だがマーカスは右腕を押さえて呻いた。牽引された痛みがすぐには引かない。一日も静養すれば治るだろうが、当然それは出来ない。事前にインターバルは無しだと釘を差されている。倒したらすぐに上の階へ行かないとリディアが処刑される。


 マーカスは痛む腕を庇いながらも、3階へと続く扉を潜っていった。

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